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人は皆、自分が求めているものを知っている
ただ、 それが何なのかを知らない だからそれを求めている 具体的な何かではない お金や家、土地、名誉などのことではない それらを通して求めているもの それらの向こう側にあるもの ひょっとしたら、 永遠に気付かないままなのかもしれない だけど「知っている」 そうとしか表現できないもの それを知っているからこそ 自分の身体を使って表現している 例えば 行動や病気、怪我などで あるいは作品と呼ばれるものを創ることで すべての人は知っている ただ二種類の人がいるようだ 知りたいと探求し続ける人 そんなものは無いと否認、あるいは諦めている人 そんな観点から自分を見つめてみるのはどうだろう? きっと、違った世界が観えてくるだろう 先人はこのことを 『難あって有難し』と言ったのではないだろうか? 自分に気付くチャンスだと それを掴め! そのように聴こえる ご意見・ご質問・お問い合わせはシニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/ PR |
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大切なものを失くしたり、
大事な人との別れがあったりしたとき 人は 「心にぽっかり穴が空いたようだ」 という表現をする 確かにそうだ しかし、 実は、元々すべての人の心に穴が空いている それは 母の胎内という「楽園」から追放されたから ナンビトも永遠に戻る事ができない「楽園」 そしてすべての人は「穴」が空いていると知っている だからこそ その穴を何かで埋めようとする のだある人は 「アルコール」で またある人は 「美食」で 「肌の接触」で 「成功」という名の栄光で 「勲章」で 「名誉」で 何ものでも埋められる しかし どれ一つとしてぴったり埋まるものはない もしあると言うなら それは「幻想」である ただ一つある それは精神分析という「智」 ピタリとはまるのである これは体験してみないと解らない そして 何よりも「穴が空いている」という認識が必須 その穴を何によって埋めようとしているのか この「智」を精神分析によって気付くことだろう ご意見・質問は シニフィアン研究所までどうぞ http://signifiant-lab.com/ |
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