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【2024/04/26 07:49 】 |
言語は自分と他(対象)を文節、切断する機能
「これは花です」と言う時
「これは花であり、私ではありません」ということ。
つまり、私と花は同一ではなく、別のものであることを意味する。
「あなた」というと
私とあなたは別の人間ですということである。
 
当たり前だと思うが、これが案外そうでもないようだ。
 
私とあなたは別の人間だと思っているのなら
あなたが「悲しい」と言って泣いたとしても
それは「あなたが悲しい」のであって、私は悲しいわけではない。
なのに、時にはどうしてもらい泣きするのだろうか?
腹が立ったと怒りをあらわにしている人の話を聞いて
どうして同じように腹を立てることがあるのだろう?
 
それは、その瞬間、私の心があなたの心と一体になったからではないだろうか?
つまり、私とあなたが融合して一つになり、私もあなたもなくなった状態を意味する。
私はあなたの悲しみと一体化し、怒りと一体化する。
人はこのようにいとも簡単に対象と一体化する。
また、対象だけではなく、過去の自分自身とも一体化する。
その一体化の中にとどまり、抜け出せなくなったとき、
悩み、苦しみ、迷いなどが生まれてくる。
 
この時、誰かに語ることによって少しは楽になるのは
語ること=言語化することによって、一体化の状態から抜け出す(切断される)ことになるからだ。
ただ、一時的に抜け出す(切断される)だけにすぎない。
それは他者と思っているが、実は自分の姿を見い出している他我に過ぎないから。
語ることによって何がきっかけか分かるかもしれないが
なぜそのことに一体化するのか、抜け出せないのかはまず分からないことが多い。
 
とまれ、
言語はこのように私と対象を切断する機能がある。
 
シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/
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【2011/08/29 22:11 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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