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【2025/07/05 12:55 】 |
308)寄り添うことは聴く(知る)ことでもある

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「寄り添うことは聴くことでもある について書きたいと思います。

175)寄り添うとは? でも書きましたが、
今回は、寄り添うとは、まず相手の言うことを聴く(知る)ことだと言いたいと思います。

寄り添うためには、まず、相手が居る場所を知る必要があります。
相手が居る場所とは、
「何に関心をもっているのか」
「何について考えているのか」
「どのように感じているのか」などの意味です。

知るためには、相手に質問する(聞く)ことです。
ここで注意することがあります。
それは決して自分の想像で考えないことです。
例えば
「きっとこのように考えているに違いない」
「あれはこのように言いたいのだろう」と想像しないことです。
これは『勝手な思い込み』となる可能性があるからです。

ここで、「寄り添う」ということを理解するために、たとえ話をしましょう。
あなたの家に初めて訪ねてくる人(Yさん)に、道案内(徒歩で)します。
今、Yさんが最寄りの駅に着いたと電話がありました。
駅からあなたの家まで電話で、「Yさんに寄り添った」道案内をしましょう。


さあ、Yさんが間違わないように進むための道案内をしてください。
まず最初、どのような言葉をかけますか?

よくありがちな言葉は
「〇〇という建物(目印になるもの)があるので、そちらに歩いてください」
「〇〇という建物が見えますか?」etc

これらの案内は、Yさんとあなたの間に距離を感じる表現ではないでしょうか。
だとしたら、寄り添った案内だとは言い難いでしょう。

ここで、寄り添った道案内と思う一例を紹介します。

『Yさんの目の前には何が見えますか?』

このような質問(聞く)はいかがでしょう。
Yさんの目に映ったものを聞き、その中からあなたが思っているものを名指しする。
そうすれば、確実にYさんは目当てのものを選択できるでしょう。
つまり、
常にYさんが主導になり、あなたはYさんの言葉に付いてゆく。
そうすると、道案内しているあなたも、Yさんが今どこを歩いているかが目に浮かぶことでしょう。
Yさんもあなたが一緒に付いて来てくれていると感じ、
安心して目に映る景色を伝えてくれることでしょう。
このようにすれば、
あなたもYさんも互いに安心して、出会える瞬間を待てるのではないでしょうか。

少し長くなりましたが、
『寄り添うことは聴く(知る)ことでもある』ことが理解できたでしょうか。
寄り添うことは、相手主導で進めること。
自分の想いは白紙にし、相手の言葉をよく聞くこと(聴く)。
疑問に思ったら(迷ったら)、相手に質問すること。
このように言えるのではないでしょうか?
これらの方法は『オールOKすること』にも繋がります。

具体的な質問の仕方対応の仕方などの教室、講座をしています。
詳しくはシニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/

オールOK子育て法はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/

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【2012/11/19 15:05 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
307)認められて自信が持てる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「認められて自信が持てる について書きたいと思います。

「自分に自信がない」「自信が持てない」という人が居ます。
それは、認められた体験が少ないからではないでしょうか。
なぜなら、人は他者に承認されて初めて、自認できるからです。

例えば、
「自分は〇〇と思う。でもこれで合っているのだろうか?間違っていないだろうか?」
このような考えが湧き上がってきた(不安になった)時、
誰かに確かめたくなる、そして間違っていないと認められたらホッとする。
「これでこれでいいんだ。間違っていなかったんだ。」
と安心することでしょう。

このような不安は、すべての人が持っていると言われます。
鏡に映った姿を自分だと思えるのと同じです。
『これが〇〇ちゃんよ』と、誰かから言ってもらったことがあるから、
鏡に映った姿を間違いなく自分だと信じている(自認or自信)のです。
つまり、
自分以外の誰か(他者)から認められることによって、自認できるのです。
逆に言えば、
自認するためには、他者の承認を必要とすると言えるでしょう。
他者から承認されることによって自信を持つことにもつながるのです。

自分でどんなに『間違いない』と思っていても
他者の承認がないとそれが確定しない、安心できないのではないでしょうか。
だから他者の存在が気になるし、
他者の目が気になり、
他者の評価が気になるのでしょう。

