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【2024/05/07 17:36 】 |
325)自責・罪責感―自分を裁くのは自分

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「自責・罪責感―自分を裁くのは自分」について書きたいと思います

自分が嫌になりました。
自分が悪いんです。
私の責任です。
自分さえ我慢すればうまくいく。

このような言葉をどれだけ語ってきたことでしょう。
すべては自分に原因がある。
時にそうかもしれません。
でもすべてではないはずです。
それでも、つい自分を悪者にしてしまう。
いつの間にか自分を責めている。
そして、自分に『ダメだ、これではいけない』と言い聞かせ、
どれほど罪責感に苛まれてきたことでしょう。

時には逆に
自分のせいではない、相手が悪いんだ。
と叫んでみても、やっぱり自分に戻ってくる。
まるでブーメランのように。
とうとう、そんな自分に愛想が尽きて座り込んでしまう。

一体、なぜこのような自責・罪責感に捕らわれてしまったのでしょう。
それは自分の中にある、もう一人の自分。
それらは、かつて親や周りの大人からの言葉だったかもしれない。
しかし、いつの間にか誰かを離れて(脱人格化という)
その言葉だけが自分の心の中に棲みついてしまった。
その言葉が、語りかける。
≪お前が悪い、すべてはお前の責任だ。≫
≪お前さえ我慢すれば、すべてうまくいく。我慢しろ。≫
≪ダメだ、ダメだ。もっと努力せよ≫
このように囁き続ける。

そんな自分の中の声は、すべて捨てましょう。
そして、自分に向かって言いましょう。
≪そうよ、これが私よ。こんな私だからこそ、私なのよ。≫
≪私はわたし、ほかの誰でもない。≫
≪こんな私かもしれないけど、こんな私でいいのよ。≫
まずは、自分の中のもう一人の自分に語りましょう。
まずは、自分で自分を許してあげましょう。

そうしたら
わがままで、自分勝手で、お調子者で、おっちょこちょいで、早とちりで、
目立ちたがりで、自己顕示欲がめちゃめちゃ強い。
だからこそ、ほかの誰でもない私。
こんな自分と和解しようと思う。
こんな自分を許してあげようと思う。
こんな自分だけど、「まあいいや」と微笑んであげよう。
こんな自分から出発しようと思う。

そう思えたら、心が軽くなった。
何だか頬が緩んできた。
笑いが込み上げてきた。
思いっきり笑った。
声あげて、お腹抱えて笑った。
涙が出てきた。
悲しくもないのに、嬉しくもないのに、なぜか涙が溢れてきた。
そして、自分に言った。
【おめでとう!ようこそ私。これからもよろしくね】

誰よりも自分を許さなかったのは自分。
誰よりも自分を裁いたのは自分。
誰よりも自分を責めたのは自分だった。
それに気づいたから、許してあげた。
もういいよ。
これからはお互い楽しもうね。
これからお互い嬉しいことを探そうね。

融けはじめた雪が、太陽に眩しく反射して、
私の心も解け始めた。

あなたは自分を責めていませんか?
自分が我慢すればよいとどこかで思っていませんか?
ふと足が止まった時があったら、一度問いかけてみませんか。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
埼玉県を中心に全国へと発信しています。

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【2013/02/13 14:31 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
310)木村荘八―大震災と下町の風景

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「木村荘八―大震災と下町の風景―生きる意味 について書きたいと思います。

11月20日放送の「開運なんでも鑑定団」で木村荘八21歳の油絵が紹介され、
その時の鑑定士永井龍之介氏が木村荘八について語ったことが耳に止まりました。
それは
「木村荘八は1923年の関東大震災後、二度と戻らない下町の風景を描くようになった」
という内容です。
木村荘八(以下荘八と呼ぶ)と下町の風景の関係を通して、『生きる意味』を考えてみたいと思います。

