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【2025/07/05 03:00 】 |
335)愛の証―いつも傍にいる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「愛の証―いつも傍にいる」について書きたいと思います。

「愛」の定義はなかなか難しいですが、
フランスの精神分析医、ジャック・ラカンは「愛とは持っていないものを与えることである」と言いました。
この視点から、特に幼少期の子どもが求める愛を中心に考えてみたいと思います。
そして、≪子どもが求める「愛」とは、母が常に目の前に居ることを要請することである。≫
ということを考えてみます。

ご存知のように、生理的欲求を自ら満たすことのできない乳幼児は、
自分を世話してくれる他者(ここでは母と呼びます)に絶対的に依存しています。
つまり、常に母が傍に居て、世話をしてくれることが必須だといえます。
これが、すべての人の原初の姿だと言っても過言ではないでしょう。

そして、成長と共に言葉を覚えて自ら使うようになっても、
この原初の環境の再現を求め続けると言われています。
これを「母の愛の要請」と呼びます。

どういうことかというと、
例えば、子どもがおねだりをするのは、そのものを求めているのではなく、母が傍に居てくれることを求めているということです。
「おもちゃ」を欲しがるのは、「おもちゃ」そのものを欲しいのではなく、
母が自分の目の前に居て、温かい眼差しを向け、心を寄せてくれることを望んでいることを指します。
ですから、
単にその「おもちゃ」を与えるだけでは、子どもは満足しないことでしょう。
次から次へと要求し続けるかもしれません。
それは「ママ違うよ、僕が欲しいのはおもちゃじゃない、ママが傍に居てくれることだよ」とのメッセージではないでしょうか。
このように考える視点です。
一度、確かめてみてはいかがでしょう?

あるお母さんに試してもらいました。
子どもさんが何か言ったら、手を止めて、腰を落とし、子どもさんと目線を同じ高さにして目を見つめて、
優しい声で「なあに?」と聞いてあげてくださいと。
するとどうなったでしょう?
子どもは、ニコッとして
「何でもないよ」と言って満足したような顔になり、また遊びに夢中になったそうです。

何となく想像できますよね。
それだけではないのです。
実は、このようなことは幼少期はもちろん、
思春期の子どもや成人した大人にも有効のようなのです。

これはどういうことでしょう。
それは、身体年齢に関係なく、誰もが乳幼児期に体験したであろう原初の姿の再現を求めている。
このように考えられるのではないでしょうか?

ですが、これらのことはまず不可能に近いことでしょう。
母だけでなく、すべての人は忙しいのですから。
特定の人の傍に常に居ることは不可能でしょう。
エネルギーも時間も体も限界がありますから。
だから「愛とは持っていないものを与えることである」とラカンは言ったのではないでしょうか。

そんなことは知っている。
それでも求め続けている。
愛する人に対して、愛の証を求めている。
それが伝わらないから、理解されないから必死に訴えようとしているのが、
病気、けが、非行、問題行動などであり、時には自殺でもあると思うのです。

愛の証、それは自分の愛する人が常に傍にいてくれることを要請し、実現することであり、愛を与えることは、愛する人の傍に常に居ることではないでしょうか?

精神分析や、人の精神構造に興味を持たれた方は共に学びましょう。
関東地方だけでなく、関西へも毎月出張しています。
詳しくはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/
Twitterhttps://twitter.com/mukaiai
Facebookhttp://www.facebook.com/?sk=welcome#!/mukaiaiにも連携しています。

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【2013/04/20 23:17 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
334)世界中で誰よりも一番必要とされている

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「世界中で誰よりも一番必要とされている」について書きたいと思います。

世界中で誰よりも一番必要とされているのは『お母さん』あなたです。
このように言いたいと思います。
様々な悩み苦しみを訴えている人々の心の叫びを集約すると、
最後にはやはり≪お母さん≫にたどり着くように思います。
「世界中で誰よりもまず、お母さんに理解されたい」
「世界中でだれよりも、母に抱きしめられたい」
すべての子どもは、まずこのように思っているのではないでしょうか?

あるお母さんがある時、話してくれました。

『身体が思うように動かず、食事もろくに作れず、一緒に遊んであげることもできず、子どもの要求に応えてあげることもままならない私です。それでも、娘は≪やっぱりお母さんが世界中で一番大好きよ!≫このように言ってくれたんです。こんな私でも、娘にとっては世界中でかけがえのない存在なんだ、誰よりも一番必要とされている存在なんだと痛感したんです。』


言うことを聞かないのも、
やんちゃして困らせるのも、
口ごたえするのも、
反抗するのも、
問題行動と言われることをするのも、
病気やけがをして心配させるのも、
きっときっと、
お母さん、その人を
世界中で一番大好きで、
世界中で誰よりも必要としているからではないでしょうか。


世界中の≪お母さん!≫
あなたは、あなたの子どもさんから、世界中で誰よりも一番必要とされている。
そのように感じることはありませんか?
あなた自身も、そのように考えたことはありませんか?

