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【2024/05/14 17:48 】 |
396)言葉じゃない、だけど言葉が大事

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「言葉じゃない、だけど言葉が大事」について書きます。

言葉じゃない、例えば笑顔だったり、温もりだったり、抱擁だったり、そばにいるだけ、ただ聞いてくれるだけでいい。
そんな体験が少なからずあることでしょう。
どんなに言葉を尽くしても伝えられない、表現できないことがある。
天真爛漫な子どもの笑顔に心洗われたり、癒されたりすることもある。
これは語ることで明らかにすることとは真逆の方向
語らないでただ笑顔に向き合うことで、語る以上のことをそこに見い出す。

心の中から、身体の中から勝手に湧き上がってくる何かがある。
それらをありのままに感じることを「実感」「味わう」という。
語ることは味わうことを希薄にする傾向がある。
しかし、語ることがないとその実感を意識することが希薄になる。

味わっている、実感している時、そのものと一体化しているという。
一体化している時は言葉にできない。
例えば、喜びの最中にいる時、人は言葉を失う。
悲しみの最中にいる時、悲しいという言葉は出てこない。
もし出るとしたら、叫びや慟哭。あるいは身体を使っての行動化となる。

逆に言葉にできる時、人はそのものとの間には距離があるといえる。
言葉にすることに終始すると、味気ないものとなる。
実感を無視し続けると、いつの間にかそれらを感じること、味わうこともなくしてしまう。
その先は空虚。

このように語ることと味わうことは逆方向に向いているようで、実は断ち切れないものでもある。人が人として生きる上で、実感を時には言葉で語ることでより深くし、味わうことで語る以上のことを実感する。語ることと味わうことは直線状にあるのではなく、あるループを描きながら互いに交差しているようだ。 

ゆえに、「言葉じゃない、だけど言葉は大事」となる。

言葉で語りつつ、一方で味わう。
この両方のバランスをとりながら日々を暮したなら、その先には一体何が見えてくるでしょうか。

シニフィアン研究所 真道満喜 http://signifiant-lab.com/
Twitter https://twitter.com/sindoumaki

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【2014/10/07 11:11 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
394)オールOKは母も子も活かす

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOKは母も子も活かす」について書きます。

あるクライアント(以下Tさんと称す)から是非伝えて欲しいと依頼がありましたので、紹介します。
それはタイトルにも書いたように、≪オールOK子育て法は育てる母も育てられる子どもも共に活かす方法である≫ということです。

Tさんが語った娘さんとの保育所入所をめぐるエピソードを紹介します。

娘さん(当時5歳)を保育所に入所させようとしたとき、普段無口な娘さんが大粒の涙を流したそうです。
それを見たTさんは「そんなに保育所に行くの嫌か?」と聞くと娘さんは小さな頭を下げてコクンとうなずいたとのこと。
それでTさんは保育所に入所させるのを断念し、家で娘さんと一緒に過ごすことにしたのです。
当時を振り返ってTさんは次のようなことを語りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・内職をしていたので娘が保育所に行ってくれると助かると考えた
・娘の涙を見て、それほど嫌なら無理強いはやめようと決めた
・小学校へは行くだろうかとずいぶん心配した
・小学校入学すると、一転して毎日喜んで登校した
・それまでに心配は一気に吹き飛んだ

Tさんはこれらの体験から、
・幼稚園や保育所を嫌がっても無理に行かせようとしなくても大丈夫。
・毎日子どもの言う通りに過ごしていたら、必ず自分から積極的に行動するようになる。
・学校へも行かないのではないかなどの心配も一切無用。
・共に日々を楽しく過ごす方が、イライラすることも少なく 逆にどんどん成長していく姿を間近に見られて嬉しいと感じる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上からTさんは、もし自分と同じように子育てで迷っていたり、心配している人がいたら、心配は無用。子どもの心に、言うことに寄り添っていけば必ず親も子も共に活き活き生きられる。 オールOK子育ては母も子も共に活かす方法だ。このことを是非伝えて欲しいと依頼しました。

ちなみに、そのTさんの娘さんは高校卒業後、専門学校を経て競争率の高いと言われていた大手企業に就職し、現在も勤務しています。 専門学校も自らの意志で親に行かせてほしいと頭を下げたとのことです。あの無口で病弱で意志が弱かった娘が 、今のようになるとは当時は想像できなかったそうです。

