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母が乳幼児の世話をする
その時には当然肌に触れる
授乳、お風呂、着替え、おむつを替える、抱っこ、おんぶなどなど
母の手(素肌)がその中心となる
それをマーキングという
母のマーキングは心地良いはずである(必ずしもそうと言い切れないこともある)
その時の心地良さ=快が、後にその快を反復することを求める
母が触れることが快であるとマーキングされたなら
その快を何度でもあらゆる場面で再現したいと人は求めるようだ
つまり
触れることが快だとマーキングされることによって、皮膚感覚が発達するとも言える
逆に言えば
マーキングが何らかの事情でない場合、もしくは希薄な場合
あるいは、極端に不快だった場合
皮膚感覚が鈍麻する可能性が大きい
暑さ、寒さなどの感覚が感じられない
あるいは、人に触れられることが
「くすぐったい」「嫌」「気持ち悪い」「痛い」
と感じる傾向があるようだ
中には
まったく感じないという人もいる
人の様子を見ても、「暑そうだ」とか「寒そうだ」とか
「疲れているようだ」「しんどそうだ」なども読み取れないという
自分が体験している=マーキングされているから
人を見ても想像できる
痛さも暑さ寒さも体の不調も想像できる
それがないと見ても想像できないし
自分も鈍麻しているから怪我をしても痛さもさほど感じないらしい
ファッション感覚でタトゥーが流行したが
これも皮膚感覚が鈍麻している=マーキングがないことの証だと言えるだろう
蛇足になるが(豊富なデータがあるわけではないが)
産道の圧迫感を体験していなかったり、触れてもらう体験が希薄な場合、
その圧迫感を強く感じるようなこと
例えば、スキューバダイビングやスカイダイビングなどを好む
そっと触れるよりも、ぎゅっと強く抱き締められたいと思う
また、大人の性行為においてもこういった傾向が強くなることが予測できる
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
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