もし、少しでも思い当たることがあったなら、
このような視点から

子どもさんの日々の言動にちょっと目を向けてみませんか?
子どもさんの心の声が聴こえてきませんか?
子どもさんの瞳の奥にある眼差しが、いつもと違って感じませんか?

シニフィアンア研究所の迎意愛(むかいあい)からのひとり言です。
子育て相談、講座も開催しています。
HPも参照ください。http://signifiant-lab.com/

【2013/04/14 21:58 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
333)怒りは空腹からやってくる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「怒りは空腹からやってくる」について書きたいと思います

様々な衝動(感情)の中でも、一番厄介なのは「怒り」だと言われます。
特に対人関係において、コントロールする必要性が高いものの代表でもあります。
これらをいかにコントロール(処理)するか?が問題です。
その前に、怒りの根底には何があるのでしょうか。
ここでは、それは空腹からだと言いたいと思います。

例えば、お腹が空いたらイライラし、
満腹になったら、まあいいか・・・となることも多いのではないでしょうか。
(もちろん、そうではないこともありますが)
まずい食事、嫌いなメニューばかり食べさせられる。
手作りではない食事ばかり(店屋物、冷凍食品、半加工食品のまま)が出る。
こういう場合も同じと考えます。
なぜなら、そこには母の愛情を感じにくいと考えるからです。

料理の味だけでなく、食卓にあるものすべてが繁栄されます。
味も美味しく、調和したお皿や容器に彩りよく盛り付けられていたらどうでしょう。
おまけに、自分の大好きなメニューだったら、
そして、何よりも母の笑顔が添えられていたら、ほかに何が必要でしょう?
きっと、歓声をあげてしまうことでしょう。
「わあ、おいしそう!」と。
いつもと変わらないメニューでも違って見えることでしょう。
このような中に、母の愛情を感じとるのではないでしょうか?
そうすれば食事は楽しいもの、嬉しいひと時となる」はずです。
会話もはずむことでしょう。
いつの間にかイライラはどこかに消え失せていることでしょう。
そして母も、そんな家族の笑顔を見たら、
もっと笑顔を見たいとワクワクしながら次の献立を考えるに違いありません。

自分のために、忙しい母が一生懸命に作ってくれる。
残しちゃ申し訳ない。
自分は母に必要とされている、愛されている。
だから、お母さん大好き!
子どもの中に、このような気持ちが湧くのを想像できるではありませんか?
ここからも≪食=母≫という図式が理解されます。

これと真逆の状態からは「怒り」が解消しないどころか、
益々助長させると思うのです。
家族の誰かがイライラしていたら、その人の大好きな料理を作ってあげましょう。
子どもの言葉や態度が乱暴になってきたら、
少し時間をかけて、大好きなメニューを手作りしてあげましょう。

毎食の献立を考え、作ることは並大抵のことではありません。
エネルギーと時間と手間が必要です。
ですが、食事は胃袋を満たすためだけではありません。
同時に家族の心も満たすのです。
怒りやキレる気持ちを鎮め、寂しい心の隙間を埋め、喜びと満足を与えるのです。
これほど、尽きることのない素晴らしい仕事があるでしょうか。

ですから、家族の皆さんも作ってくれる母の食事に関心を向け、
反応を返してあげましょう。
そうすれば、きっと笑顔と笑いがが絶えない食卓となることでしょう。

怒りの原因は食事だけではないでしょう。
ですが、怒りの根底には食(母)への不満が少なからず隠れているように思うのです。
まずは、食卓を今以上の喜びと笑顔にすることから始めてみませんか?
きっと、家族も母も変わってくると思います。

オールOK子育て法と共に、食育も共に学びませんか。
シニフィアン研究所 迎意愛(むかいあい)http://signifiant-lab.com/
9日~11日まで和歌山市、大阪市に出張します。
ご連絡は携帯へお願いします。

【2013/04/07 17:08 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
330)自己愛と自己嫌悪

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「自己愛と自己嫌悪」について書きたいと思います

自己愛とは、セルフラブ、自分を愛すること。
それには3つあると言われています。
1.自己肯定感
2.自己価値観
3.自信

これらの基本は、まず生理的欲求の満足から始まります。(原始的自己愛)
いわゆる「快食・快眠・快便」です。
これらが満たされること=肉体的満足
これは乳幼児期には絶対条件となるでしょう。
それゆえ、世話をしてくれる大人(母)の影響が多大だと考えられます。
つまり、母との交流を通し、
自らの生理的欲求の満足を基本に、自己愛が育てられると考える視点です。
簡単にいうと、
生理的欲求の満足は自己愛を育てる基本ということになります。
欲しいときに欲しいものが与えられ、
したいときにしたいことができるという環境があることです。

