シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
	精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
	           
	今日は、「居場所―ただ聴いて欲しい」 について書きたいと思います。
	日々、クライアントと向き合っていますが、
	その中で、クライアントからよく聞く言葉があります。
	今日は、その一つを紹介します。
	それが「ただ聴いて欲しい」です。 
	考えてみれば、
	あちこちで「評価される」ことが多いのでしょう。
	学校、塾はもちろんのこと、習い事、職場でも
	常にだれかと比べられ、評価されることが当たり前になっています。
	競争社会にどっぷり浸かっているのですから、当然かもしれません。
	せめて、家の中でだけは・・・・
	と、思うけれど、それも叶わない。
	家の中も外も同じ、常に人からの評価が待っている。
	そんなとき、
	だれかが、黙って聴いてくれる。
	評価することもなく
	良い悪い、正誤も言わず、ダメとも言わず
	ただただ、「そうか、そうか、そうなんだ」と聴いてくれる。
	そんな人が居てほしい
	そんな場所が欲しい。
	このように、だれもが心のどこかで叫んでいるのではないでしょうか。
	あるクライアントが言いました。
	≪かつてこんなに長い時間、自分が喋りっぱなしだったことはなかった。いつも誰かに邪魔されたり、さえぎられたりして、
	最後まで聴いてもらったことはなかった。≫
	また、
	一年半の間、毎週身の上話を涙と共に語り続けた人もいました。
	それらの大半を語り終えた時、
	その女性を見てびっくりしました。
	『こんなにも色が白くて、綺麗な人だったのか』と。
	それまでは、背中を丸めてうつむき、暗い顔をしていました。
	それが
	まるで別人のようになったのです。
	正直、驚きと共に感動しました。
	人は、心の中のヘドロを吐き出した時、こんなにも変容し、輝くものであるのだと!
	フランスの精神分析医である、ジャック・ラカンは言いました。
	【身体は文字が刻まれた辞書のようなものである。】
	まさしく、彼女は
	暗く、重く、苦しく、筆舌しがたい過去を身体に刻み込んでいたのです。
	それが『語る=言葉にする』ことによって、
	身体に刻まれた文字(言語)が剥がれ落ちたのでしょう。
	だれもが、その人固有の文字を刻んでいると考え、
	それを分析家に語ることで、自らが明らかにし、知っていく方法が精神分析です。
	そして、必要とあらば、
	その言語を、自分の好きなように書き換えることも可能です。
	
	前述の彼女は
	「苦行僧」→「修行僧」→「普通人」へと書き換えました。
	ただただ、語り続けることで気付き、書き換えたのです。
	このように、
	誰かに語り続けたい、聴いてもらいたい、
	と、大半の人が叫んでいると思うのです。
	
	「あるがままの自分」が裁かれることもなく、批判されることなく、
	指導されることなく、他者に受け入れられること。
	それが癒しであり、自己を知ることであり、変容へと繋がってゆくことだと思うのです。
	
	話しても仕方がない。
	どうせ言っても・・・・・
	と、思ってあきらめていませんか。
	聴いてくれる人は必ずいます。
	
	シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
	オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
	思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
	恋愛と結婚ー仕事と生きがいhttp://signifiant-lab.com/woman/
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