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1)ある都市での駐輪禁止が守られないので一計を講じたという
「駐輪禁止場所に子どもの禁止の絵をプリントした」 そうすると、誰一人駐輪しなくなった レポーターが止めようとして止めた人にインタビューしていた 『どうしてここに(絵の上)に駐輪しなかったのですか?』 『子どもの描いた絵の上には停められないでしょ!』 『子どもの絵は踏めませんよ』etc 2)道端のミカンの一つ一つに顔を描いたら盗られなくなった 「人の顔を描くと、見られていると感じる傾向がある」 と、心理学者が解説していた いずれもメディアで紹介されていた 3)歴史的には 「踏み絵」が思い出される これは、キリシタンを取り締まるために行われた 1)2)3)の事象は何を示しているのだろうか? これらに共通することは一体何か? いずれもそのもの自体ではない なのに、人はその前で立ち止まるのはなぜか? それは その向こう側に【意味(想像)】を見出しているからだ 例えば 「子どもの描いた絵のコピー」の向こう側に -無邪気な子どもたちが、一所懸命で描いたのだろうなあ -そんな子どもの想いや行為を踏みつけてはいけない -我が子や孫の姿を思い出した -かつての自分を重ねてみたetc 人それぞれ固有の意味付け(想像界)が想像できる だからこそ 本物ではなくコピーであり そして、それが偽物であると分かっていても 人は、自分の意味づけ(想像界)の前で立ち止まるのである 人はこのように『自分固有の意味づけ(想像界)で生きている』 だからこそ 「駐輪禁止」という文字よりも有効性がある 「絵」を通して想像をたくましくする それによって行動が決まる 逆に言えば 「その人の行動を見れば、その日宇との想像界が見えてくる」 興味をもたれた方はこちらを参照ください シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/ PR |
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