忍者ブログ
  • 2025.06
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2025.08
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/07/04 22:05 】 |
348)まなざしの意味

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

 今日は、「まなざしの意味」 について考えてみます。

視覚とまなざしは違います。
視覚は「光の刺激を受けて生じる感覚」と辞書にもある通り、一つの感覚です。
それに対し、まなざしは「目つき、目の表情、視線」とあり、相手のまなざしの中に、「意味」を読み取るといえるでしょう。

例えば、自分が何かを言ったとき、相手が
・笑顔になった=喜んでいる=私は好かれている
・無視した=怒った=私は嫌われている
・反応がなかった=どうしたんだろう=不安になる

このように、相手の態度や反応によって、そこに何らかの意味を読み取る。
読み取りの基準は、過去のデータ(経験値)との照合です。
そして、その始原はやはり養育者(母)との交流からだといわれています。
母が子どもの言動をどのように受け止め、語ったか?
いつもニコニコ顔の母が目の前にいたら、子どももニコニコ顔になる。
そして母が「〇〇ちゃん可愛いね、嬉しいね、楽しいね」と共に味わえたなら、きっと母と子はしあわせな気持ちに包まれることでしょう。
一方、いつもプリプリ顔の母が目の前にいたら、自分もプリプリ顔になりがち。
そして、母が「〇〇は言うこと聞かない悪い子だ、うるさい、あっちへ行け」と怒鳴りつけたなら、子どもは悔しさと悲しさのあまり泣きだし、暴れるかもしれません。
まるで母と子は、互いを映す鏡のようです。

お互いのまなざしの中に互いの笑顔や怒りを映し出す。
笑顔は二人に喜びとしあわせをもたらし、それが安心と安らぎへと繋がる。
怒った顔は二人に怒りや憎しみの感情を引き出し、恨みへと繋がるかもしれません。
このように、母と子はお互いを映す鏡の関係となります。
相手のまなざしの中に映った自分の姿を見つめ合っているのです。
これを「まなざしの交換」と呼びます。
仲睦まじい恋人同士の姿を想像すると理解できるでしょう。

この体験を基礎にして、その後の経験値を積み重ねてゆく。
そして、その膨大なデータをもとに、常に相手のまなざしの中に意味を読み取ろうとする。
同じ表情でも、人それぞれ読み取る意味は違っていることでしょう。
その読み取った意味は、誰の意味?
鏡の関係から考えると、、、
このように考えてみると、まなざしが怖いという人はそこにどんな意味を見い出しているのかが見えてくる気がします。
その人はそれまでどのような姿を映し出されてきたのかも想像できることでしょう。

笑顔は相手の中に喜びとしあわせ、安らぎをもたらし、それが鏡の像として反射して自分にも跳ね返ってくる。その結果、自分も喜びとしあわせと安らぎを感じる。
そんなまなざしの交換が互いの喜びを増幅させることとなる。
これが相思相愛の姿なのでしょう。

♪目と目で見つめ合い~♪
「目は口ほどにものを言う」「目は心の鏡」「目は心の窓」
こんな歌詞と故事ことわざを思い出しました。

今回は「まなざしの意味」について考えてみました。
無意識に読み取っているまなざしの意味に注意を向けてみることも、新たな自分発見に繋がる方法だと思います。
ご意見、ご感想はシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/

PR
【2013/10/04 18:26 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
347)愛着と絆

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

 今日は、「愛着と絆」 について考えてみます。

「愛着」はどのようにして生まれるのでしょう。
「絆」はどのようにして結ばれるのでしょうか。
対象関係論では、次のように説明されています。

まず、母子一体から母と子として分離したところから対象関係が始まり、まず「愛着」が生まれる。
愛着の行動として、後追い、しがみつき、啼泣などの能動的な近接、接触行動だという。
それに応える母の母性的な養育態度との相互交流を通して母と子の「絆」が生まれる。

ここから考えると、
「愛着」は、ある特定の対象(始原は母)に対して抱くある特別な感情や行動と読み取れます。
その前提として、自分と自分以外(母)が識別できていることが必要。
つまり、自分とは違う誰か(何か)がいるイメージを持っているということ。
そしてその対象に対して、他とは違う特別な行動を示すこと。
これを「愛着」というのでしょう。
何よりも「愛着」は対象へ示す意思表示と捉えられます。
ということは、少なくとも自分と自分以外というイメージ(認識)がないと愛着も生まれない可能性が考えられます。
「愛着」が芽生え、育ってゆく過程で、自分以外の他者(もの)に対して関心を持つようになる。
逆に言えば、自分以外に関心を持たない人は、この愛着が育っていない可能性があると考えられる。


