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| 養育において、人は誰しも満足を与えられた体験は皆無に等しいだろう ここでいう「満足」とは 要求を出したときに、敏速に的確に行動で答えてもらった体験のことである そんなはずはないと思い込んでいる人はいるかもしれないが つまり、殆どすべての人は不満がいっぱいだと言える その不満を何とか満足に変えたい 不足しているとするなら、何とか埋めたいと切望するだろう 思春期になると身体的にも成熟してくる 友達関係を経て、異性に関心を持ち付き合いたいとの欲求が出てくる ここで展開されるのは男女ともお互いの中にある「穴」を埋めあうこと 単なる欲求のはけ口だとか ただ彼氏、彼女という関係に憧れるというのもあるだろうが ここではそれらは別にする 付き合うという名の元に 求めて得られなかったものを埋め合う場合が多い 身体的な快も伴いながら楽しむものともなる 互いの間に展開されるのは、求めて得られなかった母の代理満足である 例えば母に 言う事を聞いてもらえなかった人は、恋人に何でも言う事を聞いてくれることを求めるだろう 罵声と虐待を浴びせられた人は、優しさを求めるだろう 振り回せなかった人は、あちこち連れて行ってくれる人を求めるだろう 抱っこしてもらえなかった人は、肌の温もりを求めるだろう これらを満たしてくれる人が「大好きな恋人」「いつも一緒にいたい恋人」となる そこだけを見ている その他は見ないようにしている 求めることを与えてくれなくなった時、恋は醒める 時には、「愛と感じていたもの」は「憎しみ」へと変貌する シニフィアン研究所のHPはこちら  http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/ PR | 
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