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【2024/04/28 00:26 】 |
177)無気力からの脱出
無気力
これは気力がないこと。
積極的に物事をしようとする意欲に欠けること。
辞書にはこのように書いてある

怠けているわけじゃない
やる気が出ないのだ
『可もなく、不可もなく、とり立てて大きな不満もないが、
 すごく楽しくてたまらないという満足もない』
なぜ、やる気が出ないのだろう?

以前にも書いた気がするが
これは
【誰かから強く求められた体験がない】
「あなたが居ないとダメだ」
「あなたでないと他に誰も居ない」
「あなただけ!」
このように、誰かから切望されたことがない

切望され、欲望されたとき
人はやる気が湧いてくる

人から聞いたことがある
引きこもりになってゲーム三昧の日々だった人が
大震災の被害状況をテレビで見て、
ボランティアとして参加したという
最初は、
何らかの強い意志を持っていたわけじゃない
ただ、「何かできるかもしれない」
それくらいの気持ちだったらしい
引きこもっていたこともあり
体力的にも大きな何かをしたわけでもないのに
ある時
こんな自分でも必要とされている
そのように感じたという

それから自分の中で、何かが変わった
自分は必要とされている=存在する意味がある=生きる意味がある

それ以後、その人がどのようになったかは、想像に難くない
誰かに必要とされる事によって
そこに自分の生きる意味を見出したのだ
無気力で引きこもり
無意味しか見出せなかった日々が
一転して気力溢れ
気力は行動を生み出し
その人を根底から変えた

必要とされる=欲望されることによって
まさしくその人は
自分の人生を書き換えたのだ

無気力なのは、怠けているのではない
必要とされた、欲望された体験がないのだ
だから気力が湧いてこないのだ
強く欲望すること
強く必要とすること
それが
無気力から脱する方法である

生きる意味を見出したい方
やる気を出したい方
シニフィアン研究所のHPも参照ください
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのHPもあります
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【2012/05/04 12:47 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0)
消えてしまいたい
「失踪したい」
「消えてしまいたい」

このように語る人達がいる

人はどのような時に、このように思うのだろう?
その場に居たら、恥ずかしい想いをする
相手に否定される
居ても居なくても同じと感じるetc

どうして、そのように思うのだろう?
共通しているのは
「居ても居なくても同じ」
と語る言葉を聞く

消えてしまいたい
失踪する
のは
自分という存在が
その場に居ても居なくても同じ
つまり
「その場に居る意味がない」
と思うから

自分がその場に居ることの意味を見出せないから
「居ても居なくても同じ」
「消えたくなる」
「失踪する」
となってしまう

客観的に意味があるとか、ないとかは関係ない
自分が、その場に居る事の意味を見出せるかどうか
それが重要となる

人は、意味付けることで生きている
何らかの意味づけができなくなった時
「消えたくなる」
「失踪したくなる」

あなたは消えてしまいたいと思ったことはありませんか?
存在する意味を見出せていますか?
意味づけをもっていますか?

共に考えてみませんか?
語り合ってみませんか?

興味のある方は
シニフィアン研究所 むかい あいまでどうぞ
http://signifiant-lab.com/
【2012/02/18 10:26 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0)
うつ-自分の鏡像が壊れる体験
やる気がでない
体がだるい
常に眠い
何もしたくない
 
これらはうつ状態への入り口
ある変化がそのキッカケとなる場合が多い
 
近親者や恋人、ペットなど情を寄せている対象の喪失体験
事故などによる体の一部など自分自身の喪失体験
転勤や転校、引越し、降格や昇進、栄転等の環境の変化
今回の東日本大震災など、自然災害による家屋、コミュニティーの喪失体験
目標喪失
などなど
 
これらに共通しているのは「変化」や「喪失」
愛する人はもちろん、大事にしていたペット、大切にしていた物など
それらはその人自身であり、そのすべて、もしくは一部となっていたもの
自分の姿を映してくれる鏡像となっていたものなら何でも良い
それに人は「思い出」「生きがい」「命」「すべて」と呼ぶ
つまりそれらは自分自身でもある
だから喪失体験は
まるで自分が亡くなったかのように感じる
 
「心にぽっかり穴が空いたようだ」
「自分の一部がもぎ取られたようだ」
「自分の存在価値がない」
「生きる意味がなくなった」
などと表現する
自分のまとまった姿を映してくれていた鏡が壊れる体験そのものである
 
