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【2025/07/15 02:09 】 |
275)万が一は実現することを目指している

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「万が一は実現することを目指している」 について書きたいと思います。

ここでは、
『万が一は実現することを目指している』
ということを、保険を例に、精神分析の観点から書いてみたいと思います。
(*保険加入の必要性の有無や、保険の是非について述べているのではありません)

大抵の人は『万が一の時の安心のために』と考えて(勧められて)保険に加入することでしょう。

ある人との雑談の中で、保険に話が及んだ時のことです。
万が一の時のために、ある保険に加入していたそうですが、
そのおかげで保険金が下りて助かったとのこと。
(ここまでは、ありふれた話でしょう)
その次に、その人が言いました。
≪実は私、〇〇(病名)保険に加入しているんだけど、かなり以前から掛けているから絶対元を取らなきゃ損だわ。≫


それを聞いて、びっくりしました。
この人はもうすでに自分の病気を決めていると思ったからです。
そして、その人に聞きました。
「それって、もう将来の自分の病気を今から決めてるってこと?」
「そりゃそうよ、あれだけ掛けてるんだから、病気になるなら保険金がもらえる病気にならないと意味がないじゃない」

もちろん、先のことは誰にも解りません。
健康に関することをテーマにすることは、慎重であるべきことだと思います。
ですが、この人の語らいを聞いている限り、
「その人の気持ちは、その病気に向かっている」
つまり
『万が一は実現することを目指している』と考えられるのではないでしょうか。

このように、
「意識しないところで、意図しない方向へ向かっている可能性があるもかもしれない。」
ということを書きたかったのです。


何気ない一言の中に、自分でも気づかないものが隠れている。
精神分析は、それらを明らかにする一つの方法だと思います。


シニフィアン研究所では、
精神分析を通して、自ら気付くための面談や講座などを用意しています。
興味を持たれた方は
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/をご覧ください。

私と精神分析http://agency-inc.com/analysis6/も参照ください。

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【2012/09/16 17:41 】 | 家族 | 有り難いご意見(0)
274)自己を知る方法

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自分を知る方法」 について書きたいと思います。

「自分とは」
「生きる意味とは」
「何をしたいのか」

「なぜ」
これらの問いかけを持った時
『精神分析』はおあつらえ向きだと思います。

求めるものは、もうすでに手にしている。
あるいは、自らのうちにある。
そのように言われます。
きっとそうなのでしょう。

では、それらを知るにはどうしたらよいのでしょう。
自分(のうちにあるもの)を知る方法とは?

人は自らの顔を知りたいときは、「鏡」に自らを映して見ることでしょう。
自らの心、考え、志向を知りたいときは
誰か(心を映す鏡)に語ることで知る方法があります。


自分の心のままに、口をついて出るがままに任せることで知ることでしょう。
フロイトは「自由連想」と言いました。
「自分はこのように思っていると思っていること」と、
それを「言葉にして語ったこと」が違う場合があります。
そんな時、人は
『こんなこと言うつもりじゃなかったのに』
『私、何言ってるんだろう』
『えーっと、忘れちゃった』
『あ・・・』と、思わず言葉を呑み込んでしまう。
突然、涙が流れてくる。
怒りが込み上げてくる。
このようにして、思ってもみなかった自分に出会う瞬間があります。

その時が、もう一人の自分に出会える瞬間ではないでしょうか?
それらは「無意識」と呼ばれるものです。
地下水のように流れ続け、通常は知ることはできないとされています。
そして、人はそれに翻弄されているとも言われます。
自分を知りたいと思うことは、
この得体のしれない無意識と呼ばれるもう一人の自分に向かい合うことだと言えるでしょう。
これを「無意識を意識化する」と言います。

意識化することで、それをコントロールすることができます。

無意識を自在に書き換えることができるのです。
操られている状態から、操る状態へ、
つまり、受身から能動へ
もっと言うと、
自分の人生を思うとおりに実現できるのです。

無意識はどれほどのものかは解りません。
でも、一つ知れば、また一つ知りたくなる。
まるで、解けなかった問題が解けた時のように、
長年の謎が解けた時のように、
永遠に尽きることのない喜びだと思うのです。

