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【2025/09/19 02:40 】 |
意味ないじゃん!
人は意味を持って生きる存在
肉体も意味を刻印しながら身体となる
その意味が見出せない人は
刺青」で刻印する

決して忘れないように
常に見て、触れて忘れないために
自らの目で見て
他者からの目で見られることによって
永遠に忘れないように
永遠に忘れられないように
素肌にまとうように刻印する

心の中に刻印できている人は
決して皮膚刻印しなくても
誰にも見られなくても
自分だけが、心の内奥に刻印している
だから
誰にも盗られないし
誰にも触られない
自分だけのもの
ひとり占めできている

だから安心だし
安定している

生きる意味も
心の内奥から湧き上がってくる
勇気も元気も、湧き上がってくる
誰からも、もらわなくても湧いてくるのだ

どうしたら
心の中に刻印できるのだろう?
それは
最初に世話してくれる人=母なる人によって与えられる
与えられたからこそ、取り入れられるのだ(内在化
与えられなかった人は、取り入れようが無い
だから
後で、自分で刻むのだ
刺青として

あるいは
常に側に居てもらうことによって補う
片時も離れないようにくっついていることを求める
そう
まるで「赤ちゃん」のように
一人では居られない
寂しくて、淋しくて、やり切れなくなるのだ

だから
時には
【意味ないじゃん!】
と、諦めたような言葉を吐く

生きる意味がないから、誰か与えてよ!と、叫んでいるように聴こえてくる
そして、同じ叫びを持つ仲間が群れる
肩を寄せ合いながら
【一人じゃないよね!いつも一緒だよね!】
同じ刺青を入れて「絆」を深めたかのように感じる

【意味ないじゃん!】
その通り
意味などドコにも無い
意味は自分が創り出すのだから!

意味を持っていますか?
無いなら
創り出しましょう!!

精神分析的子育て法 http://signifiant-lab.com/raise/
摂食障害ーリストカット http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
是非、参照ください
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【2012/04/10 22:15 】 | 家族 | 有り難いご意見(0)
幼児虐待はなぜ起こる?
幼児虐待】が後を絶たない

≪「自分が買った飲み物を勝手に飲んだ」と、同居の女性の5歳の子どもの背中に熱湯を浴びせた≫

そんなニュースを見た
どうして、このような虐待が起きるのか?
どうして、このようなことをしてしまうのか?
どうして、大人なのに止められないのか?
相手は子どもなのだから、許してあげても良いじゃないか?
また買えば良いじゃないか
様々な意見があるだろう

何が問題なのだろうか?

1)子どもの側から考えられること
 ・「人のものを勝手に自分のものとしてはいけない」と知らなかった
  つまり、「適切なしつけ」がされていなかった
  だから、「これ飲んでも良い?」と聞かなかった
 ・知っていたとしたら、
  その飲み物がその男性のものだと知らなかった
  だれが飲んでも良いと思っていた

2)大人の側から考えられること
 ・言葉よりも行動が先に出てしまう
 ・感情爆発傾向がある
 ・自分の感情をコントロールできない
 ・感情を言葉に置き換えることができない  
 
大人は言葉を知っている
だから、その時々に応じた適切な言葉を使って、
相手に自分の思いを伝える方法を知っている
そして
まだ成長途上の子どもに、適切な言葉使い方を教えてゆくのだ

例えば
「これは、○○のものだから、勝手に食べたら(飲んだら)だめよ」
「欲しいときには、『ちょうだい』って言おうね」
と教えればよい
そうすれば、勝手に食べたり飲んだりしないし
欲しいときは『僕にもちょうだい』と言うだろう
それでも、勝手に食べたり飲んだりした時には
「欲しいときには『ちょうだい』って言うように教えたのに忘れたの?
 今度からはちゃんと言おうね。○○さんに『ごめんなさい』って謝ろうね」
と、再度教えれば良い。

体罰や、ただ叱るだけでは
なぜ叱られるのか体罰を与えられるのか理解できない
ただ脅えるだけ
怖いからしないだけであって、怖くなければする可能性がある
怒らない人や、体罰を与えない人にはする可能性がある

「なぜ、してはいけないのか」を教えることが大切
それを理解すれば、次からはしなくなる
自分で考えてから行動するようになる


逆に言えば
言葉よりも先に行動する人は
このことが学習されていない可能性が高い
だから
感情のままに行動し、爆発させる方法しか知らないのだ
適切な言葉を使って、相手に想いを伝えることができない
頭では分かっていても、
思い浮かばないから
自分でもそんな自分に腹が立って、
その苛立ちや腹立たしさを子どもに(相手に)ぶつけてしまうのだ

もう一度
時々に応じた言葉での表現の仕方を学ぶ必要がある
つまり
側にいて、適切な言葉を丁寧に教えてくれる人を必要とする
育てなおしをする必要がある
精神的に育てなおしをする必要がある

幼児虐待暴力行為DVなども同じ
身体年齢に関わらず、
表現の仕方を知らないから、こうするしかないんだ!
これしか知らないんだ
なのに、誰も教えてくれないんだ
誰も分かってくれないんだ
叱ること、責めることしかしないんだ
誰か教えてくれ!
このように叫んでいる

