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「人は他者を必要としていない」
このように言うと、たぶん反論が出てくるだろう
人は人の中で生きている、だから人間と言うんだ・・・
確かにその通りではある
「自分以外の人」としての他者は多数いるし、また必要でもある
社会と言う名の集団の中で生活しているのだから
それらの他者には「自分を映す鏡としての他者」と「自分を映さない他者」がいる
自分を映す鏡としての他者=自分自身
と言える
だから必然的に他者はいないことになる
では、自分を映さない他者はどうなるか?
それは他者ではなく、風景と同じようなものである
草木や動物などと同じく「ただそこにあるもの、いるもの」
でしかない
何らかの関係を持つ=意味づけることがない限り
それはその人にとっては「いない」もしくは「ない」に等しい
つまり、「ある」「いる」と意味づけたものは自分自身ということになる
つまり、どこにも「他者」はいないことになる
こうして、他者で構成された社会のはずがどこにも他者はいないことになる
人は自分自身しか見出していない
いるのは自己肥大した自分、自己拡大した自分しか見ていない
どこに他者はいるのか?
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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