シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
	精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
	           
	今日は、「虐待、育児放棄をなくすために」 について書きたいと思います。
	乳幼児の虐待や育児放棄が、かつてないほどメディアで報道されています。
	昔も、状況は違えどもあっただろうと推測されます。
	それにしても、あまりにも多すぎる印象を持たれているのではないでしょうか。
	「虐待や育児放棄するなら、なぜ産んだのか」
	といった言葉も聞こえてきます。
	
	≪虐待や育児放棄≫を『甘えと依存』という側面から考えてみたいと思います。
	繰り返しになりますが、
	すべての人にとって『母』が最初の欲望(愛)の対象であり、
	そして、『母』その人自体は禁止される対象でもあります。
	それゆえ、その欲望(愛)の対象を母以外の人(もの)に置き換えてゆく。
	この「母を求める欲望(愛)」の原初的代表が『甘えと依存』だと書きました。
	
	つまり、
	身体的に求めあう男女は、この欲望(愛)の置き換えであり、
	互いに『甘えと依存』を再現している姿だと捉えてみます。
	すると、
	妊娠・出産・育児はその行為の結果であり、
	当然、二人が共に「引き受ける覚悟と自覚」が要求されます。
	言葉を代えて言うと
	育児は『甘えと依存を求めるわが子に与えること』を引き受けることでもあるのです。
	
	ここで、もし、自分が『甘えと依存』の再現だけを求め、
	与えることを引き受ける覚悟と自覚を持たないまま
	妊娠・出産・育児が現実のものとなったならどうでしょうか。
	
	特に、育児は24時間待ったなしに、ひたすら与え続ける状況が続きます。
	この現実は「可愛い」と思える気持ちを掻き消してしまう。
	「欲しいのは子どもではなく、この私だ」
	「もう嫌だ、逃げたい」
	可愛いはずのわが子は、
	やっかいなもので、自分を邪魔するもの、奪取するもの、排除したいものとなってしまうのではないでしょうか。
	
	このような気持ちの連鎖が止められなくなった時
	結果的に
	虐待・育児放棄と呼ばれる状況を作り出してしまうと考えられます。
	
	この観点から見た時、
	虐待・育児放棄をなくすためには、
	『甘えと依存』を求めていることを自覚し、
	その気持ちを得る方法が他にもあることを知ることと同時に、
	『甘えと依存』をいかに断ち切るか、ではないでしょうか。
	これが、養育する側、
	ひいては社会に求められることだと思うのです。
	
	シニフィアン研究所ではそれらについての具体的な相談、勉強会をしています。
	詳しくは
	シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/ 
	(むかい あい)までお問い合わせください。
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