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【2025/07/04 00:33 】 |
ゴムの壁
絶対親のようにはなりたくない!
窮屈で過干渉で自由のない、こんな家は嫌だ!
早く自立したいと親元を飛び出る
すべてのことに、ことごとく反抗してきた
「やっと自由に、自分の思うとおりに生きられるんだ」
そうして、自分で考え、判断し、生きてきた
決して親のような生き方をしていない、自分の人生を生きていると自負していた
 
思春期を機に大抵の人は
何らかの親殺し、否定をしてアイデンティティーを確立しようとする
そして、しっかり親(父)を否定し、自分の生き方を規定する
そうすれば、ゆるぎなく個の確立ができ、自分の人生が生きられる
 
この父の否定をする前に大きな壁がある
それは「母」という巨大な壁
かつては一体であり、肉体的には分離したものの
母子共に干渉し合うのは避けられない
愛情という名の暴力」ともなりかねない
この母からいかに分離をするか?が大きなテーマとなる
過干渉、もしくは放任となりやすい
どちらにしても「育たない」という意味では等価である
 
この巨大な壁を打ち砕き、乗り越えようと必死となる
反発し、抵抗し、時には飛び出し、距離をとる
そして、その壁を打ち砕き、乗り越えたつもりになる
しかし、その考え、判断の基準は何だろう?
大なり小なり、母の価値観が基準となっている場合が多い
まさしく「お釈迦様の手の上の孫悟空」
はるか遠くへ来たつもりだったが、結局は大きな手のひらの上を出ることはなかった
まるで
どこまでも伸びる大きなドームのようなゴムの壁
少しでも反発や抵抗に疲れ、その力が弱まると、一気に引き戻される
「しまった!!」
と思い、また力の限り遠くへと遠ざかる
しかし、気を緩めるとまた引き戻される
この繰り返しがまるで一所懸命生きているかのような錯覚をもたらす
しかし、ついにエネルギーを使い果たし、疲れ果て、抵抗をやめる
そして、
ゴムの壁はまるで何事もなかったかのように丸いボールに戻っている
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
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【2011/10/11 07:09 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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