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【2025/09/20 20:49 】 |
うつ-自分の鏡像が壊れる体験
やる気がでない
体がだるい
常に眠い
何もしたくない
 
これらはうつ状態への入り口
ある変化がそのキッカケとなる場合が多い
 
近親者や恋人、ペットなど情を寄せている対象の喪失体験
事故などによる体の一部など自分自身の喪失体験
転勤や転校、引越し、降格や昇進、栄転等の環境の変化
今回の東日本大震災など、自然災害による家屋、コミュニティーの喪失体験
目標喪失
などなど
 
これらに共通しているのは「変化」や「喪失」
愛する人はもちろん、大事にしていたペット、大切にしていた物など
それらはその人自身であり、そのすべて、もしくは一部となっていたもの
自分の姿を映してくれる鏡像となっていたものなら何でも良い
それに人は「思い出」「生きがい」「命」「すべて」と呼ぶ
つまりそれらは自分自身でもある
だから喪失体験は
まるで自分が亡くなったかのように感じる
 
「心にぽっかり穴が空いたようだ」
「自分の一部がもぎ取られたようだ」
「自分の存在価値がない」
「生きる意味がなくなった」
などと表現する
自分のまとまった姿を映してくれていた鏡が壊れる体験そのものである
 
うつ状態にある場合
重症の時期はエネルギーも枯渇しているから動けない
しかし、入り始めと回復途上で「自殺」の可能性が高くなる
引きこもり状態が必須であり
その期間は壊れた鏡像の修復する服喪期間でもある
刺激はより一層の鏡の崩壊を促すこととなる
ゆえに
可能な限り静かに刺激のない「安心」と「安全」の環境を必要とする
「がんばって」の言語は禁句となる
温かい眼差しで、口を出さず、見守り続けることが大切である
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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【2011/11/24 19:51 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
監禁と拘束
「監禁」や「拘束」と言うと
まず、事件性のある状況を思い浮かべることだろう
辞書によると
「監禁」は人を一定の場所に閉じ込めて、行動の自由を奪うこと
「拘束」は思想、行動の自由に対する制限、制約のこと
とある
 
しかし、この状況が一般家庭で普通に行われていることに
どれだけの人が気付いているだろうか?
あなたは「監禁」や「拘束」をしていませんか?
 
言うことを聞かないから
友達と遊んではダメ
おやつは無し
好きなおもちゃやゲームやお菓子は買わない
ゲームやテレビはダメ
と制限していませんか?
 
危ないからといって
幼児期に過剰な拘束をしていませんか?
例えば
寝返りをしないように何かで体を動かないようにしたり
出ないように閉じ込めたりしたことはありませんか?
外へ遊びに出ることを禁じていませんか?
 
ほとんど皆
「子どもの為を思って」
「忙しくてできないから仕方ない」
などの理由をあげるでしょう
もちろんそれを「監禁」や「拘束」だと言うつもりはありませんし
「監禁」や「拘束」ではないでしょう
 
ただ、それを受ける子どもの側から見た時に
どのように感じるだろうか?と問いかけたいのです
 
「したいのにさせてもらえなかった」
「何一つ自分の思うとおりにさせてもらえなかった」
「いつも親のいいなりだった」と語り
PTSDや閉所恐怖症やパニック障害、対人恐怖の原因の一つになったり
過剰に家や部屋にこだわったり
イヤリングやピアス、ネックレス、時計、ハイネックセーターやショルダーバッグ、メガネもダメ
などの症状に繋がる場合がある
 
親は「子どものためを思って」しているつもりが
子どもはそれを「監禁」や「拘束」と受け取ってしまう場合もあることを忘れてはいけない
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
【2011/11/23 19:34 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
憎しみは愛を棲み家としている
相手に腹を立てる
相手を憎む、恨む
相手を完膚なきまでにやっつけてやりたい
そんな気持ちになることは誰でもあることだろう
これらは「攻撃心」と呼ばれ、その感情を「憎しみ」と呼ぶ
しかし、それは良くないことだとされる
できるだけ腹を立てず、良い人になることを求められる
対人関係をスムーズにするために
それが大人である
それが弁えた人だと言われる
 
どうしてこのような攻撃心や憎しみが湧き上がってくるのだろう?
本当に我慢しなければいけないことなのだろうか?
 
