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【2025/07/13 15:12 】 |
忙しくしているだけ

何かすることがあるor何かをしている=一所懸命にしている=時間を有効に使っている
何もすることがないor何もしていない=暇=時間を無駄にしている

何かすることがあって、一所懸命していて、忙しくしていると
一所懸命生きているような気がする
仕事をして、誰かのために何かをして、喜んだり喜ばれたりする
一日、一年、一生という時間を
何かをすることで埋めていると
自分なりに一所懸命生きてきた実感を持てる
そんな気がする

もし
それは「ただ忙しくしているでは?」
「時間を埋めているだけでは?」
と問いかけたらどうだろう?
それまでの時間が、人生が空洞化するかもしれない
「今までの私の人生は一体なんだったのだろう?」

何かをしていること=時間を有効に使っている=充実している=一緒懸命に生きている
これだけ忙しくしているのだから
こんなにも誰かのためにしているのだから
自分も楽しく、うれしく感じているのだから
だから有意義な、人生を生きている

そんな風に思い込んでいませんか?

「ただ忙しくしていただけ」
そう思ったら
すべてがリセットできた
すべてを捨てられた
すべてを手放せた
すべてから距離を持てた
すべてから空間が観えた

そう語った人がいた

『「忙しい」と言う字は「心を亡くす」と書く』
昔、誰かが言った声が聴こえた

毎日が忙しいですか?
毎日が暇ですか?
それはあなたがしたいことですか?

シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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【2012/02/11 15:43 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
適切な言葉遣いを教えよう
子どもが言葉を覚えるのはどんな時?

学校等の国語の時間で学習する事も大切な一つ
童話や文学作品に親しんで覚えることもあるだろう

しかし、言語を覚えることと、適切な言葉遣いをすることとは別
どんなにたくさんの言葉を覚えていても
その時々に使えなくては、ただ知っているだけとなりやすい

適切に遣うこと、表現することが社会生活の中ではより重要となる
言葉を覚えるには、環境が大切
つまり
日常生活の中での遣い方を通して学習することが大きい
特に話し言葉はそうだと言える

先日このような会話を耳にした
たぶん4~5歳の子どもが出勤する父親に叫んでいた
「パパ バイバイ~、パパ バイバイ~」

この言葉をどのように感じるだろうか?
私は違和感があった
「パパ バイバイ」=「パパ さようなら」

出勤するパパに向かって言う言葉は
「パパ 行ってらっしゃい」
ではないだろうか?

この「行ってらっしゃい」には
たぶん「行ってきます」が返ってくるだろう
この会話には
「パパ 会社へ行って、またボクのところへ帰ってきてね」
が、暗に含まれているのではないだろうか?
だから、その返答として
「パパは会社へ行って、またおうちへ帰ってくるからね」
がメッセージとして含まれる
つまり
「行って(帰って)来ます」=「行ってきます」

子どもが「バイバイ」と言ったなら
「バイバイ」=「さようなら」ではないかもしれないが、
周りの大人が
「パパ 行ってらっしゃい」と教えてはどうだろうか?

幼稚園や保育所の先生や友達には「バイバイ=さようなら」だけど
家族には「行ってらっしゃい」=「また帰ってきてね」

日々繰り返される日常の中での言葉の遣り取りを通して
遣い方の違いを身に付けてゆくものだと思うから

相手の何気ない言葉遣いの中に込められる「想い」
逆に、言葉遣いの中に自らが込める「想い」
人は言葉と共に「想い」を受け取るものでもある
ゆえに、子ども達には
適切な言葉遣いをする環境を与えたいものだ


シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育てについてはこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/02/03 23:08 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
一体感があるから喪失感がある
一体化=融合
この体験があるから「分離」がある
いつも一緒に居て、一体感を感じられるから
離れると寂しいと感じる
悲しいと思える
あるいは「喪失した(失った)」と感じる=喪失感

元々分離した状態であったなら
喪失感はない
分離しているものには、再度の分離は無い
だから「喪失感」はない
あるいは、ワカラナイ

別々で離れ離れでいることが、その人にとって普通だから
別れがあっても、悲しみはこみ上げては来ない
ただ「離れた」というだけ
涙はない

別れの時、喪失感を味わい
寂しさを感じたなら
それは
その相手(対象)に対して愛着を感じていた証
喪失感がワカラナイ人は、愛着も知らないと言える

一体感を味わった事がありますか?
愛着の対象がありますか?
別れや分離に涙したことはありますか?
寂しさに膝小僧を抱えて、打ち震えたことがありますか?

シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育てについてはこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/02/02 21:49 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
「無視」は「いじめ」よりも辛い
「いじめられる」ことは辛くて嫌なこと
でも
それよりも「無視される」ことの方がもっと辛い
あるクライアントが語った

「いじめる」のはまだ存在を認めている
「無視」は存在すら認めない

話しかけても反応がない
あるいは「そこに居たのか」と言われる
それほど辛いことは無い

自分の存在が無い=死
このことに通じるから
自分の存在がなくなること
このことが一番怖れることとなる

だから
いじめられる方がまだまし
もしくは
自分が無視されないように、
いち早く誰かを無視する存在にしようとする

「誰でも良い
自分でさえなければ良い
早く見つけないと、自分に回ってくるかもしれない
それだけは嫌だ、耐えられない
急がないと!早くしないと!」

何か共通点を見つけて仲間に入らないと
友達関係の「落ちこぼれ」となってしまう

そんな友達関係を怖れている人は
最初から「友達の輪」を作らない場合がある
いじめられても、無視されても耐えられる
だって
最初から「独り」なんだから
堅い甲羅で覆い、腹を見せなければ傷は浅くて済む
そんな子ども達がいる

誰も自分のことを解ってくれない
もう解ってもらおうとも思わない
諦めてしまっているのだ
それは「無理なこと」と決めているから
そんな心の扉を開くにはどうしたら良いか?

まさしく
「天岩戸(あまのいわと)」だ

お問い合わせ・ご相談は
シニフィアン研究所までどうぞ http://signifiant-lab.com/
子育て相談はこちら http://signifiant-lab.com/#10
【2012/01/29 13:49 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
まなざしを集める
何かや誰かに視線を向けるのは 
自分が見たいと思ったり、関心が有るから
関心がないものは見ない

そう思っているだろうか?

では
突然大きな音がしたら?
何かが光っていたら?
誰かの視線を感じたら?
誰かの顔に墨が付いていたら?

やっぱり
気になるから、見たいと思うから見る?
確かにそうだろう

逆に、相手から見られていると考えられないだろうか?
何かが光っているのも
あなたが見たいから見ているのではなく
その光に導かれて、そのものに見られている
そのように考えてみたらどうだろう?

見ているはずが、逆に見られている
ほくろや、イボ、あざ、えくぼなども
それがあるがゆえに、その人の特長となり
他の人よりも、視線を集められる

これを利用すれば
他の誰かと差をつけられる
目立つ事ができる
何か目を引くものが一つあれば良い
その一つが「まなざし」を集められる

何か人と違うものを一つ持てばよい
そうすれば
きっと「まなざし」を集められるだろう

あなただけの何か一つを見つけたい方は
シニフィアン研究所へどうぞ http://signifiant-lab.com/
【2012/01/28 16:23 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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