「自分に自信を持てない人」
「他者の目や評価が気になる人」
それは、人間であるがゆえ他者からの承認を必要とする。
にもかかわらず、他者から承認と賞賛を受けた体験が少ないからといえるのではないでしょうか。
その誰かとは
自分が信頼を寄せる人であり、ただ一人の人である必要があるでしょう。
ここからも、『オールOKすることの必要性と大切さ』が理解できるのではないでしょうか。
≪この人だけは自分を承認してくれる≫
このように思える体験がありますか?
そのように思える人がいますか?
その体験が、どんな時も自分を支え、自信を持ち続ける基になることでしょう。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
不安を安心に書き換える面談、勉強会、講座もしています。
「オールOK子育て法」のサイトはこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/

【2012/11/15 11:20 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
303)お互いのズレから始まる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「お互いのズレから始まる」 について書きたいと思います。

オールOKで向き合うことは、自己肯定、自己価値、自信を高めることだと書きました。
今日は、あらゆる問題は、まずお互いのズレから始まると言いたいと思います。

ここでは、母子関係を中心に考えたいと思います。
なぜなら、対人関係は母子関係から始まるといえるからです。


特に、非行や引きこもり、暴力など問題行動だと呼ばれる人たちは、
それらの行動を通して、自分を理解してほしいと訴えていると感じます。
自分に向き合ってほしい。
見捨てないで欲しいと叫んでいる。
そのように痛感するのです。
それに対し、周りの人たちも、何とかしたいと必死の思いを抱えています。

ところが、残念なことにお互いの思いがズレていて、うまくかみ合っていない。
それゆえに、お互い増々エスカレートし、収拾がつかなくなってしまっている。
それは一種の『コミュニケーション障害』だと言えるでしょう。
お互いが、「どうして解ってくれないのか」と嘆いている。
通じなさに対して、歯がゆさを感じている。
それが一段と互いを刺激し合うことになる。
この悪循環から抜け出せなくなってしまっている姿が見えます。

その打開策の一つは
まず、何を求めているかを知り、その求めている物を与えることです。
これが≪ズレの調整≫です。

この時、大切なことは

「母が子どもの想い(価値観、考え、物差し)に合わせること」です。
そのためには、一度母は自分の想いを捨てることが必要です。
このことを以前「馬鹿になる」と書きました。

つまり、母と子どもの思いのズレを調整するためには
母の方から自分の想いを捨て、子どもの想いに合わせることが必要です。


逆に、親の想いに子どもを合わさせることは、一種の「見捨て」だと言えるでしょう。
母が見捨てたなら、それは糸が切れた凧同然です。
母が子を見捨てる=子どもが母を見捨てる
に繋がり、それ以後、見捨てられた子どもは社会に甘えることになります。

そう言える両方の症例がたくさんあります。
ただ、ここに紹介できないのが残念です。

それら症例を通して、痛感することは
「母が見捨てなければ、紆余曲折があっても、子どもは必ず自分で自分の歩く道を見い出す」
ということです。
そのためには、親子のズレを調整することからだと言いたいのです。

ただ、なるほどと思ってもなかなか子どもを目の前にすると実行的ないのが通常です。
その原因は、親の側の無意識と呼ばれるものにあります。
それを知らない限り、葛藤が生じるでしょう。
その無意識を知る方法が『精神分析療法』なのです。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。
http://signifiant-lab.com/
明日6日から8日までは関西におります。
近隣の方は面談可能です。
お問い合わせ、ご連絡は携帯へお願いします。http://signifiant-lab.com/#8

【2012/11/05 10:36 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
302)子どもは母の想いの結晶

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもは母の想いの結晶」 について書きたいと思います。
子ども(特に女の子)は母の想いの結晶であり、
それゆえ、子どもの言動に母は向き合う覚悟が必要だということを考えたいと思います。

よく耳にする言葉を思いつくままに書いてみます。

*子どもができたら、親が結婚を認めてくれると思った。
*妊娠したら彼が結婚してくれると思った。
*子どもができたら、夫が真面目に働いてくれると思った。
*子どもができたら、家庭に戻ってきてくれる(彼女と別れてくれる)と思った。
*老後のことを考えたら、子どもがなかったら寂しいから産んだ。
*自分が果たせなかった夢を、子どもに託したかった

