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【2024/04/25 20:00 】 |
明るいは暗いを内包している

自己紹介をするとき
「明るい性格です」
「楽天家で悩んだことはありません」
などと語る人がいた場合
どんな人だと想像するだろうか?
言葉通りに「明るい人なんだ」「楽天家なんだ」と受け取ることもできる。
 
ここで、「明るい性格」という言語を選択する場合のことを考えてみよう。
・人から「明るいね」と言われることが多く、「私って明るい性格なんだ」という経験値を重ねてきた。
・明るい性格だと思って人との対人関係を築いてきて支障がなかった。
・明るい性格に相応しいとされる自分の言動に対して疑問を抱かなかった。
これらのことから「明るい性格である」と自己規定してきたと考えられる。
 
「明るい」という言語を考えた場合、その反対の「暗い」という言語を思い出さないだろうか?
「明るい」という言語は「暗い」に対して使われることが多い。
明るさが常に一定だった場合、人は「明るい」とも「暗い」とも語らないだろう。
「明るい」と語る場合、それよりも明るくない(=暗い)ものがあることを意味する。
つまり、AよりもBの方が明るい、あるいはAの方がBよりも暗いと表現する。
すなわち、「明るい」は「暗い」を内包しているとも言える。
「明るい」という言語は「暗い」に対して存在することになる。
 
以上から、「明るい性格」だと語る人の心の中では
それに対する「暗い性格」という言語が内包されていると言えないだろうか?
「明るい」を強調すればするほど、「暗い」を抑圧、否認している。
抑圧、否認するものは無意識界へと押しやられ、錯誤行為などによって表面化する。
その観点からいえば、その人の出会う人、ものは「暗い」が多くなるであろうと予測できる。
 
この観点から、
出会う人を見て、自分が気になる部分は自分にも内包されているのでは?
と自分に問いかけてみよう。
そうすれば、何かが見えてくるだろう。
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/
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【2011/09/17 09:00 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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