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【2024/04/27 04:34 】 |
362)エネルギッシュに何でもうまくいく方法

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「エネルギッシュに何でもうまくいく方法」す。

明日から仕事始めの方も多いと思います。
今年も自分の立てた目標に向かって突き進みましょう。
そのために、エネルギッシュに活動し、何でもうまくいく方法をお伝えしたいと思います。
これは私の考えではなく、かのフロイトがおよそ100年前に書いていることです。

『エネルギッシュで何でもうまくいく人というのは、その活動を通じて、欲望についての空想を現実に置き換えることに成功している人なのです。』(「フロイト全集」より一部引用)

私たちは、社会の中で生きていくために共通した文化や価値観、道徳、規則などを守るようにしつけられます。
つまり、自分の気まま放題に生きることを禁じられるといっても過言ではないでしょう。
そのために、時々の自分の欲望や要求を我慢しなければなりません。
それらの我慢した欲望や要求は一体どこへいくのでしょうか。
フロイトは、空想の中でそれらの欲望や要求を成就させようとする

それがうまくいかない場合、現実に背を向け、より満足できる空想の世界へと引きこもる。
あるいは「身体の症状」に置き換える。
また、芸術的才能と結びつけば、空想を芸術的な創造へと置き換えることも可能だとも書いています。

そして、その空想をうまく現実に置き換えられた人が、エネルギッシュに生き、何でもうまくいく人だと書いています。

これらの言葉から考えると、何でもうまくいくにはどうしたら良いか見えてきます。
自らが我慢している欲望を知ること。
そして、その欲望を知ったなら、現実世界の中でどのように活用するかを考えることだと思います。
それがみえたなら、きっとエネルギッシュで何でもうまくいく。
なぜなら、フロイトがそのように書いているのですから。

今年は、そのフロイトの言葉を素直に受け入れ、その言語に従って実践してみませんか。
そうすれば、必ず何らかの結果が出るでしょう。

シニフィアン研究所は、自らの欲望を知るための一つの場でもあります。
興味を持たれた方は、HPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
明後日7日から9日までは関西に出張します。

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【2014/01/05 14:22 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
359)認めたくない自分―抑圧

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

 今日は、「認めたくない自分ー抑圧」 ついて考えてみます。

フロイトは、無意識の中には意識から妨害されている何らかの力があると考え、そこから「抑圧」という概念を考えました。

ある人の話を通してこの「抑圧」について考えてみたいと思います。
あるAさんが語りました。
不思議なんですが、『米倉涼子』の名前がどうしても出てこなくて、代わりに『広末涼子』の名前が出てくるんです。
も一つあります。『富永』という名前の友達を思い出す時、なぜか『南方』と言ってしまうんです。

これを、フロイトの言う「言い間違い、度忘れ(錯誤行為)」という観点から考えてみるとどうなるでしょう。
『米倉涼子』と『広末涼子』は「涼子」つながりで『米倉』を抑圧していると考えられます。
『富永』と『南方』はひらがなにしてみます。
すると、「とみなが」と「みなかた」で「みな」が共通し、「か」と「が」が似ています。
このように考えてみると、Aさんが抑圧している言語が浮かび上がってきます。
それは「米」「倉」「富」「永」
これらを合わせて考えてみると『豊』という文字が透けて見えるようです。
つまり、Aさんは「貧しい自分」と感じている状況があri
「そんな自分を認めたくない、受け入れたくないと感じていることが予測されます。
そして、確かにAさんが語った時期には、このように感じられる状況の中に居て、それを認めたくない無意識の働き(認めれば惨めな自分)があったようです。

このAさんの例のように、フロイトは、日常生活の中の何気ない言い間違いや度忘れなどの錯誤行為の中に「無意識」が現れ出ていることを発見しました。
これらの錯誤行為によって、「抑圧」された何らかの無意識
が意識の隙間から顔を出していると考えたのです。

このような錯誤行為は、誰の日常生活の中にも多々見られるものです。
しかし、誰にでもあることだと気にも留めないのが通常でしょう。
でももし、自分の無意識に興味を持ったなら、これら錯誤行為に意識を向けてみることも一つの方法でしょう。

無意識の中には自らが認めたくない、知りたくないという何らかの力「抑圧」が働いていると考えたフロイトの解釈はとても興味深いのではないでしょうか。

ちなみに、Aさんはこのことに気づいた後、状況はすぐには改善しないながらも、心豊かに生きたいと決めたそうです。

自分を知りたい、無意識と言われるものに興味を持たれた方は共に学びませんか。
シニフィアン研究所のHPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
 