このように「自分を知ること」は例えようもない喜びだと思うのです。
そして、精神分析はその道標なのです。
自分を知ることの喜びに触れてみませんか。
自分という謎解きをしてみませんか。


シニフィアン研究所のHPはhttp://signifiant-lab.com/
交通費を負担していただければ出張もしています。

各種教室、養成講座もあります。
http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11
お問い合わせください。

【2012/09/15 16:16 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
273)孫は可愛いのはなぜか―自己の連続性

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「孫は可愛いのはなぜか―自己の連続性」 について書きたいと思います。

「わが子も可愛いが、孫の可愛さはまた格別だ」
との声をよく耳にするけれど、なぜなのかと考えてみました。
かつて「孫」という歌が一世を風靡したようです。
それは、記憶のない自分の空白の時間を埋めてくれるものだから、ではないでしょうか。

私たちは、自らの記憶をたどってゆくと、
3歳以前の記憶はよほどのことがない限り、途中で途切れてしまう。
ましてや、誕生から1歳2歳などはほぼ思い出せないでしょう。
親や周りの人の語らいやビデオや写真などの記憶媒体に頼るしかない。
それらを見ても、実感として感じられないかもしれません。

そんな時、目の前に「孫」と世話する母親を見る機会が現れるとします。
一歩離れた場所から、それらを観察する機会を持つことになるのです。
その光景が、「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれる人の心にどのように映るでしょうか?
それらを想像してみたいと思います。

自分では生命さえも維持することは不可能に近い、寄る辺なき存在。
そして、その存在をかいがいしく世話する母親=わが娘(嫁)
そんな光景を目の当たりにし、
『自分も、わが母からあのような眼差しで、世話をしてもらったに違いない』
『自分も、あのようにぐずったり、笑ったりしていたに違いない』
『あのように誰かの世話を受けなければ、片時も生きてゆけなかった自分であった』etc
そこに自分自身の姿を重ねてみることでしょう。


孫のように世話してもらったかもしれない、
孫のようには世話してもらえなかったかもしれない。
いずれにしても、そこには
寄る辺なき存在の自分、世話を必須としていた自分が居る。

その時代が間違いなく自分にもあった、だから今の自分が存在していることだけは、間違いがない。
連続していることは疑いようがない事実としてある。
信じたい、間違いがない事実として受け入れたい。
だけど、自分の記憶は途切れてしまっている。
このようなジレンマとも呼べるものが根底にあるのではないでしょうか。
それがバネになって
今自分の目の前に居る血の繋がった「孫」を観ている。
その「孫」こそが、記憶にない自分の歴史を埋め、繋いでくれる。
このような視線が潜んでいるように思うのです。

だからこそ、わが子とは違った可愛さがひしひしと込み上げてくるのではないでしょうか。

誰もが、信じていることでしょう。
「自分は間違いなく連続した時間の中に生きている。」と。
ひょっとしたら、不連続な時を生きているかもしれない不安を感じているのかもしれません。
それを問いかけないように必死になっているのかもしれません。
逆に、「孫」が可愛いと思えるのは
この不安があるからなのかもしれません。

この不安が人を
「生きるとはなにか」
「何のために生きているのか」
との問いに導くのかもしれません。

「孫」は可愛いと言われることから
このようなことを考えてみました。
興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/
思春期には特にこのような問いかけをするようです。
思春期の悩みも参照ください。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

【2012/09/12 11:02 】 | 家族 | 有り難いご意見(0)
272)茨城・コインロッカー乳児遺体事件 

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「茨城・コインロッカー乳児遺体事件 」 について書きたいと思います。

茨城・つくば市でコインロッカーの中から生後まもない赤ちゃんの遺体が発見された事件で、母親が逮捕された。
この事件は9月8日、つくば市のバスターミナルのコインロッカーから、女の子の赤ちゃんの遺体が発見されたもので、10日、死体遺棄の疑いで長峰 美由希容疑者(30)が逮捕された。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120911-00000267-fnn-soci(フジテレビ系)より引用

