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【2024/04/19 18:12 】 |
249)自殺を考える時―大津中学生いじめ、自殺に思う

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自殺を考える時」について書きたいと思います

大津中学生のいじめと自殺問題が、連日取り上げられ、
一部の掲示板では炎上と呼ばれる状況にまでなっているとのことです。
他にもいじめや自殺のニュースが毎日のように報道されています。


●「大津いじめ 26日から生徒聴取 滋賀県警、いじめ実態解明目指す」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120726-00000507-san-soci
●「中3男子にいじめ、鼻の骨折る…同級生3人逮捕」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120725-00000943-yom-soci
●「中2男子を殴る蹴る、同級生3人を逮捕・補導」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120725-00000957-yom-soci

これらの問題に関しては、今後の警察や裁判に委ね、注視したいと思います。
と同時に、亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被害に合われた関係者の方々の心中をお察しいたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

「人はどのような時に自殺を考えるのだろう?」
それは≪生きる意味を無くした時≫ではないでしょうか。

ここからは、自殺を考えた高校時代の自分を振り返り
今思うところを書いてみたいと思います。

思春期には、だれもが一度は「自分の生きる意味」を問いかけるでしょう。
「私は一体何のために生まれてきたのだろう」
「私は一体何者か」
「私は一体何のために生きているのだろう」
アイデンティティー(自己同一性)への問いかけです。

私が「自殺」を考えたのは、高校2年生の時。
大学進学を控え、進路について迷っていた時です。
自分の進む方向と、周りからの期待との軋轢に苦しんでいました。
この時が初めてではありません。

なぜか、物心付いたときから
「これでいいのだろうか?」
との問いかけを持ち、生きる意味を模索していたように思います。
高校進学の時も、迷いはありましたが、
いよいよ大学進学を前にして

その問いかけが、一気に浮上してきたのです。

それまでは、
親の敷いた安全な道(親が安全な道であると考えていた道)を強要され
それに抵抗することを一切許されず、仕方なく必死で走り続けるしかなかった道。
それへの不満と疲れが
私の限界を超えたのでしょう。
抵抗ではなく、諦めでした。
「もう私にはこの道しかないんだ」
と思った瞬間
「この世から逃避するしか私の生きる道はない」
と確信しました。
そこから「自殺」を考え始めました。

その後、どのようになっていったのかは別の機会に譲るとして、

人が「自殺」を考える時、
それはきっと
辛いから、苦しいから、難題を乗り越えられないからではなく
「生きる意味を見出せないと思った時」ではないでしょうか?
どんなに苦しく辛くとも、
そこに何らかの意味を持てたなら
人は本来、誰もが、どんな艱難辛苦でも切り開いていくパワーを持っていると思います。
心が強いとか弱いとかではなく
生きる意味を持っているか、いないかだと考えます。

その一例として
自殺はもちろんのこと、
うつ、引きこもりなどの人たちが
精神分析によって、生きる意味を持った時
間違いなく歩み始める姿を、何人も見ているからです。

シニフィアン研究所では精神分析によって
生きる意味を持つお手伝いをしています。
興味をもたれた方はこちらまでご連絡ください。http://signifiant-lab.com/
「思春期の悩み」のサイトも参照ください。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

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【2012/07/26 11:33 】 | 宛名のない手紙 | 有り難いご意見(0)
246)新しいカテゴリー「宛名のない手紙」

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、新しいカテゴリー「宛名のない手紙の紹介をしたいと思います。
               

ネット社会になった現在、「手紙」は一部の伝達手段になってしまいました。
そんな中で、あえて「宛名のない手紙」というカテゴリーを追加しました。
このカテゴリーでは、
私個人の体験を基に、
現在見聞きするニュースを通して
さまざまな人間の心模様と、
その叫びとでもいえる赤裸々な生の声を書いてみたいと思います。

思春期には、様々な葛藤、悩み、苦しみを誰にも言えずに胸の内に仕舞い込んでいる。
時には、親友と呼べる誰かに話したりもするけれど、
深い胸の内は、心に秘めている。
そんな想いがある閾値に達すると
外に向かって吐き出さずにはいられなくなってしまう。
それが、例えば「いじめ」「自殺」「非行」「不登校」「引きこもり」ではないでしょうか。
今も昔も、大人への階段を上っていく過程で
その若いエネルギーをどのように発散し、活用するかが問われます。
そして、一歩間違えればとんでもない問題へと発展していきます。
そのことは、時代が違っても同じではないでしょうか。

≪みんな、悩んで大きくなった≫のです。

遠い昔、交換日記というものが流行った時代がありました。
気の合った友だち二人、もしくは数人(異性間でもあった)で
一冊のノートに自分の想いを書いて交換し合うもの。
それとは別に、
自分だけのノートを作り、
そこに詩やエッセー、小説、思いつきなどをしたためたもの。
それらは、誰かに読まれるために書かれたものではなく、
日の目を見ることもなく、大半は忘れ去られる運命にあるものです。
何かの機会に発見されて、当時を懐かしみ、
「この頃は、若かったなあ~」
と振り返る程度でしょう。

出すあてのない、自分の赤裸々な想いを綴った手紙のようなもの。
それでいて、間違いなく自分が一所懸命に生きた証のようなもの。
そんなノートをひっくるめて「宛名のない手紙」と名づけてみました。

その性質上、
私個人の赤裸々な告白となるかもしれません。
物心ついた時から「これでいいのだろうか?」と問いかけ
悩み、自分の生きる意味を問いかけ、死に憧れたこともあった。
遺書まで書いたのに、死ねずにまだしぶとく生きている。
そして精神分析家(インテグレータ)となった今も生きる意味を問い続けている。
そして、

人間になりたい
人間でありたい
人間として死にたい

そんな叫びを聴いている日々です。
それらを自分の体験に置き換えて伝えたいと思っています。

ご意見、ご感想はこちらまでお願いします。http://signifiant-lab.com/
「思春期の悩み」http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
「不登校の子どもの母より」http://signifiant-lab.com/escape/
もあわせてご覧下さい。

【2012/07/23 14:51 】 | 宛名のない手紙 | 有り難いご意見(0)
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