それは「愛」の裏返し
「愛」と「憎しみ」は表裏一体
愛すればこそ憎しみも倍増する
愛と憎しみはナルシシズムの構造の中から生まれる
 
自分の理想像を相手の中に見た時、それは「愛」の対象となる
自分のなりたい姿を見出した時、それは自分そのものとなる
これを同一視、同一化と言う
対象が子どもであれば、自分の夢を子どもに託すだろう
同性であれば、憧れの人となり真似をするだろう
異性であれば恋愛の対象となり、一気に惚れ込むだろう
アイドルであればファンとなり追っかけをするだろう
これらは、鏡に映った自分の分身である
 
ところが
何らかの理由で、自分の理想を担う対象でなくなった時
自分の思うようにならなかった場合
一転して「憎しみ」の対象となる
「こんなにもアナタの為にしているのに!」
「こんなにも自分を犠牲にして、アナタに尽しているのに!」
「こんなにもアナタを愛しているのに!!」
「どうして分かってくれないの!」
「分かってくれないのなら、いっそこの手で殺してしまいたい」
 
愛が深ければ深いほど、憎しみはより一層深くなる
つまり、憎しみの対象は愛の対象でもある
このように憎しみは愛を棲み家としている
愛の無いところに憎しみは無い
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
【2011/11/19 15:30 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
子どもは「愛の確認ゲーム」をしている
親にとって困ったことをする子
親の言うことを聞かない子ども
親に反発する子ども
やんちゃをする子ども
乱暴な子ども
よその子をいじめる子ども
子どもは親の言うことをなかなか聞かないものだ
 
子どもにとってもどんなメリットがあるのか?
親に叱られたり、時にはお仕置きをされるにきまっている
なのに、解っていてどうして止めようとしないのか?
親も「いつもいつも同じことを言わせて、いい加減解ってもよさそうなのに!!」
と益々ヒートアップする
 
親子で一つのゲームをしているようなものだ
たいていは
子どもが仕掛けて、その仕掛けに親が乗り、
最後は子どもが泣いて終わるか
親が「アンタみたいな子は知らん!勝手にしなさい!!」
と捨て台詞を吐いて終わる
これを愛の確認ゲーム」と名付けよう
 
子どもは一体何を訴えているのか?
「お母さん、僕を(私を)愛してる?」
「こんな僕(私)でも見捨てない?」と問いかけているのだ
 
この問いかけをしなければならないほど不安になっているのだ
「自分は欲望された存在なんだろうか?」
「自分は欲望されてこの世に誕生したのだろうか?」
「そして、今でも欲望されているのだろうか?」
 
自分の存在の根源に対する問いかけの前に立っている
もちろん、子ども自身も意識してはいないことだろう
子どもにとって母はすべてなのだ
世界のすべてだと言っても過言ではないのだろう
だから時として確認せずにはいられない
それほどまでに子どもにとって母は最大の欲望の対象、愛の対象なのである
 
ただ、悲しいことに、
母を困らせ、怒らせることでしかその愛を確認する方法を知らないのだ
否、それが一番母の愛を確認する方法だと知っているのかもしれない
 
ゆえに、
子どもが困ったことをする時、悪いことをする時は
母に愛を向け、母の愛を確認するゲームを仕掛けているのである
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
【2011/11/19 00:36 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
なぜ結婚しないのか?
「恋愛と結婚は違う」とよく言われてきた
恋愛はできても結婚はできない、しないという人がいる
では、付き合う異性がいないのか?というと案外そうでもない
異性の友達は沢山いるが、結婚となると・・・
異性とお付き合いはしても、なかなか結婚に繋がらない
永らく付き合ってる人はいるが特に結婚は考えていない
「あいつとはくされ縁だ」などと言う
 
周りから「いいかげんに結婚したらどうだ?」と言われたり
あるいは「そろそろ結婚しないとやばいよな、、、」
「このままでも別にいいんだけど」などと考えてはいる
逆に「結婚なんて邪魔くさい」
   「必要なら一緒に住めばいいし、嫌になれば別れればいいし」
これでは結婚はできない
結婚しないのではなく、結婚できない
 
それでも結婚している人もいる
きっかけは様々だろうが
「親がうるさいから仕方なく」
「勢いでした」
「成り行きで」
「結婚と言うものを一度はしてみたかった」
最近の傾向としては
「妊娠したから」というのが多いようだ
これは
二人の決断力がないから「妊娠」という手段に頼ったと言える
 
なぜ?
一つには≪自らが決断するということが学習できていない≫
幼少期から周りから決められて生きてきた
自分で考えてやってみる体験が少ない
もしやったとしても、周りからとやかく言われ、失敗は許されない
失敗でもしようものなら非難轟々
こうして、いつしか他者から決められたことに従うという素地が出来上がってしまった
自ら決断し、その結果に責任を持つ覚悟が学習できていないのだ
 
とにもかくにも
結婚は決断力がないとできない
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/11/16 22:26 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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