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【2024/04/29 04:10 】 |
425)自己規定と他者規定&関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「自己規定と他者規定&関西出張のお知らせ」 について書きます。

日々暮らしていく上で、常に何らかの物事に対処する必要が生じます。
その時、それらに対して考え、判断し、行動しなければなりません。
では、その思考や判断、決定の基準は何でしょうか。
そしてその基準が自らの意志に基づいたものかどうか と問いかけてみたいと思います。

人は誰しも生まれながらにそれらが備わっているものではない以上、生まれ育った環境の中で学習していくものだとされます。
一番考えられるのは、自分を取り巻く大人たちです。
両親を中心とした家族や教師、地域の人たちでしょう。
しつけという名のもとに教えられたり、模倣して取り入れるといわれます。
それらの中から、その人固有の基準を創り上げていくのでしょう。

このように考えていくと、「自己規定」と「他者規定」の違いが不鮮明になってきます。
自己規定だと思っていることが実はどこかで他者から取り入れたものだとしたら、果たしてそれは自己規定だと言えるのか。
すべて他者規定ではないのか。
この問いかけにその人なりの決着をつけて社会へと参入していくのだといわれます。
ここで「自己規定」と「他者規定」の違いがみえてきます。

すべては他者から取り入れたものだと気づき、自らが自らの基準を新たに決め直すか。
元々は他者から取り入れたものであったとしても、それを再度自らが引き受けなおすか。
あるいは、その問いの前に立ち止まってしまい動けなくなるか。
言われるままになるのが楽だと 他者の言動に従うか。

日々の生活の中で「自己規定」「他者規定」のどちらを生きているでしょうか。
時折、立ち止まって考えてみることも必要かもしれません。

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≪12月度関西出張のお知らせ≫

*8日(火)~10日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは未定)

*7日(月)・11日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。 

 

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【2015/12/07 12:06 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0)
422)見守ること&関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「見守ること&関西出張のお知らせ」 について書きます。

「見守ってあげましょう」という言葉をよく耳にします。
ここでは、育てるという観点から 「見守る」とはどのようにすることかを考えます。

結論からいうと、文字通り≪見ることで守ること≫です。
まず「見ること」に焦点を当ててみます。
見ることとは眼差しを向けることを指します。
眼差しを向けることとは、関心を持つということです。
つまり、ここでいう『見ること』とは関心を向けることを意味します。
ただ見てればいい、視線を向けていればいいのではありません。

もう一つあります。
それは原則「見るだけ」ということです。
どういうことかというと、「見る」以外は含まない、例えば「口は出さない」「手は出さない」ということです。
見ているとつい口を出したくなったり、時には手まで出してしまうこともあるからです。
これでは相手の自主性や自発性を育てることは難しいでしょう。

以上から≪見守ること≫とは、関心を持って見ることだけで守るとなります。

そして、見守ることは自主性や自発性を育てることにも繋がっているといえるのではないでしょうか。
口出さず手を出さずに見守ってもらえた人は、きっと自ら考え判断し決断し行動する人に育つことでしょう。 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ≪10月度関西出張のお知らせ≫

*6日(火)~8日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『ゆとりを持つ』 )

*5日(月)・9日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。

【2015/10/04 11:26 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0)
419) 8月度関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「8月度関西出張のお知らせ」です。

全国的に猛暑が続いています。
今月も関西方面へ出張します。
近隣の方、関心のある方は、この機会を活用ください。

・3日(月) 19:00~21:00 大宮

・4日(火)~6日(木) 和歌山市

・6日(木)18:00~21:00 大阪市難波周辺

・フリートーク 6日(木)10:00~12:00
テーマ 『自己愛~自立』

・5日(水)10:00~12:00   ≪人間講座-象徴界に生まれる 
人として生まれるとは、社会参入するとはどういうことなのか。そして社会、家庭内での男女の性差と役目は何か。女性化する男性が多いのはなぜか。それらを中心に考えます。 

・7日(金)7:30~10:30 大宮

詳細はメール、電話、Twitterで直接お問い合わせください。 

シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/
Twitterはこちらです https://twitter.com/rakuhomanami