この事件を、精神分析的な視点から長峰容疑者の行動を検証してみたいと思います。
*なぜ産んだのか(流産しなかったのか)?
*なぜ死体遺棄したのか?
この二つの疑問を中心に考えたいと思います。
結論からいうと
『母は自分をどのような眼差しで見たのかを知りたい』との欲望に突き動かされた結果ではないかと言いたいのです。

精神分析的観点から、女性が妊娠する意味を考えた時、
二つあると言われています。
1)自分が母からどのような眼差しで見られたのかを知りたいと思った時
2)理想的な子育て(自らがしてもらいたかった子育て)をすることで、してもらえなかった自らを補償(育て直し)しようと思った時

長峰容疑者の場合は、乳児を死体遺棄していることから、1)の場合が考えられます。
自分の妊娠を母が喜んだかどうかだけを知りたかったなら、流産を選択したでしょう。
なぜなら、妊娠が分かった瞬間、
その妊娠を喜べたなら、母も自分の妊娠を喜んだと解るし
困ったと思ったなら、母も自分の妊娠を困ったことだと思ったと実感できる。
それで充分のはずですが、長峰容疑者は産んだ。
ということは、産んでわが子を見たかったと考えられる。
ここから、妊娠そのものではなく、
自分が誕生した時、母はどのような眼差しで自分を見たのだろう?
それを知りたいと思ったのではないでしょうか。

わが子を見た瞬間、湧き上がってくる想い=母が自分を見た時の想いに重なる。
それを長峰容疑者は知りたかった。
そして、それを今や知ってしまった。
だから、もう乳児は長峰容疑者にとってその役目を終えたものとなる。
だから、死体遺棄した。
このように考えたなら、
長峰容疑者のとった行動は理解できるのではないでしょうか?

精神分析的視点では、道徳、倫理、常識という視点から見ず、
なぜそのような言動をとらざるを得なかったのか?との視点から、その人の精神世界をひも解いてゆきます。
道徳、倫理、常識では理解できない事柄が、現実のものとして目前にあるのですから。
それらの視点以外のものでしか解明できないのではないでしょうか。

「なぜ?」「どうして?」との疑問をもったなら
それに対する自分なりの答えを見出さない限り
人は一歩も前に進むことができないもののようです。
それに精神分析は向き合ってゆきます。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
HPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
精神分析の理論を学ぶ講座も用意しています。
やさしい精神分析講座http://signifiant-lab.com/#11
インテグレーター養成講座http://signifiant-lab.com/#13

【2012/09/11 18:33 】 | 事件・事故・ニュース | 有り難いご意見(0)
271)剥奪と服従と軟禁―怨念と復讐

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「剥奪と服従と軟禁―怨念と復讐」 について書きたいと思います。

重いタイトルを付けてしまいました。
それは、
日々のクライアントとの面談を通し、その叫びの根底に程度の差こそあれ、これらの環境が見えてくるからです。
そこで、今
≪子どもに「怨念と復讐」を抱かせる環境になっていないだろうか?≫
と問いかけてみたいと思います。。

「躾け」という名のもとに、あるいは「子どもの将来のため」の名のもとに
それとは気付かぬうちにしがちなこと。
1.選択の強制と制限=選択の剥奪
2.親の言うことを聞く=服従
3.行動範囲の限定=監禁または軟禁
が、考えられます。

これらの延長の先には
「怨念」と「復讐」が見え隠れしている気がするのです。
そして、
いつか必ず仕返しをしてやりたいとの情念が蓄積されている。
それが外に向かえば、いじめ、虐待、暴力、非行へ、
内に向かえば、引きこもり、うつ、自傷、自殺へと志向する可能性が考えられます。

私のエピソードを紹介しましょう。(興味のない方は飛ばしてください)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・エピソード1―幼稚園に行きたくないと言った時(6歳くらい)
 母は怒りながら、髪の毛を持って引きずり回した。私は片道4キロの道を泣きながら歩いて幼稚園へ行った。
 (後に母曰く、「ここで一度許すと何度も休むようになると思った」。以後、私は大学に入るまで休むことはなかった)

