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【2024/05/20 00:46 】 |
286)人間にいなるとは

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「人間になるとは」 について書きたいと思います。

精神分析的観点から、人間になるとはどういうことかについて考えてみたいと思います。
人間と動物の一番の違いは「言語を話すこと」だとよく言われます。
この「言語(言葉)を話す」ことについて考えてみましょう。

ラカンは、言語の世界を「象徴の秩序の世界(象徴界)」と呼び、
この言語の世界へ参入することを『象徴的去勢』を被ると言いました。
ちょっと難しいと感じますが、
私たち人間の世界では、この象徴的なものが優位を占めているともいえるでしょう。
例えば「紙幣」はその代表です。
(紙に「10000」と書かれていると、それは一万円の価値を持っていることになります)
そして、それが流通(通用)しているのは
その価値(意味付け)をその世界内の人が承認しているからです。

このように、言語も紙幣と同じように、象徴的なものだとする観点です。
ここから、
人間になるとは象徴界と呼ばれる「言語の世界」に参入することだと言いたいのです。
言い換えると、
人間であるとは、言語に代表される象徴秩序の世界に生きてゆくことを意味します。
また一方では、人は自らも象徴するように求められているとも言えるでしょう。
例えば
「何をしたいのか」
「何のためにそれをするのか」
「なぜ?」
「どうして?」etc
このように、これらの問いかけに答えるように求められているのです。

そして、これらの問いかけの前で立ち止まった時
人は悩み、迷い、とまどい、苦しみ、時には応えきれずに叫び、病にもなるのではないでしょうか。
人が生きるとは、
人間であるとは、
これらの問いかけに常にさらされ、答えなければならない
そんな世界の中に住んでいるといえるのではないでしょうか。

この観点から考えると
人間であるがゆえに
言語を話すがゆえに
悩み、苦しみ、病むのだといえるのではないでしょうか。

では、そもそも私たちは、どのようにして象徴界に参入してゆくのでしょうか。
このことについては、次回に書きたいと思います。

シニフィアン研究所では
勉強会や講座を通じて、人間について考えています。
興味を持たれた方は、お気軽いお問い合わせください。
シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」も参照くださいhttp://agency-inc.com/analysis6/

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【2012/10/09 12:44 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
263)吉田沙保里・伊調千春の言葉

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「吉田沙保里・伊調千春の言葉」 について書きたいと思います。

レスリング女子55キロ級でオリンピック三連覇を果たした吉田沙保里が
テレビで何気なく言った言葉です。
『吉田には勝てないだろうな、と思った瞬間からもう負けている』(TVでの言葉だったことしか覚えていません)
これは、そのまま、すべての人に当てはまることだと思いました。


「気後れ」という言葉があります。
辞書には「相手の勢いやその場の雰囲気などに押されて、心がひるむこと。気おじ。」(大辞泉)と書いてあります。
まさしく、
吉田選手が言った言葉は、このことだと思います。
気後れすると、その時点で相手から後れている。
その気持ちが、もうすでに負ける方向へと向かっている。

相撲の世界でも、「引いたら負け」と言われます。
勝つ力士は、やっぱり前へ前へと攻めてゆくとのことです。

つまり、『勝つ』と決めること=言語化すること
「勝つ」と決めたとき(宣言したとき)から、勝利する道が拓けるのだと思います。

そして、
わが人生に勝利すること=自分に勝つこと
それはまず、決めること=言語化すること
次に、
それに向かって前へ前へと歩み続けることでしょう。
周りからの承認や賞賛のためにではなく
自らが決めたことに向かって前進し続けること。
このように考えた時、
まったく人生そのもの(生きるということ)だと感じたのです。


オリンピックを見て、感動するのは
メダルを獲ったからだけでなく、
選手たちの常に目標に向かって前進する姿に共感するからではないでしょうか?
「自分もこのような生き方をしたい」と、感じるからではないでしょうか?

伊調千春さんも語っています。
『「銀でもうれしくないです」とアテネのときに言って、そのことでバッシングも受けたんですけど、でも、あそこで「銀でよかった」と言っていれば、今、自分はここにいないと思うんですよ。だから、「負けて悔しい」という思いがあるときは、それ以上、また次へ行けるんですんね。「それでよかった」と満足してしまえば、もうそれ以上は行けないんですよ。自分たちの夢はやはり金メダルだし、格闘技というのは…ほかのスポーツもそうですけど、銀メダルは負けて取るメダルなんですよ。例えば陸上とか長距離だったら、銀メダルもうれしいかもしれないですけど、格闘技の銀メダルは負けて取るメダルだし、うれしくないんですね。だから、叶えたいです。オリンピックは、その夢を叶える場所だと思っています。』

http://www.oaj.jp/interview/11_wrestling4/005.html より引用)