自分がどんな扱いをされてきたかを親に見せつけたかった。
と語った母親もいました。

ある女性は
「女の子にどうしても付けたい名前があった。なのに、一人目は義親の反対で付けられなかった。
だからどうしても、もう一人女の子を産みたかったんだと思います。」と当時を振り返って言いました。

また、ある女性は
「この忌まわしい血は私の代で終わりにしたい。だから絶対子どもは作りません。」
と言い切りました。
枚挙に暇がないくらいあります。

このように、
意識する、しないに関わらず、
その状況に違いはあるものの、
女性が妊娠するのは、何らかの強い想いがあることが予測されます。
惟能創理氏もその著書『心的遺伝子論』の中で書いています。
≪女の子は母の想いの結晶といっていい≫と。

だからこそ、
自分はどのような想いで妊娠し、産んだのかを知る必要があるのではないでしょうか?
子どもは(女の子に限らず男の子も)母の想いの結晶だとするならば、
その子どもが非行・ひきこもり・暴力など様々な困ったことをする時、
それらは、母へのメッセ-ジではないだろうかと考えてみる。
誰よりも、母に理解してほしいとの、必死の叫びではないだろうかと振り返ってみる。
そのような視点から考えてみるならば、
観えなかったものが観え、聴こえなかった声が聴こえてくるように思うのです。

子どもは母の想いの結晶である。
この視点から子どもの言動を観てみませんか。
精神分析という対話療法でそれは可能となります。

興味を持たれた方、質問などは
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
『心的遺伝子論』についてはこちらです。http://signifiant-lab.com/books/
各種教室、講座も開催します。http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11など

*6日~8日まで関西出張します。
関西方面の方は、この機会にご連絡ください。連絡先はこちらです。
なお、5日午後からは携帯へお願いします。http://signifiant-lab.com/#8

【2012/11/04 10:14 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
301)オールOKの効果―自信を持つに至る

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「オールOKの効果」 について書きたいと思います。

子育てはもちろんのこと、非行不登校引きこもりの人たちに対して、
『オールOK』て対応することを推奨しています。
その経験の中で、オールOKの効果の一つを紹介したいと思います。
それは≪言葉を信じる=自己肯定=自信を持つ≫という効果です。

オールOKをしてもらう体験は
自分の要求がその内容の是非に関わらず、肯定される体験であり、
その体験が『基本的信頼感』の基礎をつくると言われています。
基本的信頼感は、自己愛を育て、自己価値・自己肯定をもたらし自信を持つに至ります。
このような話をしていると、ある人が言いました。

「頭では理解できる気がしますが、本当にそのようになるのか信じられません。」
なるほど、と思いました。
体験したことがなければ、信じられなくても当然です。
では、体験しなくても信じられることはあるのでしょうか。
このような議論をしていても前に進まないでしょう。
そんな時、
『まずはやってみませんか?』と言います。
半信半疑でもいいですから、試してみませんか、と提案します。

それを聞いて、「やってみる人」と「やらない人」の差は何でしょうか。
それは≪言葉を信じるかどうか≫だと思うのです。
「オールOKすれば自信を持つに至る」
この言葉を信じるかどうかです。
語った人や言葉の内容が正しいかどうかではなく、ただ言葉を信じるかどうかです。

表現を変えていうと(誤解を恐れずにいうと)
「馬鹿になれるかどうか」ではないでしょうか。
聞いたまま(言葉)に従ってやってみる。
自分の考えや意見を入れずに言葉に従うこと、の意味です。
これが『オールOK』でもあります。
例えば
親が子どもに対してオールOKするとは
親の考えや意見を入れずに、「子どもの言った言葉の通りに行動する」ということです。
これを『聴く(耳を持つ)』とも言います。


そうすれば
自分の言葉が親に通じる⇒受け容れられた⇒自己肯定された⇒自信を持つ

これらの過程が揺るぎないと感じることができるまで積み重ねること、
オールOKし続けることが求められます。
それがそのまま、与える親の側も共に同じ体験をしていることになるでしょう。
つまり、親自身も自信を持つに至るということになるでしょう。

以上、オールOKをすることの双方の効果の一つだと思うのです。
伝わったでしょうか?

シニフィアン研究所では、
具体的なオールOKの方法を学ぶ講座や教室を用意しています。
希望により、フリートークなども開催しています。
興味を持たれた方は、お問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
子育てのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
不登校のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
思春期のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

【2012/11/03 11:21 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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