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【2024/03/19 13:19 】 |
437)心の自己治癒力

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「心の自己治癒力」 について書きます。  

人間の体は「自己治癒力」と呼ぶものを持っていると言われています。
それと同じように、心にも「自己治癒力」と呼べるものを持っているようです。
では、心の自己治癒力とはどのようなものか。
自動的に作動するものか否か。
自動的ではないとすると、どうすれば作動するのか。
これらについて今の時点で考えていることを書いてみます。

なぜ心にも自己治癒力があると言えるのか。
今はクライアントを通して学んだとしかいえません。
結果的にクライアント自らが治していくのです。
もちろん、分析家は理論に基づいた姿勢でその場にいます。
でも気づき治していくのはクライアント自身なのです。
クライアントと分析家は限られた時空を共有し、クライアントが語ることで時空を変化させます。
(語るのは言葉だけではありません)
その変化を分析家が受け止める。
その時空の中での変化がクライアントの自己治癒力を作動させるきっかけとなる。
この体験が共有の時空を離れても継続しているようです。
その何らかの変化を持って次回やってくる。
そしてまた自ら新たな刺激を作動させる。
その繰り返しの中で治癒していく。

目前の苦悩は表面に現れた症状と捉え、それを裏側で支えている何かを変化させれば症状も変わる。
その観点から、クライアントと分析家の限定された時空がクライアントの心の自己治癒力を刺激するのだと考えています。

その経験が限定的であり、非日常的な時空を設定するからこそ作動させることができるのでしょう。
自らの心の自己治癒力を作動させるきっかけは、日常のあちこちに転がっているのかもしれません。
ただ、それを自己治癒力を作動させるきっかけとするためには、ある特別な刺激が必要なのかもしれません。
その刺激を精神分析家は意図的に、しかもクライアントにそれと気づかせない形で用意していると言えるでしょう。

その刺激を受けるからこそ人は自ら治癒してくのではないでしょうか。

そのようなことを日々クライアントから学んでいます。
クライアントと分析家が意図的に時空を共有する場がセラピールームなのです。

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【2016/08/21 12:24 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
434) 比べない・評価しない・裁かない

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「比べない・評価しない・裁かない」 について書きます。 

家庭や社会の中での対人関係や、子どもや人を育てる上で大切な姿勢について考えてみます。
相手のためを思ってとの言葉とともに、陥りがちな三つのことについて書いてみます。

1. 比べる

一番やりがちなことでしょう。
家庭内では兄弟姉妹間、親戚や近所の同世代の人との比較。
社会では、同僚や会社、組織内での比較。
他には、過去の自分と今の自分、理想と現実、何らかの教義や主義主張と自分なども含みます。

2. 評価する  

学校や社会ではこれを中心に決定されることが多いかもしれません。
比べた後には必ずと言っていいほど評価をしてしまいがちです。

3. 裁く

比べ、評価し、そして最後に裁くと続きます。
結果、「だからダメだ」と否定して(されて)終了となります。 

「比べる」「評価する」「裁く」
これらの言語自体に良い(+)悪い(-)はついていません。
ただ多くの場合、これらの言語の前に(-)の符号をつけて使いがちではないでしょうか。
ですから、どうしても否定的な響きをより強く抱いてしまいます。
そして、最後は自他ともに「ダメだ」に辿りついてしまいます。

以上のことから、対人関係などにおいて自他ともに育てるために必要な姿勢がみえてきます。
まずは、
「比べない・評価しない・裁かない」

これらの連鎖をしない方法はまず「誰とも、何とも比べないことだ」と考えます。

人は比べたら評価したくなるし、評価したら善悪をつけて裁きたくなるものです。
だとしたら比べないのが一番。
そこにあるのは「差異」それだけではないでしょうか。

シニフィアン研究所ではこの観点から分析、レクチャーをしています。
 

【2016/06/27 15:05 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
429)無条件の愛の対象

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「無条件の愛の対象」 について書きます。
 

<ある日のローカル電車の中での光景から >

田園風景の中をガタンガタンと不器用な音を立てて走るローカル電車の中でのこと。
ある無人駅から乗り込んできたちょっと強面のおじさんが向かいの座席にドスンと座った。
機嫌悪そうな憮然とした面持ちで前を向いて座っている。
ちょっと関わりたくないなと思わせる雰囲気を漂わせていた。
なるべく視線を合わせないように気を付けながら、時折視線を泳がせていた。
その時はまだ、後に思いもかけない光景を目にするとは考えもつかなかった。
少なくとも私は。

しばらく風景が流れたある瞬間。
近くで可愛い「あ~」という声がした。
その声の方に目を向けると、赤ちゃんがそのおじさんの方に小さな手を向けていたのだ。
若いママの腕の中に抱かれた 生後まだ4・5か月だろうか、いわゆる赤ちゃんから一人分の座席を隔てた距離にあの強面のおじさんが座っていたのだった。
少し緊張したママが慌てた様子で赤ちゃんをあやしていた。
決して多いとは言えない乗客が少なからず一瞬息を呑んだように感じた。