荘八にとって東京の下町の風景は、生まれ育った馴染みの風景であり、
関東大震災により失われ、二度と戻らない風景となってしまった。
それまでは、特別な思い入れがあったとの認識はなかったかもしれない風景。
それが完全に失われ、二度と見ることができないものとなってしまった。
どんなに復興しても、元の下町は二度と見られない。
それゆえ、絵や文字で表現するしかない風景となってしまった。
つまり
『失ってしまったがゆえに、欲望する対象となった』
荘八は絵や文字を描くという行為によって、再現する対象となった。
それが荘八にとって絵や随筆を描く意味=洋画家、随筆家、版画家として生きる意味となった

荘八にとって生きる意味とは、失われた下町の風景の再現であり、
それは元の下町ではないがゆえに、永遠に尽きることのない欲望の対象となった。

この荘八のように、『永遠に失ってしまったもの』があるからこそ
それをもう一度取り戻したいと欲望する。
その欲望を持つことが、その人にとっての生きる意味となるのではないでしょうか。

生きる意味がないと思っている人、
見つからないと考えている人、
生き方に迷っている人、
誰にも必ず『永遠に失ってしまったもの』があるはずです。
それを探しませんか。
そこにあなたの生きる意味を見い出せるかもしれません。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
精神分析という対話療法で『永遠に失ったもの』を知ることが可能です。
「私と精神分析」もご覧ください。http://agency-inc.com/analysis6/

【2012/11/26 17:09 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
305)透明人間-幽霊(ファントム)になる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「透明人間-幽霊(ファントム)になる について書きたいと思います。

「あなたにとって私って何?」
「私が存在している意味はあるの?」
このような問いかけをしたことはありませんか。


これらの問いかけに対して、他者から
「私にはあなたが必要だ」→「あの人には私が必要だ」
「あなたに居て欲しい」→「私はここに居て良い」
と言われた(思えた)なら、
自分の存在を肯定し、存在している意味を見い出すことができるでしょう。

ところが、話しかけたのに無視されたり、否定されたり、拒否されたり、途中で遮られたら、
自分の存在を否定されたように感じたり、
存在している意味がないと思ってしまう可能性があります。
少なくとも、語りかけた相手にとって、自分という存在は必要ない。
つまり、存在している意味はない。
このように感じてしまう。
そうすると
一気に自分の存在が透明になり、その場から消えたくなってしまう。
これが、ここでいう≪透明人間≫であり、幽霊(ファントム)です。


悩みを抱えた人たちの話を聞いていると
「消えたい(逃げたい)」「消えてしまいたい」「居場所がない」という言葉をよく聞きます。
それは
体はその場にあるけれど、その場に居る意味がない。
=透明人間=ファントム(幽霊)と等価であるといえるのではないでしょうか。

このように、「無視」「否定」「拒否」「切断」は、人を
透明人間=幽霊(ファントム)=人間でないものにしてしまう可能性があります。
そうならないためには
「肯定」「承認」「受容」が必要であり、
その前提として『よく聴くこと=傾聴』が大切だと言いたいと思います。


聴いてくれる場所がありますか。
聴いてくれる人がいますか。
透明人間になっていませんか。
幽霊(ファントム)になりつつありませんか。

シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
要請があれば、全国どこへでも出張します。
詳しくはこちまでお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/#8

 

【2012/11/12 11:33 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
298)ハングリー精神と欲望

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「ハングリーと欲望」 について書きたいと思います。

かの有名なスティーブ・ジョブスもスタンフォード大学の卒業式で、
「ホール・アース・カタログ」から引用して言いました。
≪ハングリーであれ。愚か者であれ。≫と。(http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4参照)
この「ハングリー」な精神が欲望を生み出すことを書きたいと思います。

「ハングリー精神」の言葉を耳にしたことがあると思います。
特に、物質的に満たされた時代に生きていると、失われがちだと言われます。
ハングリーな精神はどのような時に湧き上がってくるのでしょうか。
例えば、
満たされていない、足りないと思った時でしょう。
ということは、
満たされている、足りている状態を知っていることになります。
過去の自分と比べたり、他者と比べたりしていることになります。
つまり、
「ハングリー」であることを意識するためには
満たされた状態を知っていることが必要です。
それと比較して、自分はハングリーであると自覚できるのです。