これはほんの一例ですが、Tさんの強い意志のもと、≪オールOK子育て法は母も子も活かす≫ということを紹介しました。

少しでも共感できることがありましたら、今から実践してみませんか。
行動すれば何らかの結果がでます。それを基に次の行動がきっと見えてくることでしょう。

シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
サブサイト「精神分析的子育て法オールOK」http://signifiant-lab.com/raise/
Twitter https://twitter.com/sindoumaki も参照ください。
 

【2014/09/09 11:44 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
390)自己主張できる子どもを育てよう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自己主張できる子どもを育てようについて書きたいと思います。

自己主張できる子どもを育てるためには、≪とにかく語らせること≫だといいたいと思います。
自己主張するとは、自分の考えていること、感じたことなどを言葉で語ることと限定して考えてみます。
簡単にいうと、言葉で語ることだとなります。
あえて、言葉でと書きました。
人は言葉だけで語るとは限らないからです。

例えば、体を使って語ることもできるし、他の何かを使って語ることもできます。
病気やけが、舞踏やダンスなどは自らの体を使って語り、芸術作品などは他の何かを使って語る代表でしょう。
こうして考えてみると、人は言葉だけでなく、ありとあらゆるものを使って語る存在だといえるのです。
つまり、言葉を使わなくても語れるともいえます。
ですから、あえて言葉でと付け加えたのです。

繰り返しになりますが、自己主張できる子どもに育てるためには、とにかく語らせることです。
子ども時代からとにかく語らせること、つまり周りの大人はどんなことでも子どもの言うことを聞く姿勢を持つことです。
子どもにとってはどんなことでも大発見なのです。
ですから、それを身近にいる人に伝えたがります。
それをそのまま聞いてもらえることで、どんどん世界を広げていきます。
知らないことは知りたいと思うし、やってみたいと思うものなのです。

その手段として言葉を使い、やがて抽象世界をも経験できることを知るようになります。
語る内容はどんなことでもいい。些細なことでも、間違った使い方であってもいい。
とにかく語ることが重要です。
言葉を使うことで世界が広げられることを体験してゆくことこそ大切なことだと思います。
五感を通じて感じたこと、考えたことを言葉に置き換えて語る体験、それが対話の基本であり、自己主張へと繋がる。
どれだけ言葉に置き換えることができるかが、どれだけ自己主張できるかと等価だと思うのです。

つまり、どれだけ言葉を覚えたかよりも、どれだけ言葉を使ったか。
言葉を使う基本は、誰かに伝えること、伝えるには伝えたい他者がいること。
聞いてくれる人が傍にいることです。

このように考えてみると、自己主張できる子どもに育つかどうかは、どれだけ聞いてくれる人が傍にいて聞いてくれたかだといえる。
どれだけ言葉を知っていても、その時々に応じて適切な言葉を使えなければただ知っているだけです。
知ることと体験することは違います。
知っていても使う体験がなければ、語るということにおいては無用の長物ではないでしょうか。

最後に、自己主張できる子どもを育てるためには、まず語らせましょう。
語らせるためには聞く人がいることが必須です。
聞いてあげましょう。子どもがどんなことでも語りたくなる大人でいましょう。
そうすればきっと、いっぱい語ってくれることでしょう。
このようなことが「オールOK子育て法」の実践でもあるのです。
その向こう側にはきっと、自己主張できる子どもの姿がみえることでしょう。

オールOK子育て法についてはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/

Twitterもフォローしてみてください。https://twitter.com/sindoumaki

【2014/08/02 10:36 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
387)しあわせになろう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「しあわせになろうについて考えてみたいと思います。

関東甲信越地方も梅雨明け宣言が出ました。子どもたちは夏休みに入り、いよいよ夏本番ですね。
子どもを持つ親にとって、何かと普段とは違った時間が始まりました。

さて、今回は「しあわせになろう」をテーマに取り上げてみました。
「しあわせ」について定義することは難しいので、ここでは「しあわせ=満足」と置き換えてみたいと思います。
そうすると、しあわせになるとは満足することであり、満足するとは満足を味わうことといえます。
逆に、満足を味わうには何が必要でしょうか。
それは欲望をもつこと、例えば「~したい」と思うことです。
したいと思うことはたいてい、その人にとって好きなことでしょう。
つまり、好きなことをしている時が満足を味わう時であり、しあわせだと感じている時となります。このように考えていくと、好きなことをすることがしあわせになることだといえるのではないでしょうか。

