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【2025/07/13 15:35 】 |
305)透明人間-幽霊(ファントム)になる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「透明人間-幽霊(ファントム)になる について書きたいと思います。

「あなたにとって私って何?」
「私が存在している意味はあるの?」
このような問いかけをしたことはありませんか。


これらの問いかけに対して、他者から
「私にはあなたが必要だ」→「あの人には私が必要だ」
「あなたに居て欲しい」→「私はここに居て良い」
と言われた(思えた)なら、
自分の存在を肯定し、存在している意味を見い出すことができるでしょう。

ところが、話しかけたのに無視されたり、否定されたり、拒否されたり、途中で遮られたら、
自分の存在を否定されたように感じたり、
存在している意味がないと思ってしまう可能性があります。
少なくとも、語りかけた相手にとって、自分という存在は必要ない。
つまり、存在している意味はない。
このように感じてしまう。
そうすると
一気に自分の存在が透明になり、その場から消えたくなってしまう。
これが、ここでいう≪透明人間≫であり、幽霊(ファントム)です。


悩みを抱えた人たちの話を聞いていると
「消えたい(逃げたい)」「消えてしまいたい」「居場所がない」という言葉をよく聞きます。
それは
体はその場にあるけれど、その場に居る意味がない。
=透明人間=ファントム(幽霊)と等価であるといえるのではないでしょうか。

このように、「無視」「否定」「拒否」「切断」は、人を
透明人間=幽霊(ファントム)=人間でないものにしてしまう可能性があります。
そうならないためには
「肯定」「承認」「受容」が必要であり、
その前提として『よく聴くこと=傾聴』が大切だと言いたいと思います。


聴いてくれる場所がありますか。
聴いてくれる人がいますか。
透明人間になっていませんか。
幽霊(ファントム)になりつつありませんか。

シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
要請があれば、全国どこへでも出張します。
詳しくはこちまでお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/#8

 

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【2012/11/12 11:33 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
304)家庭内暴力と怒り

 

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「家庭内暴力と怒り について書きたいと思います。

暴力の背景には一体何があるのでしょうか。
それは『怒り』 であり、その解決方法は
怒りの基をよく聴くことだ』と言いたいと思います。

青少年の家庭内暴力や、恋人・夫婦間の暴力(DV)の相談を通して観えてくるものがあります。
それは『怒り』です。
その内容は様々です。
ただ共通しているのは
≪何で解ってくれないんだ!
との叫びです。

ある男性(DV)が言いました。
「手を出すのは悪いのは分かっている。しかし、あいつは俺のことを理解しようとしないんだ。だから殴ってしまうんだ。」
また、ある少年は

「母さんは、オレに文句を言うことしか知らない。オレの言うことを聞こうとはしないんだ。」
「オレに正面から向かって来いと言ってるのに、良い親面ばかりしてやがる」
と、言いました。

暴力は決して容認できるものではありません。
まして、その対象が弱者であれば言うまでもありません。

ただ、暴力を振るってしまう側に目を向けた場合、
そこには、
「相手が、オレの言うことを聴こうとしない。」
「オレの言う通りにしない。」
などの不満が見えてくるように思います。

暴力はいけないことだと頭では分かっています。
しかし、相手に解らせるためには、もはや暴力という方法しかない。
あるいは、暴力という方法でしか伝わらないと思ってしまっている。
そんな気がします。

「話せばわかる」という言葉があります。
彼らの話を聞いていくと、
彼らも最初は、相手に対して話して(言って)いるのです。
「〇〇してほしい」
「〇〇したい」etc
ところが、
無視されたり、否定されたり、説教されたりして自分の思うように相手が動いてくれない、聞いてくれない。
そのような状況に直面し、
最初は我慢しています。
それらは一度ではなく、何度も繰り返され、幾重にも積み重なり、
やがて≪怒り≫となって蓄積されていきます

それらの蓄積した怒りが、ちょっとしたキッカケによって
一気に爆発するようです。
『クソッ!またかよ!』
『そんなこと言ってないだろ!』と我慢してきた怒りが一気に湧き上がってくるのです。
これが、家庭内暴力やDVと言われるものとなるのです。

これらに対する方法は、まず『聴くこと』です。
彼らは、そもそも何を求めているのか?
何を言いたくて伝わらない、聞いてくれないと思っているのか?
ここから向き合ってゆくことです。
これには第三者の介入が必要となるでしょう。


