忍者ブログ
  • 2016.12
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2017.02
364)愛―母の笑顔が無上の喜び

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「愛―母の笑顔が無上の喜び」 について考えてみます

子どもは母の笑顔が見たい。そのためにはどんな我慢だってする。
母の喜びは自分の喜び、母の仕合せは自分の仕合せと思う。
母がいつも笑顔で、自分の傍にいてくれたなら、、、、、
それは無上の喜びである。
それがすべての子どもの願いであり、仕合せである。
このようなことを考えてみたいと思います。

「あなたの喜びはわたしの喜び」
「あなたの仕合せはわたしの仕合せ」
このような表現を聞いたことがあると思います。
例えば、相思相愛の二人もそうでしょう。
愛し合う関係です。
これを鏡の関係といいます。

母が仕合せだったら、甘えられたのに、わがまま言えたのに。
母の笑顔が見たくて、冗談を言っておどけて見せた。
母が少しでも喜ぶように頑張ってきた。
母が仕合せじゃないのに、自分が仕合せになることはできない。
このように語った人達がいます。
これらは
絶えることのない願いであり、子どもの心から片時も離れることのない想いです。
禁止されてもなお、心の深奥にくすぶり続けるやっかいなものでもあるようです。

母は何かを求めながら、未だ手にしていないと思ったから、
その何かを自分が与えたいと願う。 
その母への想いが後に、他の人やものに置き換わっていかざるを得ないとしても、
心の根底では決して消え去ることはないといわれます。
この母への絶えることのない熱い想いを「愛」と呼ぶにふさわしい気がします。
もし、子どもが母にとって都合の悪い子だったとしても、
もし、子どもが反抗し、無理難題を突きつけたとしても、
もしかしたら、母への想いが届いていない、理解してくれていないとのメッセージかもしれません。
この想いが少しでも母に届いたなら、
そして、少しでも母が理解しようとしてくれたなら、
わたしはどんなに仕合せになることだろう。

母へのこの想いが、やがては他者への想いへと広がっていくなら、何て素晴らしいことでしょう。
あなたの喜びは、私の喜びであり、
あなたの仕合せは、私の仕合せとなる。
そして人はそれを「愛」と呼ぶでしょう。

あなたには愛する人が居ますか。
あなたを愛してくれる人がいますか。

最後にシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の中のブルータスの言葉を引用したいと思います。

『シーザーが私を愛したので、彼のために涙を流す。
彼が仕合せだったので私はうれしい。
彼が勇敢だったので、彼を尊敬する。
しかし支配欲が強かったので、彼を殺した。』

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/

PR
【2014/01/25 21:49 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
<<365)自分を変えるために環境を変える | ホーム | 363)自分のものになって初めて分かる>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>