≪しあわせになりたいと思うなら自分の好きなことをしましょう。
子どもにしあわせになってもらいたいと願うなら、子どもの好きなことをさせてあげましょう。

自分が好きだと思うとは、あくまでも主観的なものです。
そこには他者との比較参照は一切ありません。
他の誰かのしあわせのために何かをするのではなく、自分のしあわせのために自分の好きなことをするのですから。 
 好きなことの積み重ねがしあわせな日々であり、しあわせな人生に繋がると思うのです。
選択しなければならない時には、迷わず好きな方を選択しましょう。
それがきっとしあわせを味わえる道に繋がっていることでしょう。

あらゆる情報が氾濫し、日々何もかもがスピードアップしているようにみえます。
それらに惑わされず、シンプルに考えてみませんか。
「好きだから」
このシンプルな判断基準で生きてみませんか。
「好きなことをしている時が一番しあわせだ」とよく耳にします。
「好きこそ物の上手なれ」ともいいます。 

心乱れた時、戸惑いを感じた時、混乱していると感じた時、そんな時問いかけてみてください。
『今自分の好きなことは何?』

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
Twitterでは日々感じたこと、学んだことをつぶやいています。https://twitter.com/sindoumaki  

【2014/07/22 23:19 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
385)子どものしあわせ―安全と安心

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「子どものしあわせ―安全と安心について考えます。

子どものしあわせって何か?
それは、何よりも安全と安心の環境だといいたいと思います。

ここでいう環境とは、家庭内の環境を、子どもは、小学校入学以前の子ども、しあわせは、子どもが嬉しい、楽しいと感じることと限定して考えてみます。
そうすると、子どものしあわせとは、家庭内で嬉しい楽しいと感じる環境であり、それが安全で安心の環境となります。
では、子どもが嬉しい楽しいと感じるとはどういうことでしょう。
したい時にしたいことができ、したくないことはしないことが許されること。
つまり、その時その時のあるがままを認められ、受け容れられることではないでしょうか。
しつけという名のもとに、親の都合のよい子どもに仕立てあげられないことです。
あるがままを認められ、受け容れられるとはこのようなことではないかと思うのです。

こういうと、「それでは社会では生きていけない」「後で困るのは子どもだ」「わがまま気ままになる」「親として責任がある」などの意見が出てくることでしょう。
それらを承知の上で、あえて言いたいと思います。
なぜなら、後に安全と安心の場所を求めて彷徨っている多くの人たちに出会うからです。
お決まりの意見なんか聞きたくない、それくらい分かっている。
そんなことを聞きたいのではない、この気持ちを苦しさを理解して欲しいだけなんだ。
意見されず、操作されず、求められず、ただホッとできる場所、そんな居場所が欲しい。
このように心の奥底から叫んでいる人たちの声を聴きます。
そして、そんな人たちの幼少期の家庭内には、安全安心と思える環境が無かったことを知りました。

一方、様々な違いはあるものの共通していう言葉があることに気づきました。
「寂しかった」「分かって欲しかった」です。
そばに家族が居る、居ないに関わらずです。
「物質的環境は満たされていたが、心は寂しく満たされなかった」と語った人がいます。 

成長して社会参入すると、あるがままを認められる機会は少なくなるのは必定。
それならせめて幼少期だからと許される時期に、たっぷり味わえる環境が必要です。
そして、大人になった時、その環境の再現を目指して自らの新しい家庭を持ちたいと欲望する。
まさしく安心と安全と感じられる環境である「家庭」を目指すことでしょう。
「家へ帰ってきたらホッとするなあ」
そんな言葉が漏れ出る環境、それが安全安心の環境であり、仕合せと感じる環境ではないでしょうか。

最初、小学校入学以前の子どもと限定して考えるといいましたが、幼少期の環境を再現する可能性が高いという意味において、年齢は関係ないと思います。ではなぜ、幼少期の環境を再現するのかとの問いには、人は知っていることしかできないと答えておきたいと思います。

子どものしあわせを考える時、まずは子ども自身が嬉しい楽しいと思える環境、あるがままを認められる環境を整えることだと言いたいと思います。

ご意見、ご質問はシニフィアン研究所 真道満喜までメール、電話 http://signifiant-lab.com/ 
Twitterでどうぞ https://twitter.com/sindoumaki 

【2014/06/19 11:37 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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