・エピソード2―テレビ
 小学校低学年に、テレビを初めて買ったが、勉強しなくなるからと、ヒューズを抜かれてしまって見せてもらえなかった。
 (当時、昭和30年代に各家庭にブラウン管テレビが普及し、ヒューズが付いていた)

・エピソード3―習い事
 小学校低学年時代から、母が私のお習字に熱心になり、毎月の雑誌への投稿、競書会、展覧会はもちろんのこと、
 毎日、母が「良し」と言うまで寝させてもらえなかった。(締め切り前は夜中の2時3時)

・エピソード4―髪の毛
 髪が長くなると、三つ編みやリボンなどに興味が湧いて、勉強しなくなるとの考えから、
 肩まで伸びる前に、母がハサミで常に私の髪の毛をカットしていた。

・エピソード5―洋服
 ヒラヒラの可愛い洋服やピンクや赤色は着せてもらえなかった。
 母の手作りで白と緑色の洋服が多かった。

・エピソード6―クラブ禁止
 中学1年生―人数が足りないからと陸上部に駆り出されたが、帰宅が遅くなるからと辞めさされた。
 中学2年生―担任が軟式テニス部を作ったので、内緒で入部した。が、1週間後にバレる。
 疲れて勉強ができなくなるからと、母が勝手に担任に退部を申し入れ、1週間で退部となり、素振りだけで私のテニスは終わった。
 中学3年生―クラブはあきらめた(この頃から、自殺を考えていた)

・エピソード7―大学進学
 理学部数学科に進学したくて高校も理数科を選択した。
 にも関わらず母は、書道を選択した方が将来の見通しは明るいと、書道の恩師を巻き込み説得する。
この頃には、私は抵抗をあきらめ、完全に母に服従していた。
なぜなら、抵抗することに疲れていたし、金銭的な支援を断ち切られることへの恐れもあったからだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべてに共通する言葉は
「お前の将来のためを思って言ってるんだよ。」でした。

口癖は
「人に負けるな、いつも一番であれ」
「人以上になろうと思えば、人以上の努力をしなさい。人と同じことをしていては人並みにしかなれない。」


これは特別な例でしょうか。
現在の子どもたちも、
塾、習い事、スポーツ、進学などあまり違いはないのではないでしょうか?
親が思い描く理想像を、子どもに押し付けていないでしょうか=それは親の理想像です。
自分が満たしてもらえなかった事を、子どもに与えようとしていませんか=それはあなたの欲望です。
子どもに幸せになってもらいたい=それは、あなたが幸せになりたいのではありませんか。
果たして、子どもさんがそれを欲望しているでしょうか?
子どもさんに聞いてみたことはありますか?

親は親であり、子どもは子どもであって親ではありません。
私は私以外の何者でもなく、子どもは私ではありません。
私以外は他者であって、私の思う通りにはならないものなのです。
女性は母になった時から、そのことを忘れてしまうのかもしれませんね。
母はいつか、子どもに舐められ、踏み台にされ、見捨てられる存在なのでしょう。
だからこそ、その根底には回帰する心の故郷としての価値を持つとも言えるのかもしれません。

テーマからずれました。
子どものために』という言葉の裏側に「剥奪と服従と軟禁」が潜み、
それが子どもの心に「怨念と復讐」を植え付けている可能性があるかもしれないことを
考えてみたかったのです。

シニフィアン研究所では、PTSDの可能性がある方が増えてきました。
震災などとは違って、一見ありふれたように見える中に、
苦悩の原因が隠れています。
それは精神分析(セラピー)という語らいの場で初めて明らかにされるものが大半です。
もしやと感じられたなら、語ってみませんか?

シニフィアン研究所のHPを参照くださいhttp://signifiant-lab.com/
PTSD(トラウマ)のサイトhttp://signifiant-lab.com/trauma/
私と精神分析のサイトhttp://agency-inc.com/analysis6/
不登校の子どものの母よりhttp://signifiant-lab.com/escape/

【2012/09/10 14:09 】 | 宛名のない手紙 | 有り難いご意見(0)
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