【2013/12/16 13:34 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
353)開く・プラス思考・希望・未来へ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

 今日は、「プラス思考・開く・未来へ・希望」 について考えてみます。

人は困難や障害物に出合った時、それらに向き合い、乗り越えてゆくという決意と勇気を必要とします。
ややもすると、あまりの強大さに圧倒されることもあるでしょう。
乗り越えてゆく勇気も希望も持てないかもしれません。
心が折れてしまうこともあるでしょう。

困難に直面した時、
弱気になり、それがマイナス思考を生み、過去に捕らわれ、消極的になり、心閉ざし、そのスパイラルを強化してしまう。
その先に見えるのは絶望しかない。
いっそ死んでしまった方がどれだけ樂だろうという想いが頭をかすめるかもしれない。
それでも生きていかなければならない現実がある。
「天涯孤独だったら死を選べるのに、それさえもできない現実が恨めしい」
このように語った人がいました。
辛い、苦しいという言葉さえも出てこないくらいの辛苦。

こんな時、どうすればよいのか、何ができるのか。
どうすることも、何もできないのか。
プラス思考に切り替え、心を開き、未来へと希望を持つにはどうしたらよいのか。
弱気を強気に、消極的を積極的へ、マイナス思考をプラス思考へと換える。
過去よりも未来へ、絶望から希望へと心を向け換えるにはどうしたらよいのか。

艱難辛苦は人の心と体を硬く冷たくします。
それらを和らげるには、まずは温めることではないでしょうか。
硬く冷え切った心身を緩めるのは、「人の温もり」。
温かい肌の温もり、温かい食事、人の心の優しさ(優しい言葉)。
それらが心身を緩め、凍てついた心と身体を解凍させる。
その時、人は癒され、温まり、今生きている自分を感じる瞬間ではないでしょうか。
そうすれば、いつか
心開き、前を向き、未来への希望を持ち、それに向かっての一歩を踏み出すことでしょう。
前へ、前へ、そしてもっと前へ!
その時、目の前にある未来はきっと明るく輝いて映ることでしょう。

ご意見・ご質問はシニフィアン研究所 迎意愛までお寄せください。
こちらです。 http://signifiant-lab.com/

【2013/10/19 11:19 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
350)自分をコントロールする

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

 今日は、「自分をコントロールする」 について考えてみます。

ある人が「自分をコントロールできない」と言っているのを耳にしました。
自分をコントロールするとはどういうこと?
自分の何をコントロールするのでしょうか。
たいていは、「感情」もしくは「行動」を指すのではないでしょうか。
「行動」は「感情」を元に表現されたものだとするなら、
「自分の感情をコントロールする」と考えて良いと思います。
そして、コントロールする必要性を求められるのは特に「負の感情」、例えば怒りや憎しみ、恨みなどが考えられます。

では、自分の負の感情をコントロールするとはどういうことを指すのでしょうか。
フロイトは「欲動は緊張の解放以外に帰着することはなく、逃避によっては達しされないものである」との意味合いのことを書いています。
欲動と感情とは同じではありませんが、外からの刺激に対して何らかの緊張が生じ、それがある感情を呼び起こしたと考えた時、その感情は開放することでしか、緩和されることはない、と読み替えてみます。

かといって、感情をそのまま出したら、対人関係はうまくいかないことは目に見えています。
子どもっぽい、わがまま、気ままだと受け取られてしまうことでしょう。
だから、負の感情は出してはいけない、押さえましょうと教えられがちです。
それが大人だ、できた人間だ、いい人だ、素晴らしいと褒められるかもしれません。
そうなると、益々負の感情は出せません。
いわゆるストレスと呼ばれるものが溜まり続けることとなります。
辛いです、苦しいです、爆発してしまいそうになります。
でも、我慢しなくちゃ、、、
いつか限界がやってくることでしょう。

他に回避する方法はないのでしょうか。
あります。
それは「言語化すること」です。
感情を、緊張をより適切な言葉に置き換えて相手に伝えること。
刺激からくる緊張を開放する=言葉に置き換えて伝えることです。
完全な解放はないかもしれませんが、少なくともある程度の負のエネルギーは開放されることでしょう。

