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【2024/03/28 19:49 】 |
216)愛―エロス的交流

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日のテーマは「愛―エロス的交流」です。
エロス的交流とは、
相手から愛されているという自信、自分が相手を愛することが相手からも喜ばれるという確信をもてる
そのような交流のことです。
精神分析では、このようなエロス的交流のことを「愛」と呼びます。
ちょっと堅苦しい表現ですが、
「相思相愛」というと、イメージし易いでしょうか

相思相愛の恋人同士の場合
赤ちゃんとお母さんの場合など
お互いの間で、どのような交流がなされているのでしょう?

共通するのは
目と目で見つめあい、ニコッと微笑合う
もうそれだけで、心が通じ合っていると思える
私の喜びはあなたの喜びとなり、あなたの喜びは私の喜びとなる。
これを「共鳴」「共感」といいます。
これが、まさしく「愛―エロス的交流」です。
このような関係の二人の間には「愛」があり
お互いの自己愛が高まる関係ともいいます。

私は相手を必要としているし、相手も私を必要としている
私は相手を愛しているし、相手も私を愛してくれている
だから
私は存在する価値がある
私には生きる意味がある
存在していていいんだ、生きていていいんだ、と思える
このように考えていくと
人は「愛―エロス的交流」を通して
自分の生きる意味や存在価値を見出していると言えるのではないでしょうか?

それを確かめるために
時には、心とは裏腹な行動や言葉を言ったりするようです。
こんなことをしても、言っても
相手は自分を見捨てないだろうか?
自分は相手にとって存在価値があるのだろうか?
自分には生きる意味があるのだろうか?
このように問いかけたくなった時、
「不登校」「引きこもり」あるいは「非行」などの問題行動を、一つの手段として使うのではないでしょうか?
彼らは、「愛」を確かめたくなっている
エロス的交流を求めていると言えるのではないでしょうか?
このようなとき、
彼らに向き合い「愛―エロス的交流」をしてみてはいかがでしょう
目を見つめ、腰をすえて、話をじっくり聞く態度を見せる
「どうしたの?」と声をかける
ここから、スタートしてみては?
そうすれば、何かが変化するかもしれません

ブログ197)自己愛(ナルシシズム)ーエロス的交流
シニフィアン研究所HP http://signifiant-lab.com/
子育てサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/も参照ください。

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【2012/06/10 12:53 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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