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【2025/07/07 13:22 】 |
240)転んでも泣かない子ども

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「転んでも泣かない子ども」 について書きます。

転んでも泣かない子どもは、強い子どもとは限らず、
痛くても泣けない子どもではないだろうか。
泣くことを自分に禁じた子どもではないか。
泣けない大人になるのではないだろうか。
このようなことを考えてみようと思います。

小さい子どもが転び、「痛いよう」と泣いていると仮定します。
この時、考えられる光景は、

1)お母さんが駆け寄り、「だいじょうぶ?痛かったねえ」と言いながら抱き上げ
「痛い、痛いの飛んでけ~」と言っている
2)「だからいつも言ってるでしょ、走ったらだめだって」と叱っている
3)「だいじょうぶ、痛くない、痛くない」と否定している
4)「ドジだね」と一言
5)携帯やスマホに夢中になって気付かないetc

1)は、転んで痛いことを認めて、痛いのが無くなるように促している=共感
2)は、転んだのは親の言うことを聞かないからだと逆ギレしている=子どもが悪い
3)は、転んだことは認めているが、痛いことを否定している=痛みの否定
4)は、転んだのは、子どもがドジであるからだと決め付けている=ドジな人間
5)は、転んだ事実を無視している=無視
このように言い換えられるでしょう。

これらの反応を常にされ続けていたなら、
2)の子どもは、「親の言うことを聞かない自分は悪い子だ」とのメッセージを受け取る
3)の子どもは、「痛いと感じている感覚がおかしい」と痛みを感じないようになる
4)の子どもは、「自分はドジな人間である」と自己規定する
5)の子どもは、「自分は存在していない」「自分は存在する価値がない」と思うようになるのではないでしょうか?

このようにして、転んでも泣かない子どもが出来上がる気がします。
そして、誰かが、転んでいても
「ドジな人だ」「弱虫だ」、あるいは無視して通り過ぎることでしょう。

1)のような反応をしてもらったことのある子どもは、
転んで痛いと泣いている自分の感覚は当たり前だと思い、
お母さんが痛いことを分かってくれて、
同じように、早く痛いの飛んでいけ~と思ってくれている。
このように、痛いありのままの今の自分を、恥ずかしいと思わずに泣けることでしょう。
そして、
誰かが転んで泣いていたら、きっと
「だいじょうぶ?痛い痛いの飛んでけ~」とその人の痛みを分かち合うに違いない。
そして、大人になっても、人の痛みが解る人間になることでしょう。

シニフィアン研究所では、今すぐに使える子育て法をお伝えしています。
こちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/#10
オールOK子育て法はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/

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【2012/07/09 17:37 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
237)夢中か酩酊か
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「夢中か酩酊か」について考えてみます。
この二つは、どちらも母の胎内の再現ではないかと思うのです。
 
夢中と酩酊については、232)橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」 でも書きましたが
言い換えると
夢中=ある一つのこと以外には意識が向かない⇒我を忘れる
酩酊=ほとんど全てに意識が向かない⇒我を忘れる
となるでしょう。
 
このように考えてみると
どちらも、共通の言語「我を忘れる」があります。
そして
「我を忘れる」=言語を忘れる=言語がない状態
このように考えられないでしょうか?
言語がない状態というと、その究極は「胎児」
胎児は言うまでもなく、母の胎内に居る状態です。
ゆえに
夢中も酩酊も共に、胎児と同じ状態だと言える
つまり、母の胎内の再現だと考えられます。
 
誰もが、母から産まれます。
すべての人の故郷(楽園のはず)です。
でも、その場所は永遠に戻ることのできない場所でもあります。
だからこそ、
ストレスや悩み、苦しみなどで心が疲れた時
人は、故郷(楽園)のしばし戻りたいと思うのではないでしょうか?
 