自分がハングリーであるからこそ、満たされたいとの欲望が湧いてくる。
空腹だからこそ、満腹感を味わいたいと欲望するのです。

ハングリー精神は欲望を湧き上がらせる原動力だと考えられます。
欲望は人を行動へと駆り立てることでしょう。
そして、模索や興味、好奇心や探究心を呼び起こすことでしょう。

このように考えてくると
人が行動するには、好奇心や探究心が必要であり、
好奇心や探究心は欲望が動因となり、
欲望はハングリー精神から湧き上がり、
ハングリー精神は、満足の状態を必要とする、
と考えられます。


ちょっと先まで進んでしまいましたが、
ここでは、ハングリー精神は欲望を生み出すことを書きたかったのです。
ハングリーであることは、人を何らかの行動へと繋いでゆくために必須だと言える。
だからこそ、決して満足しないこと。
それは逆に、常に比較参照項として満足を必要とすることだとも言えるでしょう。


満足を知っていますか?
ハングリーですか?
欲望を知っていますか?
あきらめていませんか?

これらの問いかけを持ったなら
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
勉強会、講座もあります。http://signifiant-lab.com/#10
やさしい精神分析講座 http://signifiant-lab.com/#11

【2012/10/27 16:22 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
291)自分が壊れてしまう不安や恐怖ーまとまりを持った自分の解体

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自分が壊れてしまう恐怖」 について書きたいと思います。

日々、様々なクライアントと対話していて、気付いたことがあります。
それは『自分が壊れてしまうかもしれない不安や恐怖』です。
その不安や恐怖を安心に変えるためには、鏡像体験が必要であることを書きたいと思います。

「自分が分からない」
「自分がなくなってしまう」
「自分がバラバラになりそうだ」
「音を立てて崩れてしまいそうだ」

このように語るとき、
『まとまりを持った一人の自分』のイメージ(像)がバラバラになると感じている瞬間ではないでしょうか。
もっというと、まさしく
『自分が解体するかもしれない不安と恐怖』に直面している瞬間だと思うのです。
そして、
常にすべての人間に忍び寄っているといっても過言ではないように思えてきます。


人は、自分の思い通りに事が進まなかった時、
ふと立ち止まった時、
不安や恐怖が襲いかかってくる。
それは、自分がバラバラに壊れるかもしれない不安や恐怖と考えられないでしょうか。
そんな時、自分の姿を映してくれる鏡が欲しいとの衝動に駆られる。

それが例えば
人恋しくなったり、
誰かに電話やメール、話をしたくなったりする、
抱きしめてもらいたいと思う。

もし、そんな人が誰も居なかったなら
自分で自分を感じるしかない。

この観点から考えると
「自傷(リストカット)」「抜毛」「かきむしる」「暴れる」「叫ぶ」などは
自分を取り戻すための一つの表現方法だと思うのです。

あてもなく誰かにメールや電話をしないと居られない、
あてもなくさまよい歩くのも、その一つかもしれません。
誰かに、自分の姿を映してほしい。
解体してしまいそうな自分を、一つにまとめてほしい。
そんな必死の叫びのように観えてくる気がするのです。

思春期には特にそのような危機が訪れる時期だと言われています。
その時期までに、統一した自分というイメージ(鏡像)を持っているかどうか、
それを一番問われるのが、思春期なのです。
その時期を乗り切るためにも
幼少期から「まとまりを持った自分」という鏡像体験をする必要があるでしょう。


ここでは、バラバラになりそうな不安や恐怖は、誰にでもあること、
その不安や恐怖は、いつでも襲ってくる可能性があること、
そのような時には、一つにまとめあげる鏡が必要であること、
それを、フランスの精神分析医ジャック・ラカンは
『鏡像段階』と呼びました。

その鏡の役割をするのが≪精神分析家≫であり、その鏡像体験が精神分析(セラピー)なのです。

シニフィアン研究所ではそれらの理論に基づいた精神分析(対話療法)をしています。
詳しくはHPをご覧ください。
性癖、恋愛・夫婦問題の相談も受けています。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
非行、引きこもり、暴力など「思春期の悩み」のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
「不登校の子どもの母より」のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/

【2012/10/17 11:33 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
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