まず目標を決めること。
決めるためには、自分の欲望を知ることが大切になります。
精神分析に出会って、自分が何を求めているのかを知った人がたくさんいます。

興味を持たれた方は、シニフィアン研究所のHP
http://signifiant-lab.com/を参照ください。
思春期には特に大きな関心事となります。
思春期の悩みはこちらです。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

【2012/08/19 10:40 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
253)生きる意味を創り出す=私は、あなたのために生まれてきた

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「あなたのために生まれてきた」について書きたいと思います

「何のために生まれてきたのか?」→「私は、この人のために生まれてきた」
このように断言し、まったくブレない人に会ったことがあります。
ここまで断言でき、それを実行し続けられるのはなぜなのだろうか?
その理由を知りたいと思いました。
彼女を知ってゆく過程で、その理由が理解でき、学びました。

人は、自分の姿を映し出せる人に出会った時、
それを、自分の生きる意味として書き換えられる。

当時、その人(50代女性)が語った言葉を紹介します。
≪出会った時に、「私は、この人のために生まれてきたんだ」と思いました。
そして、今も、これからも、私はこの人のために生きていきます。≫


お互いが育った環境はまったく違ったようですが、
ただ一点、同じものがあると言いました。
それは
『親から見捨てられた存在だった』です。
詳細は避けますが、
共に親から忘れ去られ、必要とされなかったとのことでした。

その彼の姿に接した瞬間
彼女は「私はこの人のために生まれてきたんだ」と確信したと言いました。
それから心身両面において支えました。
まさしく、自分のすべてを投げ出し、彼のために捧げる献身そのものです。
言葉を変えて言うと
彼女は、彼の母に徹することを決意したのです。
ここが、彼女の素晴らしいところです。
単なる同情ではなく、
自らが求めていた
「母から世話されたい欲望」に気付き、「自らが母になり世話する欲望」へと書き換えたのです。
それが、自暴自棄になっていた彼女の、「生きる意味」となったのです。

そして、数十年後
彼は、彼女のその献身に感謝して、家をプレゼントしました。
彼は、彼女と出会って初めて「家庭」を作ったのです。
お互いがお互いの中に、自分を見出し
相手を喜ばせることで、自分も喜ぶ。
まさしく母子関係です。
もっと言うと、鏡の関係です。

このようにして、彼と彼女は互いに「生きる意味」を共有し合ったのです。
彼女の側からみれば、
親に見捨てられ、自暴自棄になっていた自らの姿を映す鏡(=彼)に出会ったことで、
生きる意味を創り出し、それまでの人生を書き換えた

と言えるでしょう。

いじめや、ストーカー、自殺、殺人など、
生きる意味を見出せず、暴力でしか表現することしか知らないニュースを見聞きし、
数十年昔に出会った彼女のことを思い出しました。
生きる意味を見出すには
自らの欲望を知ることから始まります。
それを知ったとき、初めて彼女のように生きる意味を持てるのだと思います。

精神分析は、自分の欲望を知る方法です。
興味をもたれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
http://signifiant-lab.com/

【2012/07/31 15:01 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
245)女性のエネルギー

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は、「女性のエネルギー」 について考えていることを書いてみま

「元始、女性は太陽であった」とは、有名な平塚らいてうの自伝の題名です。
著者と内容について詳しくありませんが、
この「元始、女性は太陽であった」のフレーズだけを拝借して
思うところを書いてみたいと思います。
これはまったくの私見であり、
今感じていることを書き連ねたもの(妄想)となるであろうことをお断りしておきたいと思います。

女性は男性と比べて体格的にも筋力的にも差があり
数値的に小さいとされるのが一般的です。
ですから、圧倒的に男性の方がエネルギーも大きいと思いがちです。
ところが、時折
まったく逆ではないかと感じるのです。
仕事柄、男性よりも女性と接する機会が多く
様々な問題や悩みを聴き続けていると
「女性のエネルギー」の方が強大ではないかと感じるのです。
そして、そのことに先人は気付いていたのではないだろうか。
だからこそ、それを制御する様々な掟やルールを作って
コントルールし、気付かせないようにしたのでは?
(ひょっとすると気付いていないのは私だけかもしれません)

そのように考えを進めていくと
女性が子をなすのは、そのエネルギーの爆発を制御する
自然界というか、神というか、宇宙というか
そのようなものの摂理ではないのだろうかと思えてくるのです。
そして、女性が子をなす方法を取らなくなったとき
その強大で、膨大なエネルギーはどうなるのだろうか?