この視点から考えると
「夢中」も「酩酊」も母の胎内の再現だと言えるのではないでしょうか?
そうすると、事の是非は別にして
「酩酊」する人の心が見えてくるのではないでしょうか?
それに気付いたら、「酩酊」を他の方法に換えることも可能となるでしょう。
子どもが何かに夢中になっていたら
それは、お母さんの胎内に戻りたいと思っているのかもしれません。
できるだけ、邪魔をせずに見守ってあげてはどうでしょうか?
きっと、楽しんでいる瞬間だと思うのです。
 
ストレスを感じたとき、
あなたはどのような方法を使うことが多いですか?
なぜその方法を使うのか、考えたことがありますか?
 
シニフィアン研究所では、気付くことも可能です。
興味をもたれた方、ご意見のある方はHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
【2012/07/05 10:49 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
236)子どもの欲望
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「子どもの欲望 その2」について考えてみたいと思います。
 
オールOKすると、際限なく子どもは要求をしてきます。
これは、最初、どの子も同じです。
今まで「一つだけね」という風に、制限されていたからです。
次から次へと訳もなく、ただひたすら要求してくるでしょう。
要求を出している間は、
止まることなど考えられないと思うことでしょう。
 
ところが、あるところまで行くと、止まります。
そして、本当に必要で、欲しいと思っているものだけを要求するようになるのです。
ということは、
最初、立て続けに要求しているのは
本当に欲しいものではない、と考えられますよね。
その通りのようです。
それが欲しいのではなく、
何でもいいから欲しいのではないでしょうか。
 
一人のお母さんが教えてくれました。
ある日、相当の覚悟をして、「欲しいもの買ってあげるよ」と言ったそうです。
心の中では、
もし、売り場全部のものが欲しいと言ったらどうしよう?
もし、買えないようなものを要求されたらどうしよう?と不安でいっぱいだったそうです。
でも、実際は
全く心配は要らなかったそうです。
逆に子どもさんが、「これとこれだけでいい」
と答えて、それだけを買ってもらい、
とっても嬉しそうにして、その後も長く大事にしたそうです。
 
これはどういうことでしょう?
親が本気で、子どもの要求を受け容れよう覚悟を決めたから、
本当にお母さんは買ってくれるだろうか?
本心だろうか?
と、親を試す必要がないと感じたからではないでしょうか。
 
人は、限定されると欲望を掻き立てられるようです。
例えば
「期間限定」とか「先着〇〇様」とか書いてあったらどうでしょうか?
今必要でなくても、欲しくなってきませんか?
いつでも手に入れられるものなら
「必要なときに買えばいいや」
と大半の人は思うのではないでしょうか。
 
これと同じことが、子どもにも当てはまると思うのです。
ここから、子どもの欲望には限りがないかもしれませんが
子どもが欲しがるものには限界を設けることができる
と考えられるのです。
 
子どもに関する問題や悩みは尽きないかもしれません。
それでも、子どもはお母さんが一番好きなのです。
誰よりも、お母さんに受け容れてもらいたいと思っているのではないでしょうか?
 
子どもさんに関する質問、ご意見などは
シニフィアン研究所の迎意 愛までどうぞhttp://signifiant-lab.com/
【2012/07/04 16:27 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
235)子どもの欲望に限界はあるのか?
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「子どもの欲望に限界はあるのか?」について考えてみたいと思います。
 
子どもは、興味を持ったら何でも欲しがります。
それに全部与えていたら、際限がないと思いますよね。
その通り、
子どもの欲望には限りはありません。
すぐに飽きてしまうことが多いのに、
なぜ子どもはそれほどまでに欲しがるのでしょうか?
少し回り道をしてみましょう。
 
子育ての悩みを抱えたお母さんたちにお会いする機会が結構あります。
そのお母さんたちに、まず、「オールOK」の大切さをお話します。
「オールOK」とは親側の要求は出さず、まずありのままの子どもを受け容れることです。
こう言うと、大抵のお母さんはビックリさせることでしょう。
「わがまま、気ままになりませんか?」
「そんなことしていたら際限なく言って困ります」
これも、当然のことです。(詳しくはhttp://signifiant-lab.com/raise/を参照ください)
だったら、なぜオールOKをしなければならないのでしょう。
 
