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【2025/07/05 18:17 】 |
297)あやつり人形=マリオネット

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「あやつり人形=マリオネット」 について書きたいと思います。

親は子どもを「あやつり人形=マリオネット」にしてしまっている。
親自身が無意識のうちに。
この可能性があることを考えてみたいと思います。

なぜ「あやつり人形」にしてしまうのでしょう。
それは、育児は親と、親自身の親との関係が再現される場だから。
つまり、
自らが子ども時代に、親からされた(してもらった)こと、されなかった(いてもらえなかった)ことを
わが子との間で再現しまう可能性が大きいということです。
ここから
虐待された親は、わが子を虐待する。
放任された親は、わが子を放任する。
逆になると
わが子を過保護にしたり、過干渉になったりする。

どちらにしても
親は自分の子ども時代を基本にして、
わが子に自分の想いを託そうとする可能性が大きいと考えられます。
それが「あなたのためを思って・・・・・」の言葉になるのでしょう。
子どもが自分の思い通りになったなら、「自慢の子」となり、
思い通りにならなかったなら、虐待や放任、放置の対象となりやすい。

このようにして、親の思う通りになる子が、『親のあやつり人形』となるのです。
そのような子どもは
親の期待を一身に受け、親が描く理想の姿になるように急き立てられます。
子どもも、親の喜ぶ顔が見たいと思い、必死で頑張ります。
応え続けている限り、親はすべてを犠牲にします。
もし、あやつり人形であることを止めようとしたなら、
それは一気に見捨てられるか、虐待が待っています。

こうして『あやつり人形=マリオネット』が創り上げられてゆくのです。
親は、愛情だと考えています。
なぜなら、親は自分を犠牲にしてまで尽くしているからです。
では、子どもはどうでしょうか?
あるクライアント(あやつり人形だった)が言いました。
『それは暴力だった』と。

この関係には、子どもの主体性は育ちません。
主体性は親によって、根こそぎ奪われている(=母性剥奪)からです。
まさしく『あやつり人形』にされ、人間でないものにされていると言っても過言ではないでしょう。
あやつり人形に主体性も意志もありません。
ただ、あやつられるだけです。
その結果、賞賛や拍手喝采を浴びることもあるでしょう。
それは誰の喜びでしょう?
はたして、人形の喜びだと言えるでしょか?
あやつる人の喜びではないでしょうか。


知らない間に、子どもを『あやつり人形=マリオネット』にしていませんか?
子どもの主体性を奪っていませんか?
それを知る方法があります。

興味を持たれた方は、シニフィアン研究所まで
http://signifiant-lab.com/お問い合わせください。
オールOK子育て相談もしています。http://signifiant-lab.com/raise/

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【2012/10/26 10:18 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
295)オールOKは自他共に生かす(活かす)

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「オールOKは自他共に生かす(活かす)」 について書きたいと思います。

自分という存在は他者の基で(鏡像体験を通して)構成されると書いてきました。
つまり「鏡像=自分自身」とも言えます。
これを、母子関係で考えてみましょう。
母の姿=自分の姿=理想の自画像=好き
となるのは、
いつも母がオールOKしてくれたからではないでしょうか。

違う表現をすると
母がいつもオールOKしてくれる=母に受け入れられている(受容)=母に認めてもらえている(承認)
=必要とされている=愛されている=存在して良い自分=自己肯定=自分が好き
このような等式が成り立つのではないでしょうか。

自分が好きと思えるのは、オールOKしてくれる他者(鏡)が常に側に居たから、
自分を受容し、承認してもらう体験があったから、
このように考えられます。

これをどんどん広げていくと
オールOKすることは、自己肯定し、生きる意味を見出すことに繋がることでしょう。
そして『他者=自分自身』という鏡像関係から言うと
自己肯定=他者肯定
自己受容=他者受容
自己承認=他者承認
自己も他者も共に生きるに値する存在である。
このようになることでしょう。