ところが、成長に伴い
「しつけ」という名のもとに、過剰な禁止と親からの一方的なコントロール(押しつけ)がされます。
(適切なしつけは必要です)
ややもすると、社会的成功(学歴、職業、金銭など)を自己愛の満足とみなす傾向があるようにも感じられます。
成功は自我の満足であって、身体的欲求の満足ではないのではないでしょうか。
少なくとも子どもが求めているものではないように思います。

子どもが自己愛を育てるために必要としているのは、
「愛情」「支持」「親密さ」「母からの身体的接触」などではないでしょうか。
そして、「自分への関心と敬意」を求めている。
つまり、
まずは、わが母からの温かい「眼差し」と「肌の触れ合い」を求め、
それによって何よりも「安全と安心」を感じ取る。
それが「母から愛されている」
自分は「生きていて良い存在である」
「この世で生きる意味がある」などなど、
自己愛の基本とされる「自己価値観」「自己肯定感」「自信」に繋がるのだと思います。

不登校・ひきこもり・問題行動などの子どもたち、
うつなど心身の悩み苦しみを持つ方々と接し、彼らが共通して叫んでいることだと感じています。
それほど、人は安全と安心を求め、
そして何より自己愛の傷つきを恐れ、自己愛を守りたいと切望していると感じるのです。
「〇〇さんの一言で心が傷ついた」
「心が折れてしまった」
などと表現されるのはその証ではないでしょうか。

子どもの自己愛を育てるためにはどうしたら良いのでしょうか?
それは、常に子どもの側を離れず、時々の子どもの要求や欲求を聴き、満足させること。
関心をもち、敬意を払うこと。
そうすればきっと自己愛は高められることでしょう。
それらが不十分な場合、
子どもは不全感を抱き、自己愛は傷つけられ、
何らかの行動や身体を使って表現するようになるでしょう。
そして、そんな自分が嫌だという自己嫌悪を育ててしまう可能性があります。

自己愛を育てられた人は、人を信じ、尊敬し、愛し、生きる意味を見い出し、
たとえ困難に遭遇しても人生を楽しく、明るい未来を描いて生きてゆくことでしょう。

自分が好きですか?
「大好きです」と即答できますか?

自己愛の育て方を共に学びませんか。
「やさしい精神分析講座」http://signifiant-lab.com/#11
「インテグレーター養成講座」http://signifiant-lab.com/#13などで学べます。
「オールOK子育て教室」http://signifiant-lab.com/#10もあります。

【2013/03/21 11:10 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
328)子どもの成長の芽は子どもが知っている

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「子どもの成長の芽は子どもが知っている」について書きたいと思います

今日は3月3日、桃の節句、ひな祭りです。
日曜日と重なり、女の子を中心にひな祭りを楽しんだことでしょう。

ある女の子(以下Sちゃんと呼びます)の言葉を思い出しました。
『ママに生きる芽を剥ぎ取られたの』
この言葉に、目を見張りました。
当時、Sちゃんは小学5年生でした。
まだまだ子どもだと見なされる年齢です。
その彼女に何があったかは明らかにできませんが、
子どもの成長の芽は、子ども自身が知っている。
そのように痛感させられる体験でした。

親は、子どもが幸せになって欲しいと願うものです。
必死になってその想いを形で与えようとするでしょう。
親の側から考えると、当然のことだと思えます。
ところが、その想いがどこかで変形して伝わる場合が多いと感じます。
どうしてなのかは、ともかく、
少なくとも、子どもが成長する芽は、子ども自身が知っている。
だとしたら、その芽がすくすく成長するための環境を用意するのが、
周りの親をはじめとする、私たち大人だと思うのです。

そのためにはどのようにすればよいのでしょう。
それは≪子どもに聴くこと≫ではないでしょうか。
なぜなら、子ども自身が知っているのですから。

ここで、本当に子どもは知っているのか?
このような疑問を持つかもしれません。
確かに、聞いても答えられないかもしれません。
それでもよいのです。

一番簡単な方法があります。
それは≪子どもの好きなことをさせてあげること≫です。
言葉で答えられなくても、知っているのなら分かるはずです。
あるいは、子どもが自らそれを見つけ出すことでしょう。
大人に必要なことは、信じて見守るまなざし(環境)ではないでしょうか?

『いいのよ、あなたの好きなことをやってごらん。』
このように言ってもらえたなら、
きっと子どもは『生きる芽を育ててもらった』と語ることでしょう。

私たち大人は、ややもすると親の立場からの熱い想いに捕らわれて、
知らない間に子どもの育つ芽を剥ぎ取ってはいないでしょうか?
このことを、Sちゃんから学びました。

子どもの精神はどのように育つのかを共に学びませんか。
興味を持たれた方はこちらを参照ください。
やさしい精神分析講座 http://signifiant-lab.com/#11
子育て講座 http://signifiant-lab.com/raise/

【2013/03/04 00:06 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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