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【2025/07/05 16:17 】 |
言語が通じない
日々の生活の中で、大抵の日本人は日本語を話している
そして、その日本語という共通言語を使って
意志の伝達や感情の表出をしている
 
時には
言いたいことが相手になかなか伝わらずイライラすることもある
しかし、原則的には日本語を使って話をすれば通じると思っている
 
言語が通じるとは一体どういうことだろうか?
相手が自分の言語を理解する
つまり、自分の話している意味を相手が理解する
ここまでを「言語が通じる」と言うのなら
たぶん同じ言語を話していれば通じると言えるだろう
 
だが、これでは十分とは言えないのではないか?
相手が自分の話す言語の意味を理解し、その意味に対しての何らかの言動(反応)をする
もっと言えば、「相手が自分の言語を理解しその内容の通りに行動する」
ここまでを含めて初めて「言語が通じた」と言えるのではないだろうか?
 
例えば
子どもがお母さんに
「お母さん、ジュースちょうだい」と言う
するとお母さんが
「またジュース?そんなに飲んでばかりダメよ」
「同じ飲むなら牛乳にしなさい」
「そんなに飲んでばかりいるから汗かくのよ」
などと言った場合、そしてこのようなパターンが常であった場合
子どもは何を学習するだろう?
 
「お母さんには何を言ってもダメだ、自分の言うとおりにはならない」
そう思わないだろうか?
つまり
「自分の言語がお母さんには通じない」
ということを学習していることにならないだろうか?
 
このように見てくると
様々な場面で「自分の言語は通じない」という体験をしている
だとすると
やがて人は語ってもムダだと思うようになるだろう
そしてついには何も語らなくなるだろう
 
人は語れないのではなく語らないのだ
語ってもムダだと知っているから語ることを断念した
それでも人は伝えずにはいられない
語らずにはいられなくなる
言語で語らなければ
体で語るしかない
行動で語るしかなくなるのだ
それが病気や怪我、問題行動と言われるものではないだろうか?
 
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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【2011/11/05 12:34 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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