具体的なことはさておき、ここでは、
家庭内暴力やDVなど「暴力」の根底には何らかの『怒り』の蓄積があることを書きました。
その『怒り』が何であるかを知るには、相手の言うことをよく聴くことです。

精神分析という方法によってその怒りを明らかにすることが可能です。

聴いているにも関わらず、解らない、聴けない方、興味を持たれた方は
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
勉強会、講座もあります。 http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11

【2012/11/11 15:38 】 | 非行・家庭内暴力・DV | 有り難いご意見(0)
303)お互いのズレから始まる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「お互いのズレから始まる」 について書きたいと思います。

オールOKで向き合うことは、自己肯定、自己価値、自信を高めることだと書きました。
今日は、あらゆる問題は、まずお互いのズレから始まると言いたいと思います。

ここでは、母子関係を中心に考えたいと思います。
なぜなら、対人関係は母子関係から始まるといえるからです。


特に、非行や引きこもり、暴力など問題行動だと呼ばれる人たちは、
それらの行動を通して、自分を理解してほしいと訴えていると感じます。
自分に向き合ってほしい。
見捨てないで欲しいと叫んでいる。
そのように痛感するのです。
それに対し、周りの人たちも、何とかしたいと必死の思いを抱えています。

ところが、残念なことにお互いの思いがズレていて、うまくかみ合っていない。
それゆえに、お互い増々エスカレートし、収拾がつかなくなってしまっている。
それは一種の『コミュニケーション障害』だと言えるでしょう。
お互いが、「どうして解ってくれないのか」と嘆いている。
通じなさに対して、歯がゆさを感じている。
それが一段と互いを刺激し合うことになる。
この悪循環から抜け出せなくなってしまっている姿が見えます。

その打開策の一つは
まず、何を求めているかを知り、その求めている物を与えることです。
これが≪ズレの調整≫です。

この時、大切なことは

「母が子どもの想い(価値観、考え、物差し)に合わせること」です。
そのためには、一度母は自分の想いを捨てることが必要です。
このことを以前「馬鹿になる」と書きました。

つまり、母と子どもの思いのズレを調整するためには
母の方から自分の想いを捨て、子どもの想いに合わせることが必要です。


逆に、親の想いに子どもを合わさせることは、一種の「見捨て」だと言えるでしょう。
母が見捨てたなら、それは糸が切れた凧同然です。
母が子を見捨てる=子どもが母を見捨てる
に繋がり、それ以後、見捨てられた子どもは社会に甘えることになります。

そう言える両方の症例がたくさんあります。
ただ、ここに紹介できないのが残念です。

それら症例を通して、痛感することは
「母が見捨てなければ、紆余曲折があっても、子どもは必ず自分で自分の歩く道を見い出す」
ということです。
そのためには、親子のズレを調整することからだと言いたいのです。

ただ、なるほどと思ってもなかなか子どもを目の前にすると実行的ないのが通常です。
その原因は、親の側の無意識と呼ばれるものにあります。
それを知らない限り、葛藤が生じるでしょう。
その無意識を知る方法が『精神分析療法』なのです。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。
http://signifiant-lab.com/
明日6日から8日までは関西におります。
近隣の方は面談可能です。
お問い合わせ、ご連絡は携帯へお願いします。http://signifiant-lab.com/#8

【2012/11/05 10:36 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
302)子どもは母の想いの結晶

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもは母の想いの結晶」 について書きたいと思います。
子ども(特に女の子)は母の想いの結晶であり、
それゆえ、子どもの言動に母は向き合う覚悟が必要だということを考えたいと思います。

よく耳にする言葉を思いつくままに書いてみます。

*子どもができたら、親が結婚を認めてくれると思った。
*妊娠したら彼が結婚してくれると思った。
*子どもができたら、夫が真面目に働いてくれると思った。
*子どもができたら、家庭に戻ってきてくれる(彼女と別れてくれる)と思った。
*老後のことを考えたら、子どもがなかったら寂しいから産んだ。
*自分が果たせなかった夢を、子どもに託したかった

