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愛は時には「暴力」ともなる
相手のことが愛おしくてたまらない
だからこそ自分の理想の姿であって欲しい
そのためならどんなことだってする
命だって惜しくないとまで思う
この想いがややもすると、受け取る側には暴力でしかない場合がある
「愛しているからこそ」
「アナタのためを思ってしたこと」
「アナタのためなら何だってできる」など
これらの言葉に代表される
親子、恋人など心理的に非常に近い関係で生じやすい
相手の意志を無視した形となる
ひたすら自分の理想のイメージを相手に添付する
それは自分の理想の姿だから
自分がしたくてできなかった、なりたくてなれなかった姿だから
それを相手に押し付ける
「愛」という荘厳なベールに包んで
あなたのために、私は自分の時間もお金もエネルギーもすべて犠牲にしてきた
だからあなたも私のこの愛に応えるべきよ!
わたしのすべてをあなたに掛けてきたのだから!
与える側が「愛」のつもりであったとしても
受け取る側には「暴力」となることがある
それはなぜ?
それは「受け取る側が求めているものではないから」
≪愛とは持っていないものを与えることである≫ラカン
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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