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前回は「女性化する男たち」のタイトルでアップした
今回は「男性化する女たち」を考えてみたい 最近の女性の活躍は言うまでもないことだろう 「なでしこジャパン」始め、様々な分野で女性が活躍している 男女共生は当然のようになっている 女性も社会での生きがいを求めるのは 至極当然の成り行きなのかもしれない 遠い昔は男女の役割は歴然としていた つまり 男はその腕力を活用し、外に働きに出かけ、家族を養う 体格や力に基づいた役割分担だった 一方 それらに劣る女は「出産と育児」=子孫繁栄を担っていた それが最重要な役目だと考えられてきた 女性は「子ども」を産み出せる それができない男性は 社会の中で物や金を産み出してきた このような観点から考えてみると 社会は「子ども」を産み出せない男たちの一つの場と考えられる その場に、女たちが参入してきた 「家事育児だけが女の生きがいではない」 「女だって社会で生きがいを見出す権利がある」 そして、いつの間にか 家庭だけではなく、社会も女たちに乗っ取られそうになっている 男女平等が職場も社会も平板化してしまった 差異が不鮮明になってきた かつて 「家庭という場は、妻主導が平穏にゆく。社会はまだまだ男社会だ」 と言って、安心していた男性が 今やその社会の場も女たちに侵食されつつある 家庭での主導権を譲り渡したことが 社会の中でもその主導権を奪われそうになっている その事の是非はとまれ 女たちは言う 「あなたがしっかりしないから、仕方なく私が前に出てるのよ」と! 必ずしも腕力を求められる社会構造ではなくなっていることも その一役を担っているだろう この差異の平板化が 精神の平板化や身体の平板化に関連している 例えば 性差の平板化は性倒錯や子どもの性差の平板化へ傾向へ 身体の平板化は女性器(乳房、子宮、卵巣)の平板化(=削除=男性化)へ と繋がるだろう 女性の社会参入に意義を唱えているのではない 参入の仕方に一考を要すると言いたいのである 興味を持たれた方はこちらを参照ください 「女たちよ賢明であれ」 PR |
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