もしそうだとしたら、愛着を育てるにはどうすれば良いかが見えてきます。
愛着を持てる環境を用意することです。
愛着を育てる環境とは、「母子一体」を味わえる環境です。
母子一体を味わえる環境とは、、、
生後半年までのお母さんと赤ちゃんの姿を想像してみましょう。
母は常に赤ちゃんの傍に居て、片時も離れず、目と目で見つめ合い、言葉はなくても通じ合っているかのようです。
赤ちゃんの泣き声やしぐさ、行動を瞬時に読み取り、適切な行動で応える。
赤ちゃんからすれば、ちょっとしたしぐさをしただけで、母がメッセージを読み取り不快を快に換えてくれる。だから安心して満足し安らぎを覚え笑顔になり、時にはすやすやと眠る。
このような関係です。

こうして安心と安全、そして満足と安らぎを味わったからこそ、その母という対象に対して愛着を抱くのでしょう。
完璧な満足は得られないとして、言葉の世界に参入した後も、人はこの遠い過去の記憶をどこかに記憶していて、その再現を求めるのかもしれません。
それが、肌の温もりや、圧力(圧迫感)、音(声、トーン)として身体のどこかに刻印している。
だから、心疲れた時、何らかの問題や課題に直面した時、それら乗り越えようとして、過去の愛着体験により近い環境を求めるのではないでしょうか。

それらが一番表出しやすい時期が、思春期なのでしょう。
自分という個として自立(自律)するためには、どうしても心の中の「愛着」の体験やイメージが必要なのです。それを糧として独り立ちしてゆくのです。それがあれば、その上に時々の体験を積み重ねていけるでしょう。
時間的にかなり広げ過ぎましたので、元に戻しましょう。
「愛着」は自分に安心と安全と安らぎを与えてくれる人との間で培われるものだと考えるのです。
この「愛着」を向ける他者(母、もしくはその代理)との母性的な相互交流を通して「絆」が生まれると言われています。

以上のような「愛着」と「絆」を結べる体験(環境)をした人は、はたしてどれくらい居るでしょうか。皆無に等しいかもしれません。
何よりも大事なことは、その体験をしたかよりも、そのことに気づいているかだと思うのです。
気付いたなら、自らが何を求めていたのか、なぜ自分が、子どもがそのような行動をするのか、少し見えてくるかもしれません。
そこから新たな未来が見えてくるような気がします。
「愛着」を抱ける人が居ること、
その対象が「もの」だとしてもその向こうには必ず誰かがいたのではないでしょうか?
その対象に触れるだけで、愛着を抱いていた自分の姿が浮かぶのではないでしょうか。
そうすれば、身体に心にエネルギーのようなものが湧いてくるのを感じることでしょう。
このような自らの心の内奥に大切にしまっている歴史が誰にもあるはず。

それらに気づく方法の一つとして精神分析という対話療法があるのだと考えています。
これからも、シニフィアン研究所 迎意愛の「言語」と現実界を繋ぐ一つの試みをブログという形式で公開します。
関心を持たれた方は、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
思春期の問題に関してはhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
を参照ください

【2013/10/03 11:45 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
339)「好き」を育てよう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「好きを育てよう」について書きたいと思います。
ここでは、

≪好きなことがある≫ということがどれほど大切であるかを考えたいと思います。

ほとんどの人は少なくとも一度は
「自分は一体何をしたいのか?」との問いかけをしたことがあることでしょう。
これが、いわゆる≪アイデンティティー(自己同一性)への問いかけ≫です。
「自分とは何か?」
「何のために生きているのか?(生きる意味は何か?」
これらの問いかけは、主に進学や職業選択をする時(思春期)に発生します。