以上から、感情をコントロールするとは、感情を抑えたり、書き換えたりすることではなく、適切な言葉に置き換えて伝えることではないでしょうか。そこから対話が生まれ、理解と解決へと繋がる可能性が開けると思うのです。

ふと耳にした言葉から「自分をコントロールする」ということを考えてみました。
ご意見などはシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
こちらです。http://signifiant-lab.com/

【2013/10/06 23:19 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
349)時間と空間

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

 今日は、「時間と空間」 について考えてみます。

人は時間的・空間的存在だといわれます。
時間的存在であるとは、歴史的存在であること。
自分の人生という歴史がそこには存在している。
昨日までと今日、そして明日。これらが時間経過と共に繋がっていて、記憶としても連続したものだと思えること。ごく当たり前のことのように思っているかもしれないけれど、少し考えてみるとどうでしょう。

今日までの記憶が繋がって思い出せるかどうか。
昨日のことなら思い出せるかもしれないけれど、一週間前はどうだろう。一か月前は。一年前は。
このように考えてみると、どこかで繋がっていない、思い出せない記憶にぶち当たる。
歴史的、時間的に繋がっていることは、間違いないはずなのに、、、、
通常はこのようなことは、問いかけもしないし、疑いなどしないことでしょう。
時計、カレンダー、写真、DVDなどの記憶媒体によって確かめられもするから安心している。

空間に対してはどうでしょう。
私たちは自分の肉体も含め、平面的よりも立体的な世界に生きている。
だから空間的世界に生きていると思っている。
キャンバスに描かれた絵画を見ても、立体的な世界をその中に想像できる。
しかし、よく考えてみると、不思議な気もしてきます。
いつ、時間概念や空間概念を身に付け、疑うこともなく生活しているのでしょう。

マーラ―という人によると、
これらの感覚が形成されるのは、生後22か月~36か月の間だとされています。
その時期になると、「あとでね」とか「また明日」を理解するようになるという。
生まれてから数年をかけてこれらの概念を理解できるようになってくるということになります。

当たり前のことのように考えているかもしれないけれど、
時として「心の時計が止まっている」とか「まるで昨日のことのように思える」「壁が迫ってきて窮屈に感じる」「空気に押しつぶされそうになる」などと言うことがあります。
もちろん、時計が止まっているわけでも、空間が狭くなって
いるわけでもありません。
その時、その人にとってはそのように感じられるということです。
このような経験は誰でも少なからずしていることでしょう。
時計が間違いなく時を刻んでいても、建物が通常動くことはないとしても、
人が感じる時間や空間は容易に変化し得るのです。
それほど危うい世界に生きているといえるのかもしれません。

今ここに居る、今この時を生きているとの意識をどれだけ持っているでしょうか。
日々の目の前の役目や役割に翻弄されているとはいえないでしょうか。
それは受身的な生き方のようにも思える。
自ら能動的にしているつもりかもしれないけれど、実は「仕方ないから」「しなければいけないから」との急き立てのようなものに追いかけられてはいるのでは?
自分がしたいことをどれだけしているでしょうか。
このように問いかけてみた時、時間的・空間的存在である自分を見失っているかもしれないことに気づくのではないでしょうか。

思い出せない記憶が多すぎるとき、それは「精神の骨粗鬆症」とでも言えるように思います。
時間的・空間的存在である人生という歴史をどれだけ充実していると思っているでしょうか。
充実しているとは、中身が詰まっていると言い換えることもできるでしょう。
それは、それまでの自分の歴史を豊かなものとして記憶していることでもあると思うのです。
消してしまいたいと思いながら生きてきた時間・空間と、忘れたくないと記憶してきた時間・空間を考えた時、内容はともかく、どちらが充実していると思えるかはいうまでもないことでしょう。

記憶と記憶の隙間は誰にでもあること。
その隙間を埋めたいと願うなら、精神分析という対話療法はおあつらえ向きだと思います。
何らかの理由によって、自分の心から追い出したり、深く埋めてしまった記憶を、自分主導で緩やかに思い起こす方法だからです。
知りたい、埋めたいとの気持ちを諦めない限り、時間的・空間的存在であることを理解し、その内容にかかわらず、きっと充実感を味わえると思います。

時間的・空間的・歴史的存在である私たち人間は、ややもすると日々の生活に追い立てられ、急き立てられ、そのことを忘れてしまっているのかもしれません。
今回はこのようなことを考えてみたかったのです。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。 http://signifiant-lab.com/

【2013/10/05 11:07 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
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