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人は精神的にどこまで成長するのか?
そもそも成長というコト自体あるのだろうか?
何をもって成長というのだろうか?
こんな問いかけを持った
発達論的観点から口唇期欠損だとか肛門期の関係障害、エディプス期の葛藤
あるいは、自己愛パーソナリティーなどなど様々な表現がある
それらすべて言語によって後に再構成されたものという考え方もある
ただ日々の臨床の中で感じることは
成長という一つの概念によって説明可能な事象が多々あるということ
人は通常、日常生活の中で言語を使って意思疎通し、特に問題もないかのように過ごしている
そんな中、時としてその日常言語を、まるで初めて理解したかのように気づく瞬間がある
その時、
今まで使っていた言語は一体自分にとってなんだったのだろうか?と感じる
知っている、理解しているはずの言語が
新鮮な言語として響く瞬間、違った世界が垣間開くかのようだ
そして、
「どうして今まで気がつかなかったのだろう」
「それを引き寄せたのは私です」
「それを選んだのはこの私自身です」と語る
そう語った時から
その人は、自らその事態を書き換え、行動化してゆく
その姿の中に「成長」という言語を観た気がした
人は身体的年齢に関係なく成長してゆく存在であると痛感した瞬間でもあった
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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