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「自分と他者は違う」

当たり前のことだと思うかもしれないけれど、そうでもない事象をみる。
相手のためを思ってしたのに、うまくいかない場合がある。
そんな場合、相手のためだと思ってしたことは、はたして相手が望んだ(依頼した)ことだろうかと考えてみる。
ややもすると自分の思いであることが多い。
自分だったらこうして欲しい、だから相手もきっとそうして欲しいに違いない。
このように考えてしたことではないだろうか。
それは自分の考えであって、相手の考えではない。
それが一致したときは喜ばれるかもしれないが、違っていたら有難迷惑となりかねない。
これらの根底には「自分と相手は同じ」という考えがあるのでは?
自分と他者は違っているとの前提であれば違った言動となるのではないだろうか。 

【2015/08/03 11:11 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0)
417) 7月度関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「7月度関西出張のお知らせ」です。

梅雨空の関東地方です。
今月も関西方面へ出張します。
近隣の方、関心のある方は、この機会を活用ください。

 ・6日(月) 19:00~21:00 大宮

・7日(火)~9日(木) 和歌山市

・9日(木)18:00~21:00 大阪市難波周辺

・フリートーク 9日(木)10:00~12:00
テーマ 『欠如と満足』

・8日(水)10:00~12:00   ≪人間講座-象徴界に生まれる 
人として生まれるとは、社会参入するとはどういうことなのか。そして社会、家庭内での男女の性差と役目は何か。女性化する男性が多いのはなぜか。それらを中心に考えます。 

・10日(金)7:30~10:30 大宮

詳細はメール、電話、Twitterで直接お問い合わせください。 

シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/
Twitterはこちらです https://twitter.com/rakuhomanami

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<信じて待つことは受容することと等価>

「信じて待つ」
これを実行するには時間とエネルギーが必須です。
時間と行動は相手に委ねられています。
相手に委ねられているとは、自分の判断や考えは通用しないということ。
相手が自発的に行動するまで口も手も出さないことを意味します。
逆にいうと、時間も行動も相手が握っている、それを受け容れること。
このように考えていくと、信じて待つことは相手を受容することと繋がっていきます。
逆にいうと、受容するとは強い信念(信じて待つ)と時間とエネルギーが必要な非常に能動的な行為だと考えられます。

【2015/07/06 11:25 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0)
415) 6月度関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「6月度関西出張のお知らせ」です。

今日から6月、衣替えです。
今月も関西方面へ出張します。
近隣の方、関心のある方は、この機会を活用ください。

 ・1日(月) 19:00~21:00 大宮

・2日(火)~4日(木) 和歌山市

・4日(木)18:00~21:00 大阪市難波周辺

・フリートーク 4日(木)10:00~12:00
テーマ 『支援と育ち直り』

・3日(水)10:00~12:00   ≪人間講座-象徴界に生まれる 
人として生まれるとは、社会参入するとはどういうことなのか。そして社会、家庭内での男女の性差と役目は何か。女性化する男性が多いのはなぜか。それらを中心に考えます。 

・5日(金)7:30~10:30 大宮

詳細はメール、電話、Twitterで直接お問い合わせください。 

シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/
Twitterはこちらです https://twitter.com/rakuhomanami

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生きるとはどういうことか。
いつの頃からかそのような問いを持った。
「生」を強く意識するのは「死」に対峙した時だろう。
しかし自らの「死」についてその経験を語れる人は誰一人いない。
「死」を経験することはもう二度と語れないことを意味するから。
できることはただ「死に対する知」を蓄積すること。
それらはすべて言語によってなされる。
「生」も「死」も言語によって創り出されたもの。
肉体を持った人間が言語の世界に生み落とされ、それを使って思考し、意思伝達をする。
それがなければ、動植物と同じく自然の営みの一部に過ぎない。
このように考えた時、人として生きることは「死」の直前まで思考し、語り続けることではないだろうか。
 

【2015/06/01 10:25 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0)
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