以上から、
「オールOKすることは、自己も他者も共に生かす(活かす)ことに繋がる」
と言えるのではないでしょうか。

ここでは母子関係として考えてみましたが、
あらゆる関係に広げられることは言うまでもないことでしょう。
オールOKは年齢、性別などに関係なく、すべてを生かす(活かす)方法なのです。

具体的な方法についてはこちらまでどうぞhttp://signifiant-lab.com/
子育て法はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
思春期はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
異性、夫婦関係はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/woman/を参照ください。

【2012/10/22 11:21 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
293)鏡像体験=一人の私

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「鏡像体験=一人の私」 について書きたいと思います。

鏡像体験をするには、まず核が必要であり、
その核は、ただ一人の人(以下母と呼びます)がつくると書きました。
もう少し、具体的に書きたいと思います。

母が常に側にいて、子どもに語りかける環境、
ただ母の想いで語るのではなく、
その場その場に合った、適切な言葉で語りかけることが大切です。
たとえば
・美味しいものを食べた時ー「おいしいね」
・嬉しいことがあった時ー「うれしいね」
・転んで痛かった時ー「痛かったね」
・悔しくて泣いていたらー「くやしいね」
いかがでしょうか。

難しいことではないですよね。

あるお母さんが次のような話をしてくれました。
10代の娘さんから
「お母さん、私の話をちゃんと聞いて。いつも私が答える前に、決めつけている。
勝手に先に進まないでよ」と言われたそうです。

そう言われて、ハッと気付いたそうです。
確かに、娘の言うように、きちんと話を聞いていなかったと。

このようなことは、案外多いのではないでしょうか。
なぜなら、お母さんは忙しいからです。
子どもの前に居て、話をしていても、次のことを考えているから。
体は子どもの前にありながら、
心はすでに違う所に居る。

それに一番気付いているのは、子どもであり、
一番気付いていないのは、お母さん。

体も心も共に向き合っていること。
これが会話(対話)の基本です。
このような会話になっていない時に、
子どもはしつこく言ったり、ぐずったり、駄々をこねたりして
向き合っていないことを教えてくれているのではないでしょうか。

子どもはいつも母を観ています。
母の心を五感で感じ取っているのです。
子どもからのメッセージを受け取り、応えることが、鏡像体験であり、
その体験が「母に愛される私」という「一人の私」を創り上げる核となるのです。

それが≪オールOKで育てる≫ことでもあるのです。

「オールOK子育て法」はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/
質問・問い合わせはシニフィアン研究所のHPへどうぞhttp://signifiant-lab.com/

【2012/10/19 12:39 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
292)まとまりのある身体イメージを持つために

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「まとまりのある身体イメージを持つために」 について書きたいと思います。

前回の続きです。
バラバラの身体イメージをまとめあげるには『鏡像段階』と呼ばれる体験が必要だと書きました。
では、具体的にどうすればよいのか?
それについて書きたいと思います。
(ここでは、ラカンのいう『鏡像段階』の体験をするという意味で『鏡像体験』と呼びます)

鏡像体験とは、文字通り「鏡に映った姿を自分だと認める体験」のことです。
私たちは鏡に映った姿を自分だと信じていることでしょう。
そのように、鏡に映った姿だけでなく、
自分について他者が語った言葉を通して、自分のイメージを創り上げているといわれます。
例えば
「優しい人ね」
「おとなしいね」
「明るい人ね」
「早口だね」
「口うるさい人だ」
「おっちょこちょいだ」etc
様々な語らいが、鏡の役割をすると考える観点です。

そのような自分についての語らいを総合して、
自分のイメージを創り上げてゆくようです。
それらをどのように取り入れたか、
反対に取り入れなかったかは、人によってさまざまです。
それは、精神分析の中では一つの重要なものとなります。

