シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
	精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
	           
	今日は、「オールOKと座禅」 について書きたいと思います。
	「オールOK」で子どもや人を育てることは、『座らない坐禅』をしているのと同じではないだろうか。
	このようなことを考えてみたいと思います。
	
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	*坐禅(ざぜん)とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。
	*日本での坐禅は、宗教・宗派とは無関係に精神鍛錬として認識され、寺などで僧が監視している中で坐禅を行う形をとる修行体験を、一般の人々向けに行っている。 黙想・瞑想するのではなく、自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事によって、自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、という精神性を持っている。仏教の空・無の境地、日本の神道の精神ともつながりがある。(wikipediaより一部引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E7%A6%85)
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	オールOKの基本は
	≪要求が出たら、敏速に的確に行動で応える≫です。
	つまり、自分の考えや思いは捨てて(無にする)相手の要求通りに行動することを意味します。
	これは、日常生活の中でする『座らない坐禅』だと言えないでしょうか。
	・もっと言うことを聞いて欲しい
	・勉強してほしい
	・良い子になってほしい
	・ゲームばかりしないでほしい
	・手伝いをしてほしい
	・早く手が離れてほしいetc
	相手の要求にオールOKで応えることは、
	これら自分の思い(自我)をすべて捨てて、相手の言いなりに動くことでもあります。
	これは、まさしく上記の『自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事』
	と同じではないでしょうか。
	つまり、オールOKで子どもに向き合うことは
	日常生活の中でする『座らない坐禅修行』と同じだと思えるのです。
	子どもは、親にとって
	『自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、という精神性』
	に気づくようにと、鍛えてくれている貴重な存在ではないでしょうか。
	「オールOK」していると
	子どもに与えるばかりで、自分はしんどいだけで、何も与えてもらえない。
	との想いを持つかもしれません。
	そんな時、
	『座らない坐禅をしている』と考えてみたら
	ひょっとしたら、また違って感じられるかもしれません。
	今回は、このような観点から考えてみました。
	いかがでしょうか?
	ご意見、ご感想はシニフィアン研究所までお寄せください。http://signifiant-lab.com/
	「オールOK子育て法」はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/
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