次の瞬間、その場の雰囲気が一変した。
何と、あの強面のおじさんがまるで別人になったのだった。
深く刻まれた顔のしわが満面の笑みに変身をとげた。
そのまなざしは一心にその赤ちゃんの上に降り注ぎ、なんとあやし始めたのだった。
赤ちゃんはというと、笑い声こそ立てはしなかったが、じっとそのおじさんのまなざしにまなざしで応えていた。
ママも我が子とおじさんを交互に見つめながらそのまなざしに参加していた。
その時間は果たしてどれくらいだったろうか。

無垢で無邪気だとされる赤ちゃんの一声が、強面を一瞬で笑顔に変えた。
そのおじさんの心中は解らない。
ただ赤ちゃんの一声がおじさんの笑顔を引き出したことだけは確かなことだった。
言葉(意味)の世界に自ら参加していない存在が、言葉の世界に住まう大人にとって無条件の愛の対象として作用したと言えないだろうか。

緊張した場の雰囲気を一瞬にしてほっこりとした空気に変容させた現場を目撃した。
まだ寒さの残る如月のひと日の出来事。

twitterでもつぶやいています。https://twitter.com/rakuhomanami
シニフィアン研究所のHPもどうぞ http://signifiant-lab.com/ 

【2016/02/27 11:22 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
423)反抗&11月度関西出張

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「反抗」&「11月度関西出張」 について書きます。

反抗するのはそれまでの世界から脱皮し、新しく生まれ変わりたいとのメッセージであると考えてみます。
反抗するには様々な状況と理由があるでしょうが、何らかの違和感を感じているからでしょう。この違和感を一番感じるとされる青春期(第二反抗期)を例に考えてみます。

それまで周りから当然のこととして求められてきた道をそれなりに歩いてきた。
心身の成長と進路についての問いかけを一つの契機として浮上してくる可能性が高くなります。それまで何らかの違和感を感じていたことが一気に表面化する時期だといわれます。
その代表的な表現が「反抗」でしょう。
本人も訳わからず周りにまき散らす。
頭では分かっていてもコントロールできない。
その矛先はまず母親が多いようです。
よく聞くのが「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」
それに対して母親は「親に向かって偉そうに、一人で大きくなったつもりでいる、何様のつもり」などなど。

これは「もう保護し、一方的にコントロールする母は必要ない、脱皮の時期にきている」とのメッセージではないでしょうか。
母の束縛の世界を打ち破るための行動化でもあり、自らの頭で考え、自らの足で歩もうとする意志表示と捉えてみます。
そうすれば、反抗する子どもに対する見方も違ってくるのではないでしょうか。

ただ一つ成長と捉えるには条件があります。
それは、この反抗は言葉でなされることです。
行動が伴うことも多いですが、まずは言葉で反抗できること。
その代表が「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」です。
その言葉が出たら その言葉に従いましょう
口を止め、その場を去ることです。
そして、見守りましょう。
静観すること、それがその時期に母ができる最大限の行動です。

 

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

≪11月度関西出張のお知らせ≫

*10日(火)~12日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『自分を守る』 )

*9日(月)・13日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。 

 

【2015/11/09 12:20 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
421)語り続けたように子どもは育つ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「語り続けたように子どもは育つ」 について書きます。

「私は〇〇の性格だ」
「私は〇〇の人間だ」
このように自分のことについて様々な表現をします。 
そして、そのことについて普段は疑問を持つことは少ないかもしれません。
では、そのような自分についてのイメージ(自我) をどのようにして手に入れたのでしょうか。

例えば「私は明るい性格だ」と語ったとしましょう。
では、明るい性格というのはどのようにして考えるようになったのでしょう。
自分が思っただけで「私は明るい性格だ」と語れるでしょうか。
自分以外の他者から何度もそのように言われ、「私って明るい性格なんだ」といつしか考えるようになったのではないでしょうか。

このように、自分についてのイメージは実は他者から繰り返し言われることによって、それを自分の中に取り込んだと考える視点があります。
自分についての他者の語らいを取り込んで、自分というイメージを創り上げたと考えます。
これを「自我は他者の基で構成される」といいます。

「私は明るい性格だ」と思っていた性格は、実は他者が自分について語ったことだった。
つまり、自分についての語らいは実は他者の語らいだった
このようになります。

これを自分の子どもに置き換えてみます。
すると、将来どのような子どもに育つかの基本は、育てる人(養育者)の語らいによって決まる。このようにいえるのではないでしょうか。
優しい子どもに育てたいなら「あなたは優しいね」といつも語り続ければいい。
可愛いと思える子どもに育てたいなら「あなたは可愛いね」と語り続けましょう。
そうすればきっと語り続けたような子どもに育つことでしょう。

 

シニフィアン研究所 楽歩愛真 HP http://signifiant-lab.com/
Twitter  https://twitter.com/rakuhomanami

【2015/09/26 15:31 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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