それらが明確に決まっている場合は、問題なく進んでゆくでしょう。
ところが、明確でない場合、立ち止まってしまう可能性が出てきます。
そして、その問いかけに何らかの答えが見いだせなかったとき
<アイデンティティー拡散>などと言われる事態が起こります。
ちょうど、身体的変化も伴って、イライラが募り、
様々な問題行動や心身の不調が起こりやすい時期であり、
統合失調症など精神病が発症する可能性が一番高い時期だともされます。
『疾風怒濤の時期』ともいわれます。
逆にいえば、
だれもが一度は通り抜けなければならない時期だともいえます。

この時期をうまく乗り越えてゆくために、
「好きなこと(もの)がある」ことが大きな助けになるであろうと思います。

例えば、テレビや雑誌などで、インタビューされた人が
「どうしてここまで続けてこられたのですか?」
「どうしてそこまでやるんですか?」
などの質問に対し、
「やっぱり〇〇が好きなんですよね」と答えている場面によく出くわします。

このように、好きなことに対しては
どのような艱難辛苦が待ち受けていようとも、決して引き下がらない。
立ち止まることはあっても、常に前進し続けることでしょう。
その根底で支えるものは、ただ「好き」これだけです。
まして、周りの評価や損得や将来性など関係ありません。
ただただ夢中で寝食忘れて没頭することでしょう。
その集中力には凄いものがあります。

では、その基礎には何があるのでしょうか。
ひとことでいえば、環境ではないでしょうか。
ここでいう環境とは、集中して没頭できる環境を指します。
どういうことかというと、
誰にも邪魔されず、中断されないということです。
その始まりは、幼少期だといいたいのです。
子どもはあらゆる物事に興味を示します。
それを大人の視点からの判断で邪魔しないことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あるお母さんが、
「子どもがゲームに夢中になって勉強をしなくて困る。
ひどいときは、一日10時間もしている。
何度注意してもききません。これでは、先がおもいやられる。どうしたらいいのでしょうか?」
と相談に来られました。
お母さんの言うことに共感できる大人は多いかもしれません。
ですが、その時、そのお母さんに言いました。
「素晴らしい、それほどまでの集中力、意志力がある子どもさんなんですね」と。

今は、その好きな(興味がある)対象が「ゲーム」かもしれません。
それが他の好きな(興味がある)対象に移行した時のことを考えたらどうでしょうか。
その集中力、最後までやり通す意志力は、凄いものがあるのではないでしょうか。

私たち大人は、ややもすると目先の対象(こと、もの)に捕らわれすぎていないでしょうか?
対象に目を向けることも大切な一つですが、
一つのことに集中している「集中力」
最後までやり抜こうとする「意志力」に目を向けることも大切だと思うのです。

一時期没頭していても、それが本当に興味の対象でないならば、
いつか必ず止める時が来るでしょう。
それを自らが身を持って体験することが、自分で判断し、決定する能力を育てることにも繋がると思います。
そのためには、「好き」を見守り、育てる環境が大切ではないでしょうか。
その代表的な養育方法が≪オールOK子育て法≫なのです。

オールOK子育て法についてはこちらを参照ください。
「精神分析的子育て法、オールOK」http://signifiant-lab.com/raise/
オールOK子育て教室、養成講座もあります。
シニフィアン研究所HPhttp://signifiant-lab.com/ 

【2013/05/19 10:31 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
338)寄り添う心

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「寄り添う心」について書きたいと思います。

以前にも同じようなタイトルで書きましたが[175)寄り添うとは?を参照ください]

問い合わせの頻度が高いので、改めてテーマとして取り上げます。
ここでは、精神的に寄り添うことを中心に考えてみたいと思います。

誰かが傍に居ても、話をしていても、聞いてくれていても、
必ずしも寄り添ってくれていると感じられない場合があります。
一所懸命に話を聞こうとしているにも関わらず、
「寄り添ってくれない」と言う。
寄り添っているつもりなのに、寄り添ってくれないと言う。
どうして寄り添いたいとう気持ちが伝わらないのだろうと歯がゆく思う。

そんな体験はありませんか。

そんな時は、お互いが同じ気持ちでしょう。
≪どうして解ってくれないの!≫
このように叫んでいることでしょう。

街中で、ふと耳にした母と娘の会話を紹介しましょう。

娘「これ可愛いねえ」
母「じゃあ買ってあげるわ」
娘「そんなこと言ってないよ、ただ可愛いって言っただけよ」
母「可愛いと言うから、買ってあげようと思って言ってるのに、何よその言い方は。」
娘「ママはいつもそう。私は物が欲しいんじゃないわ。」
母「何が不満なの?買ってあげるって言ってるのに」
・・・・・・・この後の展開は想像してください。