自分がどんな扱いをされてきたかを親に見せつけたかった。
と語った母親もいました。

ある女性は
「女の子にどうしても付けたい名前があった。なのに、一人目は義親の反対で付けられなかった。
だからどうしても、もう一人女の子を産みたかったんだと思います。」と当時を振り返って言いました。

また、ある女性は
「この忌まわしい血は私の代で終わりにしたい。だから絶対子どもは作りません。」
と言い切りました。
枚挙に暇がないくらいあります。

このように、
意識する、しないに関わらず、
その状況に違いはあるものの、
女性が妊娠するのは、何らかの強い想いがあることが予測されます。
惟能創理氏もその著書『心的遺伝子論』の中で書いています。
≪女の子は母の想いの結晶といっていい≫と。

だからこそ、
自分はどのような想いで妊娠し、産んだのかを知る必要があるのではないでしょうか?
子どもは(女の子に限らず男の子も)母の想いの結晶だとするならば、
その子どもが非行・ひきこもり・暴力など様々な困ったことをする時、
それらは、母へのメッセ-ジではないだろうかと考えてみる。
誰よりも、母に理解してほしいとの、必死の叫びではないだろうかと振り返ってみる。
そのような視点から考えてみるならば、
観えなかったものが観え、聴こえなかった声が聴こえてくるように思うのです。

子どもは母の想いの結晶である。
この視点から子どもの言動を観てみませんか。
精神分析という対話療法でそれは可能となります。

興味を持たれた方、質問などは
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
『心的遺伝子論』についてはこちらです。http://signifiant-lab.com/books/
各種教室、講座も開催します。http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11など

*6日~8日まで関西出張します。
関西方面の方は、この機会にご連絡ください。連絡先はこちらです。
なお、5日午後からは携帯へお願いします。http://signifiant-lab.com/#8

【2012/11/04 10:14 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
301)オールOKの効果―自信を持つに至る

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「オールOKの効果」 について書きたいと思います。

子育てはもちろんのこと、非行不登校引きこもりの人たちに対して、
『オールOK』て対応することを推奨しています。
その経験の中で、オールOKの効果の一つを紹介したいと思います。
それは≪言葉を信じる=自己肯定=自信を持つ≫という効果です。

オールOKをしてもらう体験は
自分の要求がその内容の是非に関わらず、肯定される体験であり、
その体験が『基本的信頼感』の基礎をつくると言われています。
基本的信頼感は、自己愛を育て、自己価値・自己肯定をもたらし自信を持つに至ります。
このような話をしていると、ある人が言いました。

「頭では理解できる気がしますが、本当にそのようになるのか信じられません。」
なるほど、と思いました。
体験したことがなければ、信じられなくても当然です。
では、体験しなくても信じられることはあるのでしょうか。
このような議論をしていても前に進まないでしょう。
そんな時、
『まずはやってみませんか?』と言います。
半信半疑でもいいですから、試してみませんか、と提案します。

それを聞いて、「やってみる人」と「やらない人」の差は何でしょうか。
それは≪言葉を信じるかどうか≫だと思うのです。
「オールOKすれば自信を持つに至る」
この言葉を信じるかどうかです。
語った人や言葉の内容が正しいかどうかではなく、ただ言葉を信じるかどうかです。

表現を変えていうと(誤解を恐れずにいうと)
「馬鹿になれるかどうか」ではないでしょうか。
聞いたまま(言葉)に従ってやってみる。
自分の考えや意見を入れずに言葉に従うこと、の意味です。
これが『オールOK』でもあります。
例えば
親が子どもに対してオールOKするとは
親の考えや意見を入れずに、「子どもの言った言葉の通りに行動する」ということです。
これを『聴く(耳を持つ)』とも言います。


そうすれば
自分の言葉が親に通じる⇒受け容れられた⇒自己肯定された⇒自信を持つ

これらの過程が揺るぎないと感じることができるまで積み重ねること、
オールOKし続けることが求められます。
それがそのまま、与える親の側も共に同じ体験をしていることになるでしょう。
つまり、親自身も自信を持つに至るということになるでしょう。

以上、オールOKをすることの双方の効果の一つだと思うのです。
伝わったでしょうか?

シニフィアン研究所では、
具体的なオールOKの方法を学ぶ講座や教室を用意しています。
希望により、フリートークなども開催しています。
興味を持たれた方は、お問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
子育てのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
不登校のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
思春期のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

【2012/11/03 11:21 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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