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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
今日は「夢中か酩酊か」について考えてみます。
この二つは、どちらも母の胎内の再現ではないかと思うのです。
夢中と酩酊については、232)橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」 でも書きましたが
言い換えると
夢中=ある一つのこと以外には意識が向かない⇒我を忘れる
酩酊=ほとんど全てに意識が向かない⇒我を忘れる
となるでしょう。
このように考えてみると
どちらも、共通の言語「我を忘れる」があります。
そして
「我を忘れる」=言語を忘れる=言語がない状態
このように考えられないでしょうか?
言語がない状態というと、その究極は「胎児」
胎児は言うまでもなく、母の胎内に居る状態です。
ゆえに
夢中も酩酊も共に、胎児と同じ状態だと言える
つまり、母の胎内の再現だと考えられます。
誰もが、母から産まれます。
すべての人の故郷(楽園のはず)です。
でも、その場所は永遠に戻ることのできない場所でもあります。
だからこそ、
ストレスや悩み、苦しみなどで心が疲れた時
人は、故郷(楽園)のしばし戻りたいと思うのではないでしょうか?
この視点から考えると
「夢中」も「酩酊」も母の胎内の再現だと言えるのではないでしょうか?
そうすると、事の是非は別にして
「酩酊」する人の心が見えてくるのではないでしょうか?
それに気付いたら、「酩酊」を他の方法に換えることも可能となるでしょう。
子どもが何かに夢中になっていたら
それは、お母さんの胎内に戻りたいと思っているのかもしれません。
できるだけ、邪魔をせずに見守ってあげてはどうでしょうか?
きっと、楽しんでいる瞬間だと思うのです。
ストレスを感じたとき、
あなたはどのような方法を使うことが多いですか?
なぜその方法を使うのか、考えたことがありますか?
シニフィアン研究所では、気付くことも可能です。
興味をもたれた方、ご意見のある方はHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
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