この声が聞こえたなら
どのようにすれば良いかも観えてくる

精神分析的子育て法 http://signifiant-lab.com/raise/
摂食障害ーリストカット http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/こちらも参考にしてください
【2012/04/09 15:31 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
育児放棄

先日、ニュースで
「生後五ヶ月の幼児死亡、母は育児が嫌になった」
とのテロップが流れた
詳しいことは不明だが、目に留まった

乳幼児の虐待や育児放棄など、
メディアに取り上げられる事は珍しくない昨今
どうして「可愛い」はずの子どもを殺してしまうのか?
そんなことをするのなら、どうして産んだのか?
そのような問いかけを持つ人
理解できないと考える人も少なくないだろう

育児は大変エネルギーがいる仕事
「可愛い」ばかりではない
むしろ、大変な事の方が多いと言っても良い

1)こんなに大変だとは知らなかった
 いわゆる「無知」である

2)快楽の結果
 いわゆる「仕方ない」である

3)彼氏を繋ぎとめる手段
 いわゆる「利用の道具」である

4)結婚の理由
 いわゆる「できちゃった婚」である

5)どうしても産みたかった
 いわゆる「自分の再現」

5)の場合を考えてみたい

例えば
上記の幼児死亡の場合
その母自身が生後5ヶ月の時、何らかの事情で見捨てられた可能性が考えられる
つまり
「私は、生後五ヶ月の時、殺された」
とのメッセージ
もちろん、母は現在生きている
肉体の生死ではなく
精神的に殺されたと意味づけたということ

事実がどうであったかは問題ではない
その母自身がそのように考えたなら、
それが、その母にとっての事実(現実)となる
これを【心的事実(現実)】と呼ぶ

誰もが心の中に持っている
それを、何らかの事柄を契機にして表現する
特に女性の場合
子どもで表現される場合が多い

見捨てられたと感じた母は、わが子を見捨てることで
虐待された母は、わが子を虐待することで

『したくてしているのではない。だけど、せずにはいられない』
そのように叫んでいるのだ
『誰か、私の叫びを聴いて!』
『誰か、私を助けて!』
上記の母だけが特別ではない
すべての大人が叫んでいる
全ての子どもが叫んでいる

そのように聴こえてくる

あなたは叫んでいませんか?
自分の心の声に、耳を澄ませてみませんか?
声が聴こえませんか?

精神分析的子育て法も参照くださいhttp://signifiant-lab.com/raise/
【2012/04/08 15:11 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
しっかりした子は病んでいる
「しっかりした子」は病んでいる
衝撃的な言葉かもしれない

子どもは、わがままで、気ままで、やんちゃなもの
大人の庇護の下で守られる必要がある
その庇護があるからこそ
安心して、スクスクと心身ともに育つ
その中で「信頼」を学ぶ
それを『基本的信頼』と呼ぶ

『基本的信頼』は
「自分は生きるに値する存在である」
「いつも誰かに守られている=庇護されている」
そのようなイメージを心の中に持たせる
これを『内在化』と呼ぶ
つまり
自らが「信頼される」「庇護される」体験をすることで
それを『内在化する』のである

この「信頼感」を内的イメージとして持っているからこそ
社会に出てゆけるし
社会の中で安心して生きてゆける
たとえ孤立するような事があったとしても
「自分は大丈夫」
「これでいい」
と思えるし
問題に向き合って乗り越えてゆこうとする


もし
「基本信頼」や「庇護される」イメージが
内在化されえていなかったとしたらどうなるだろう?
その人は
「不信」と「孤独・孤立」のイメージを内在化させているだろう
そうすると
その人は社会の中で
誰にも庇護されず、信頼することもできず
自分は自分が守るしかない
と感じるだろう
常に、緊張し、戦闘態勢にあるに違いない
これが
「しっかりした子」「良い子」である

子どもがしっかりしているというのは
誰からも庇護されず、信頼されず、
孤独と孤立感を抱いている
そんな子どもなのだ
だから
しっかりしている子は病んでいると言える

子ども時代に子どもらしくあることが
いかに大切であるか
子どもはいかに大人たちからの庇護を必要としているか
いかに子ども時代に
わがままで、気ままで、やんちゃであることが大切か
体だけでなく
心もスクスクと育てるには何が必要かが理解できるだろう

子どもさんは病んでいませんか?
心身ともにスクスク成長していますか?

「精神分析的子育て法」http://signifiant-lab.com/raise/
「女たちよも賢明であれ」http://signifiant-lab.com/woman/も参照ください
【2012/04/05 11:22 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
私と精神分析
【月刊精神分析】の特集記事『私と精神分析』に
シニフィアン研究所が掲載されました。

「自分のことは語らない」
そのつもりでおりましたが、
今回の取材では、精神分析との運命的な出会いなど
かなりカミングアウトする結果となりました。

「出会い」は偶然だとも言われますが、
よく考えてみると、決して偶然ではなく必然です。
なぜなら、
人は自分の認識の範囲内のことしか、見出せないのですから。
自分にとって必要なものは、必ず自ら引き寄せます。
時には
「偶然に」「運よく」という名の下に!

興味をもたれた方はこちらをご覧下さい。
【2012/04/04 10:59 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0)
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