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【2024/05/10 16:15 】 |
182)自己規定への急き立て
人は常に「自己規定せよ!」と急き立てられている
自己規定」というと、凄く大変なように感じるかもしれないが
例えば「選択する」という言葉に置き換えて考えてみると
なるほど!と思うのではないだろうか?

朝起きることから始まって
学校や会社に行く
塾や習い事に行く
すぐに家に帰る、寄り道する
テレビやゲームをする
お風呂に入る
寝るetc
挙げればキリがない

それほど、私たちは瞬時に選択を迫られている
選択するとは決めるということでもある
それほど、「自己規定せよ!」
と迫られていることになる
「好きor嫌い」「したいorしたくない」に関わらず
「選択」しないことには動けないし、先に進まない
だから
時には積極的に「するorしない」と決め
時には消極的に仕方なく「するorしない」と決めている

それだけではない
必ず「タイムリミット」がある
その他大勢(社会)の決めた「タイムリミット」である
人は皆「タイムリミット」にも急き立てられている

「選択」「タイムリミット
この二つの急き立てに追い立てられて
積極的、消極的に限らず、
自分で、選択させられ、決定させられ、規定させられている
これも「自己規定」だ
些細な事柄から重大な事柄まで
ありとあらゆる事柄に対して
自己規定せよ!」と急き立てられている
自分のペースで決めたいのに
社会のペースで決めるように急き立てられている

ソレに対して「NO!」
と叫んでいるのが
「不登校」
「引きこもり」
「うつ」
「ニート」
などの人達であろう

自分のペースで、自分が納得して「自己規定」したい
なのにいつの間にか
自分以外の誰かのペースと意思で決められている
自己規定したと思い込まされている
このことに気付き
それは嫌だ!
そのように叫んでいる人達だと言える

しかし、だれもその声を聴こうとしない
なぜだろう?
それは
自分も同じ想いを持っていることに気付くのを怖れているからだ
だから
問いかけられる前に、誰よりも早く「自己規定」して駆け抜けようとする
「私はこれで良いんだ。あいつとは違うんだ!」
そう叫んで駆け出す

人は皆
このような「急き立て」と「自己規定」を迫られる中に生きている

「NO!」と叫んでいる人、叫びたいと思っている人たちの声を聴くのが
精神分析であり、インテグレーターなのです
シニフィアン研究所のHPを参照ください。
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【2012/05/15 20:21 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
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