子どもはオールOKの体験をすることで、
「受け容れられている」「認められている」→「必要とされている」「愛されている」
→「基本的信頼」を学ぶといわれているからです。
赤ちゃんは笑ったらもちろん、泣いても、寝てても無条件可愛いと思いませんか?
このような「無条件可愛い」と受け入れられる体験が「オールOKの体験」なのです。
 
この体験をした子どもは、基本的信頼を獲得すると言われています。
基本的信頼とは、乳幼児期(0ヶ月~18ヶ月くらい)に獲得されるとされる用語です。
自分は存在しても良いと思える、他者も同じように存在してよいと思えること、
このような理解でよいと思います。
つまり、この基本的信頼の獲得がなされなかったなら
後に、対人関係やアイデンティティーの確立に影響が出るだろうとされています。
 
少し難しい話となりましたが、何を言いたいかというと、
子どもの欲望を満たしてあげることが、基本的信頼を獲得する上で必須だということです。
それが自信となり、困難に直面しても乗り越えていく原動力の一つとなるでしょう。
つまり、社会の中で生きやすくなる基と言われています。
ここから
子どもの欲望には限りはありませんが、
無条件満たしてあげることが大切なことであるといわれるのです。
 
ここまで読まれて、困ったと感じた方が多いのではないでしょうか?
どうすればいいの?
そんなの無理と思っていませんか?
だいじょうぶです。
必ず止まります。
次回、書きたいと思います。
 
子育て教室をしています。
こちらをどうぞ。http://signifiant-lab.com/#10
【2012/07/03 10:08 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
234)欲しいものがない、興味がない
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「興味がない、欲しいものがない」について考えてみたいと思います。
 
前回、飽きっぽい・長続きしないのは、性格ではなく、手に入れたいものがないと書きました。
「手に入れたいものがない」とは一体どいうことでしょう。
どのような場合に、そう思うでしょうか。
1)すでに手に入れてしまっている
2)興味がない
3)何らかのメリットがあると思わないetc
 
ここで、2)について考えてみましょう。
興味がないとはどういうことでしょう。
興味がないなら、持てばいいじゃないの、と考えますが
興味のないこと(もの)に、どのようにして興味を持たせればよいのでしょうか。
欲しいと思わないものを、どのようにすれば欲しいと思うでしょうか。
3)の逆、何らかのメリットがあると思えばどうでしょうか。
何らかのメリットがある=自分にとって「快(喜び)」と考えてみます。
この「快(喜び)」は、体験することで得られるものだと思います。
そして、この「快(喜び)」を体験すれば、
もっとやりたい、もっと欲しいと人は求めるでしょう。
 
つまり
「興味がない、欲しいものがない」のは
「快(喜び」を体験していないからだと言えるのではないでしょうか?
違う言葉でいうと、
楽しいと思う体験をすれば、興味を持ち欲しいと思うでしょう。
興味を持ち、欲しいと思うことは、行動へと繋がります。
楽しい体験をしましょう。
そうすれば、その中から一番楽しいと思えることに興味を持ち
「あの時の、あの楽しさをもう一度、味わいたい」と
それを手に入れるために、行動することでしょう。
これが、前回紹介した、人型ロボット作りの例ではないでしょうか。
 
今、一番楽しいことは何ですか?
それは何よりも手に入れたいと思うことではないですか?
 
次回は、「子どもの欲望に限界はあるのか?」について考えたいと思います。
 
シニフィアン研究所では、心の研究をしています。
人はなぜ心を病むのか?心と身体はどのように関係しているのか?
これらの勉強会もしています。
興味をもたれた方は、こちらを参照ください。
 
【2012/07/02 23:43 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
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