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  • 2017.04
教育はムダの集積
今や教育は数値化され、どのようにすれば効率よく反映されるか?
どのような方法を使えば、理想とされる数値近づけるか?
これらを中心として編成されている
その代表が「偏差値」であろう
遊びも予測され、期待される枠を持つなら
それは「遊び」と言えるだろうか?
遊びは「創造性」を含むものではないだろうか?
創造性は閉じられたものではなく、開かれた際限のないもののはず
創っては壊してゆく、永遠に数値化されることを拒否するものでは?

人間は工業製品とは違う
データや数値だけで評価できないし、一部にしか適用できないはず
ある評価のための数値化も必要だろう
しかし、
その数値は一部であって、全体ではない
数値が高いからといって優秀だとは言い切れないし
優秀な成績ではあっても優秀な人だとは限らない


車のハンドルに「遊び」があるように
文章に「行間」があるように
紙面に「余白」があるように
教育には「ムダ」が必要だろう

ムダは無限の可能性を創造する「目に見えない場」
何があるか
何が起こるか
何が飛び出してくるか
何もないかもしれない

この「不確定なもの」
この「未知なるもの」
この「予測不可能なもの」
これこそ「ムダ」に通じるものではないだろうか?
これこそ教育の根底に流れる地下水脈ではないだろうか?

この「ムダの集積」こそ教育に必須のものであり
今一番忘れかけているものではないだろうか?

シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
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【2012/01/09 16:00 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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