うつ状態にある場合
重症の時期はエネルギーも枯渇しているから動けない
しかし、入り始めと回復途上で「自殺」の可能性が高くなる
引きこもり状態が必須であり
その期間は壊れた鏡像の修復する服喪期間でもある
刺激はより一層の鏡の崩壊を促すこととなる
ゆえに
可能な限り静かに刺激のない「安心」と「安全」の環境を必要とする
「がんばって」の言語は禁句となる
温かい眼差しで、口を出さず、見守り続けることが大切である
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
【2011/11/24 19:51 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
引きこもることの大切さ

「引きこもる」というと、
出ていかなければいけないのに出て行かない(出て行けない)状態を指して使われるが
ここでは
「引きこもる」ということ自体の必要性と大切さを述べてみたい
 
何らかの形で社会との関わりを持つことは、生きていく上で必要なことである
でないと、生きること自体が困難になる可能性が大きくなる
ゆえに、社会との何らかの関わりを持つことが要請される
このことは誰しも理解しているはずである
 
にもかかわらす、不登校やニートに代表される「引きこもり」をしている人たちは
知らなかったというのだろうか?
そんなことは考えにくい
では一体何を叫んでいるのだろうか?
 
一つは「自分の人生はこれでいいのだろうか?」という問いかけを持ち
    「じっくり自分と向き合いたい」
    「自分の人生を主体的に生きたい」
    「誰かの言いなりに生きるのは嫌だ」と叫んでいる
あるいは「育てなおしをして欲しい」
      「お母さんのお腹の中からやり直したい」
と、行動や身体を使って訴えているのではないか?と考えてみる
 
この観点から言うと
引きこもることは、「自己認識」「アイデンティティー」への問いかけだと言えないだろうか?
 
自分自身への問いかけと、それへの自分なりの答えを模索しつつ
それを基に自分の目指す理想像(自我理想)を描くことで
社会との接点を見出す
その事のたゆまない軌跡がその人の人生だと言えるだろう
 
この自我理想を描けなかったり、
それが他者の理想だったと気付いたなら、人は動けなくなるだろう
問いかけず、気付かずにいられたら
また、問いかけても「こんなもんだ」と早々に結論付けられたなら
きっと歩き続けられるだろう
これらのことは
すべての人が一度は問いかけたに違いない
そして、その時は、大なり小なり
その人なりの「引きこもり」の時と空間を持っただろう
 
引きこもることは
自分への問いかけに耳を傾け、真摯に生きたいと願い
早々に結論付けられなかった結果
社会との関わり方を決められない状態だといえると思う
 
これらの意味において
「引きこもり」は必要だし、大切な事象だと思う
そして、その時が到来したなら
満足するまで「引きこもる」場所と時間を確保できることが必須であろう
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/10/05 08:35 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
「引きこもり」は心の骨折

社会という集団の中になかなかなじめない、参入できない
遅れ感や疎外感、見捨てられ感などを感じている
そんなとき、あるきっかけにより出てゆけなくなる
それぞれ人によって多少の違いはあるものの、結果的に人と交われなくなる
いわゆる、引きこもりや不登校、登社拒否、うつ症状と呼ばれる情態
 
これらのことを例えて言えば
骨折したときと同じ
足元の石ころに気付かず、躓いて転び骨折をしたようなもの
その骨折の場所と程度により全治○○週間、○○ヶ月と診断される
 
骨折の場合一番大切なことは
まずは骨折箇所の固定と安静
その程度によって運動や生活は制限されるし、介助も必要になる
そして、リハビリ
治癒すれば自然と元の生活に戻ることができる
 
引きこもりは心の骨折
その場所と程度によって元に戻るための介助と支援と時間は決まる
大切なことは
骨折の事実を認め、回復のために必要な援助や支援と時間を見極めること
客観的に必要とされるものと主観的(本人の意志)に必要なものは
必ずしも同じではないことを忘れない事
その人にとって必要な時間をかけること
決して焦らないこと
 
骨折したことを悔やんだり、責めたり、焦っても治りはしない
適切な処置と安静と援助と時間が必須
長引く場合はどんな時か?
それは言うまでもないことであろう
 
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/09/22 21:25 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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