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【2018/04/23 03:21 】 |
我々は言語に隷属している
文字や言葉は、単に線や音の集合であり、
その形や音の種類によって笑ったり、怒ったり、泣いたりする。
「素敵ですね」と言われれば、その人の顔はパッと明るく笑顔となるだろう。
反対に
「あんたなんか大嫌いよ」と言われたなら、きっと怒ったり、悲しい表情になることだろう。
しかし、なぜ笑ったり、喜んだり、怒ったり、泣いたりするのだろう?
音の、文字の集合なのに。
 
それは、その音や文字の集合に、それぞれ共通の意味を見出しているからだ。
そしてその意味にそれぞれ感情や行動として反応していることによる。 
つまり、その共通の意味を共有しない所では、
それらは単なる線や音の集積と化す。
たとえば、日本人には普段馴染みがないであろうサンスクリット文字やアラビア文字
また、速記文字や方言などもその範疇に入るだろう。
それらは、その意味する内容が理解できないからだ。
 
それゆえ、意味を共有しない文字や音にはほどんど風景の一部のように通り過ぎるだろう。
人は意味の中に感情や行動を規定されていると言える。
言い換えれば
人は線や音の集合の中に、自らの意味を文字や声として切り出しているということになる。
また、
自分が自由に使っているつもりの言語は実は誕生以来ひたすら全面的に受け入れてきたものである。
つまり、言語は誕生以前からある体系であり、人はこの中に参入するしかない存在であった。
語られ、それを取り込むことでしか他者の中に参加できなかった。
他者なる言語体系とある種の契約をしたようなものである。
そして、今もその受身的であることに変わりはない。
これをラカンは「言語に隷属している」と書いている。
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
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