女性のそのエネルギーは
「太陽」や「マグマ」のエネルギーに匹敵するのではないだろうか?
そのようなエネルギーを女性は秘めている。
それをいち早く察知し、危険を感じたのは
女性ではなく、男性だった?
だからこそ、女性を家庭に留め、
そのエネルギーを子を産み、育てる方へと向けたのではないだろうか?
掟や法を作り、制御するのは
男性よりも女性のこのエネルギーを制御せんがためではなかったのでは?

この視点から見た時
太陽=マグマ=原子炉
このような式が浮かんできたのです。
専門的なことは全くの無知です。
原子炉の制御が効かなくなった時どうなるか?
それは東日本大震災を考えれば予測できるでしょう。
原子炉は、そのまま女性の姿ではないでしょうか?

もし、女性が子どもを産むことを敢えて選択しなかった時
そのエネルギーの放出方法を持たなかったら
そのエネルギーの制御方法を知らなかったら
どのようなことが起こるのだろう?
日本の女性が様々な分野で注目されるようになってきているのは
その一つの現れではないだろうか?
このような妄想が駆け巡ってしまいます。

私も含め、女性の皆さん
私たちの裡に秘められたエネルギーに気付いているでしょうか?
コントロールできているでしょうか?
気付くのが得策かどうか、
ブログでこのようなことを書くこともどうかさえ解りません。
ただ、

逆にもし、このようなエネルギーがあるのなら
女性こそそれに気付き、それを制御し、活用することこそが必要ではないでしょうか?


これらは、私の頭の中に浮かんできたことです。
ご意見などありましたら、こちらまでどうぞ
シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
メール signifiant1@gmail.com

【2012/07/21 12:09 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
208)竹内洋岳さんが日本人初の8千メートル峰14座完全登頂を達成

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
今日はニュースで知った以下の話題について書いてみます。

日本人初のヒマラヤ8000メートル峰14座完全制覇を目指していた登山家の竹内洋岳さん(41)が26日、最後の一座、ネパール北西部のダウラギリ(8167メートル)の登頂に成功した。竹内さんの健康状態は良好。1995年のマカルー(8463メートル)登頂から17年かけて、14座すべての頂上に足跡を残した。 14座完登。日本人で初めて竹内さんが達成した。26日午前0時45分(現地時間)に最終キャンプのC3(7400メートル付近)を出発。例年よりも雪が深い中、無酸素単独での約17時間ぶっ続けの登山で、午後5時45分、頂上に立った。強風が吹く頂上は、視界がきかない厳しい状況だったという。(中略)
竹内さんは、14座成功を区切りとしてスポーツとしての登山再興に尽くしていきたいと言う。「ここまでやって来られたのは登山が楽しいから。それを知ってもらうために私はまだ登り続けると思います」。14座を制覇し、竹内さんの挑戦はまだまだ続いていく。(2012年5月27日06時03分 スポーツ報知)

日本人としての偉業達成!
これまで挑戦した人もたくさんいた中、なかなか達成できなかったとのこと。
素晴らしいの一言に尽きますよね。

このニュースに刺激され、
「なぜ、人はこれほどまでに山に魅せられるのだろう?」
と、少し精神分析的観点から考えてみました。

母親に支配された人は、征服欲求を強くもつと言われます。
つまり、支配されたから今度は自分が支配したいとの欲求を持つことになるのです。
その行動化の一つが、山を征服するとなると考えられます。
征服したくても征服できなかった代償行為として、山の征服を目指し、登山が好きになる。
頂上に立った時、山を征服した満足と自然(=母)と一体になった恍惚感に浸ることができます。
その表現が「やっと達成した」「自然の懐に抱かれる」などです。
ところが、それは所詮「山」であって「母」ではないことに気付き、母への幻想としての征服であったと知ります。
そこで、さらなる征服を目指して次の山へと挑戦することになります。
これが飽くなき探究心といわれるものでしょう。

かつて、

「あなたはどうしてそこまでして山に登るのですか?」との質問に
ある有名な登山家(名前を忘れました)が「そこに山があるから」
と答えたのを思い出しました。
このように
冒険家は、そうした母への想いを意識に上らないように抑え込み(抑圧)、
その反対の行動をする方法(反動形成)を過剰に使う人といえるのではないでしょうか。

このような視点から見た時、
竹内洋岳さんはどうだったのだろう?知りたいと思えてきました。

なお、竹内洋岳さんの偉業に対して敬意を表すると共に、決してそれを誹謗中傷する意図は一切ないことを書き添えたいと思います。

シニフィアン研究所では精神発達論などの講座も開催しています。
興味をもたれた方はこちらのサイトを参照ください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/#11

【2012/05/27 11:10 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0)
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