とまれ、自分というまとまりを持ったイメージは、
他者の語らいという鏡によって創り上げられるということです。
それには一つ重要なことがあります。
それは、
≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境≫です。
なぜなら、複数の人が鏡となったなら
複数の語らい(自分について持つイメージ)が出てくるからです。
複数の語らいがあるということは、
自分についてのイメージが一つにまとまらないということです。

まとめあげるには、その核(中心)となるものが必要です。
その核(中心)となるのが、「ただ一つの鏡(ただ一人の人)」です。
その鏡の像が核となって、それに追加、変更をしながら創り上げてゆくのです。

このようにして、長い時間をかけて
『自分というまとまりのある身体イメージ(「肉体」ではなく、「身体」)を持つに至る』と言われています。
その最初の核(中心)をつくるのがラカンの言う≪鏡像段階≫であり、
その体験が『鏡像体験』なのです。

ここで一番重要なことは、最初の核(中心)です。
その核をつくるためには、
≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境が必須≫なのです。
このただ一人の人には、生母その人であることが望ましいことは言うまでもないでしょう。

鏡像段階、鏡像体験について興味を持たれた方は
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
各種教室、講座も開催しています。http://signifiant-lab.com/raise/

【2012/10/18 09:52 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
290)夢を持つことと実行すること

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「夢を持つことと実行すること」 について書きたいと思います。

前回「夢を持つこと」について書きましたが、
「子どもが夢を言うだけで、ちっともやろうとしないのですが、それでもいいのですか」
という質問がありましたので、このタイトルにしました。

なるほど、よくあることです。
子どもに限らず、「言うけど、実行しない」大人がいるのも事実のようです。
夢は語るのに、実行しようとしないのはどうしてでしょう。
一つには、単なる興味だけに留まっているから?
あるいは、ただ言ってみただけ?

特に子どもは、興味を持った場合、たいていは「やってみたい、欲しい」と言います。
そして、そんな「やってみたい、欲しい」は次々と出てきます。
ですが、なかなか続きません。
すぐに次の興味の対象に移ったりします。
親はそんな子どもの態度にイライラしてしまいます。
親からすれば当然です。

そんな子どもの興味に、まずは付き合ってあげましょう。
習い事なら、一度体験させましょう。
欲しいものなら与えてあげましょう。

ちょっと無駄なように思いますが、
その「無駄」が大切なのです。

大人でも、やってみないと解らないものがあるでしょう。
子どもはそれがとっても多いのです。
何しろ、まだ大人よりも体験が圧倒的に少ないのですから。

その無駄な経験が、徐々に、やらなくても想像できるようになってくるのです。
その無駄な体験をする機会をたくさん与えてあげることが、
必要なこと(もの)しか要求しない子どもを育てるのです。
数回するうちに、本当にしたいこと、欲しいものが限定されてきます。
せいぜい、2つか3つくらいのものに集約するでしょう。

「言うけど実行しない」のは、本当にやりたいことではないからです。
ですから、夢を語った時、
ただ「なれたないいねえ」「できたらいいねえ」とだけ答えてあげればいいのです。

本当にやりたいこと、好きなことは、自分からやりはじめます。
そして、かならず継続するようになります。
そのこと(もの)に出会うまでは、言うだけで実行しなかったり、
数回試してすぐに止めます。
それは「飽きっぽい」のではなく、
やりたいこと(もの)に出会っていないからでしょう。

これらに出会うまで、根気よく見守り、応え続ける大人側の忍耐が要求されます。
それができない場合、自らの根気と待てなさを隠すために
大人たちは、ややもすると
「言うだけで、ちっともやらない」
「根気がない」
「飽きっぽい」などと決めつけてしまうのではないでしょうか?

親になり、親である続けることは凄くエネルギーが要ることです。
根気が要ります。
忍耐が要ります。

そんな親であり続けるための講座・教室もあります。
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
「オールOK子育て法」は年齢は関係ありません。http://signifiant-lab.com/raise/

【2012/10/15 16:07 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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