どうしてこのような展開になったのでしょうか。
娘は何を言おうとしているのでしょう?
母は娘の何を理解できないのでしょうか?
娘の視点から考えてみましょう。

・≪言うことを聞いて≫
「可愛いねえ」と言ったのです。
買ってほしいとは言ったのではありません。

・≪共感して欲しい≫
「可愛いねえ」と言ったら、「ほんと、可愛いわね」と答える。
これを共感するといいます。
母が共感したなら、娘は「ママも自分と同じ想いなんだ」と思えたことでしょう。

・≪共有したい=一体感を味わいたい≫
母が共感することで、想いと時間を共有していると感じられる。
これは、母との一体感を味わうことと等価です。
他者との一体感を味わうことは、融合体験に繋がります。
融合体験は、至福の時や満足感、幸福感をもたらすことでしょう。

このように考えていくと、この娘さんの要求していることが見えてきます。
母との一体感を味わいたい、
母と満足、幸せな気持ちを共有したい。
物が欲しいのではない。
欲しいのは寄り添ってくれる母の(喜びの共感、共有)であると見えてきたのです。

母の視点から考えてみると、また違ったものが見えてくるでしょう。
双方からの視点で見ていくと、それぞれの想い(心)が読み取れます。
このような視点からの勉強会もしています。
共に学び、考えてみませんか?

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
埼玉、和歌山でも順次講座を開催しています。http://signifiant-lab.com/#13

 

【2013/05/05 13:44 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
336)秘密を持つこと

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「秘密を持つこと」について書きたいと思います。

子どもが成長する過程で、親に秘密を持つことが大切となります。
(ここでは、4・5歳くらい~12歳くらいまで)
それは、自分と他者の境界線があることを学び、「自我の確立」に繋がるからです。

親が常に傍にいなくても遊べる年齢になると、
子どもだけの秘密をもつようになります。
それまでは、子どもにとって親は何でも知っている万能の人です。
つまり、親は自分のことを何でも知っている=お見通しである
このように感じているのです。
逆に、まだまだ自分だけが親を独占していたい気持ちの方が優勢です。

ところが、次第に、親が知らないこともあることに気づき始めるのです。
それが自分と友達だけの秘密、自分だけの秘密です。
親から見れば、予測可能であり、お見通しなので、
すぐにバレてしまいます。
それでも、秘密を持つことは子どもにとって一つの冒険でもあるのです。
親は自分について何でも知っている=自分と親の境界(区別)が無い
親は自分について知っていることと、知らないことがある=自分と親の境界(区別)に気づく

このことが、自分と親(他者)との間に境界線があることを気づかせるのです。
この境界線が後の「自我境界」になると言われています。
そして、12歳くらいになると、自分の部屋が欲しいと言い始めます。
この言葉を持って
「自我境界を持つ=自我の確立を持ち始めたと見なせるのです。

自我の確立ができていないとどうなるでしょうか。
例えば、
自分の考え(体臭)が外に漏れ出る。
他者は皆、自分の考えることを知っている。
他者が侵入してくるetc
人が怖いと感じ、安心して外に出られなかったり、対人恐怖になったりする可能性があります。

親は自分の予測を超える子どもの言動や態度に不安になり、
必要以上な干渉をしたり、問いただしたりしがちです。
ですが、子どもは親が知らない秘密をもつことで、
自我境界を知り、自我を確立しようとしているのです。
子どもについて知らないことができても、すぐに不安にならず
寛大な視点から子どもの成長を見守ってあげたいものです。

子どもに眼差しを向けつつも、過剰な干渉はしないこと。
決して無断で子どもの引き出しやカバンや携帯を見ないこと。

知っていても知らないフリをすることも時には必要ではないでしょうか。
誰より、親に秘密を持つことを一番不安に思っているのは≪子ども自身≫なのですから。

このような親の眼差しに見守られたなら、
子どもは冒険をしながら自らの体験を通して、自分という自我を確立してゆくことでしょう。


子育てに不安や疑問を持たれたら、共に学びませんか?
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/


 

【2013/04/25 00:00 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
<<前ページ | ホーム | 次ページ>>