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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
前回からの延長で、『恋愛・結婚』について考えてみたいと思います。
男性が女性を欲望(愛)する根底には、
それが男性にとっての、憩いの場(=母の腕の中)だからではないでしょうか。
女性と親密な関係を持つためには
恋愛、結婚に関して興味を持たれている方は PR |
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
前回「男性よもっと女を欲望せよ」と書きました。
まず、誤解のないように
このような想いを、自分の言葉に置き換えて、語ってみてはいかがでしょう。
子どもが出会う最初の対象は、通常「母」です。
このようなことに気付くための講座や教室もあります。 |
前回は「女性化する男たち」のタイトルでアップした
今回は「男性化する女たち」を考えてみたい 最近の女性の活躍は言うまでもないことだろう 「なでしこジャパン」始め、様々な分野で女性が活躍している 男女共生は当然のようになっている 女性も社会での生きがいを求めるのは 至極当然の成り行きなのかもしれない 遠い昔は男女の役割は歴然としていた つまり 男はその腕力を活用し、外に働きに出かけ、家族を養う 体格や力に基づいた役割分担だった 一方 それらに劣る女は「出産と育児」=子孫繁栄を担っていた それが最重要な役目だと考えられてきた 女性は「子ども」を産み出せる それができない男性は 社会の中で物や金を産み出してきた このような観点から考えてみると 社会は「子ども」を産み出せない男たちの一つの場と考えられる その場に、女たちが参入してきた 「家事育児だけが女の生きがいではない」 「女だって社会で生きがいを見出す権利がある」 そして、いつの間にか 家庭だけではなく、社会も女たちに乗っ取られそうになっている 男女平等が職場も社会も平板化してしまった 差異が不鮮明になってきた かつて 「家庭という場は、妻主導が平穏にゆく。社会はまだまだ男社会だ」 と言って、安心していた男性が 今やその社会の場も女たちに侵食されつつある 家庭での主導権を譲り渡したことが 社会の中でもその主導権を奪われそうになっている その事の是非はとまれ 女たちは言う 「あなたがしっかりしないから、仕方なく私が前に出てるのよ」と! 必ずしも腕力を求められる社会構造ではなくなっていることも その一役を担っているだろう この差異の平板化が 精神の平板化や身体の平板化に関連している 例えば 性差の平板化は性倒錯や子どもの性差の平板化へ傾向へ 身体の平板化は女性器(乳房、子宮、卵巣)の平板化(=削除=男性化)へ と繋がるだろう 女性の社会参入に意義を唱えているのではない 参入の仕方に一考を要すると言いたいのである 興味を持たれた方はこちらを参照ください 「女たちよ賢明であれ」 |
遠い昔から
「男は浮気なもの」 と聞いてきた記憶がある 「そんなこと、男の勝手な言い分」 そのように思ってきた ところが ある時から、どちらも納得できるようになってきた 男は単純だとも言われる 男は「1」=「付いている」=「持っている」 女は「1以外のすべて」=「付いてない」=「持っていない」 一人の男を知れば「1」だと分かる しかし 女は1以外の全てだから無数にいろ だから知りたくなる そして、永遠に知り尽くすことは無い その女を知りたいと思うのは、男だけではない 女も自分以外の女はワカラナイ だから女にとっても「女」は謎であり 興味の対象となる 女の数だけ女がいる だとした 男が浮気だと言われるのも納得がゆくではないか しかし 一人の女からすれば 男の浮気なのは許せない 男の勝手な言い分だと言いたくなるのも頷ける とかく 女にとっても女は謎である 男がよく言うではないか
「女は解らん」と
その通り
女は永遠に謎を秘めているのです
「女たちよ賢明であれ」も参照くださいhttp://signifiant-lab.com/woman/
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誰にでも「羨望と嫉妬」の心はある
「いいなあ」 「うらやましいなあ」 という気持ちが湧いてきたら それは「羨望」 そして 「悔しい」 「なんでアイツが」 「くそっ!」 「失敗すればいいのに」 「そんなことくらい大した事ない」 「誰にでもできることだ」 なんて気持ちが湧いてきたら それは「嫉妬」 羨望と嫉妬はどうして湧いてくるのか? 「羨望」は憧れへと続くし、理想像ともなる 子どもがよくする「真似る」がその始まり そして、 「自分もあの人のようになりたい」 という気持ちを抱かせる それを「理想自我」と呼ぶ この憧れる気持ちが大切 それが反転すると 「羨望」が一気に「嫉妬」へと変貌する 反転の契機(きっかけ)は何か? それは 「自分には無理だ」 と、どこかで感じた時と言える 自分がしたい、なりたいと思っているのに 何らかの形でそれが無理だと感じた時 その相手を破壊したいと思う それは実現できない理想像が目の前に有り続けることは 「お前には無理だ!」 と突きつけられているかのように感じるから そして、それは何よりも屈辱であるから だから 目の前から破壊し排除したくなる それが「嫉妬」 逆に言えば 「嫉妬」するのは 自分がやりたい、なりたい理想像である と言える 自分の理想でなければ 目の前に居ても 「凄いね」 「良かったね」 と思っても、それだけのことで 羨望も嫉妬も感じないはずだ 羨望や嫉妬の気持ちを抱くのは それはあなたの理想像であるからだ あなたの羨望や嫉妬の対象は何(誰)だろうか? それを知れば、あなたの理想像が解る あなたの求めているものが理解できる 自分を知りたい方は シニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/ |