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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
「選択」という言葉にどのようなイメージを持たれているでしょうか。
何を言いたいかというと
どうでしょうか。
ですから、
これはたぶん、特別な親子ではないと思います。 PR |
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
今日は「飽きっぽい・長続きしない」について書きたいと思います。
6月29日付のヤフーニュースで見つけた記事です。
タイトルは「なぜ、日本の研究者は人型ロボットを作るのか」
その中で、早稲田大学の高西淳夫教授が答えていた。
「人型ロボット研究の最大の問題、あるいは宿命というのは、『人という明確な目標がある』ということです。(中略)ロボットに人のまねをさせようとすればするほど、永遠にゴールに行きつけないと痛感します。そのために、やめられなくなってしまいます。」
「永遠にゴールに行きつけない」「そのために、やめられなくなってしまいます」
これらの言葉を中心に、考えてみたいと思います。
少し変形して、
「永遠に手に入らないから、やめられない(興味を持ち続ける)」としてみましょう。
とすると、逆にいうと
「すぐに手に入れば、やめてしまう(興味を持たなくなる)」となります。
つまり
人は、簡単に手に入るものは、すぐにやめてしまいますが、
永遠に手に入らないものは、やめられない(興味を持ち続ける)
と言えることになります。
少し古い表現になりますが、
「高嶺の花」という言葉があります。
ご存知でしょうか?
≪遠くから見るだけで、手に入れることのできないもの、あこがれるだけで、自分にはほど遠いもののたとえ≫
のことです。
今風に言うと「追っかけ」が近いでしょうか。
「大好き」と言いますが、
「永遠に手に入らない理想の姿」と思っているのではないでしょうか?
ここから
すぐにやめてしまう人、飽きっぽい人は
「永遠に手に入らないものを持っていない」ということになるのではないでしょうか?
長続きしないのは、性格ではなくて
「やめられない」と思えるものがないからではないでしょうか?
言葉を変えると
「興味をもつものがない」→「手に入らないものがない」→「手に入れたいものがない」
では、なぜ手に入れたいものがないのでしょうか?
次回は、このことについて考えてみたいと思います。
シニフィアン研究所では、このような方の相談もしています。
こちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/
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「訳わかんな~い」
という言葉をよく耳にする ほとんどが、若い女性 表現の仕方はともかく 「訳がわからないもの」とは? 『なんと言ってよいかわからないもの』 つまり 『言葉で表現できないもの』 『理由付けできないもの』である 理由付けできないものは、言語で説明できないものでもある これらは どのように心の中に意味づけされているだろうか? それは 【気持ち悪い】である この【気持ち悪い】と感じるものは その人の中では、まだ一度も言語化されていないものである 一度も言語化されていないものは、時空を超えて永遠に生き続ける 遠い過去のことであっても、まるで昨日のことのように思い出す その代表が「トラウマ(心的外傷)」であろう それらは 【生々しいもの】【おぞましいもの】として その人の心の中で、永遠に生き続けている そして、時にはフラッシュバックしてくる そうすれば、過去のものとなるのだろうか? それは 言語化すること=言語で説明すること そうすれば 【生々しいもの】【おぞましいもの】は過去のものとなり インデックスをつけられ、他の記憶の片鱗となるだろう 精神分析はその「言語化」する方法である 興味をもたれた方は シニフィアン研究所 トラウマ(心的外傷)を参照ください http://signifiant-lab.com/trauma/ |
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新年度のスタートの日
公私共に、そのスタートを切る日 新たに「自己規定」して前進する日 時に乗ること 新たにスタートするには、区切ることが必須 古い自分に区切りをつけて 新しい自分を規定する 周りに合わせていると遅くなる 日付に合わせること 今日考えていたら、一日遅れている 明日のことは、今日の終わりに決めて、明日からスタート 今日の自分の姿を見て、明日の自分を描く その繰り返し 今に立ち、明日に向かって歩む 常に「前へ、前へ!」 そんなスタートをしましたか? シニフィアン研究所では 精神分析という鏡があります。 今の姿を映してみませんか? 詳しくは http://signifiant-lab.com/までどうぞ |
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男性がどんどん女性化している
そんな気がするのはメディアの影響? 否、それだけではない 周りを見回しても、日常茶飯事に目にする そもそも「性」は身体的性別とは別に、後天的に獲得するもの それをジェンダーとも呼ぶ その是非はともかく どうしてこんなにも女性化する傾向にあるのだろう? そもそも「女性性」とは? 一口で定義するのは難しい 「女性は存在しない」 「性関係はない」 との言説もあるくらいだから とりあえず 外見的にも、精神的的にも「女性っぽい」と多数が見なす と考えてみることにしよう どうしてそのようになるのだろうか? それは 多くの女性も男性も共に【優しい人=母なるイメージ(母性)で包み込んでくれる人】 【甘えられる人】 そんな人を求めているからではないだろうか? 「甘えさせてくれる」 「優しく包み込んでくれる」 「何でも許してくれる」 「自分の思うとおりにしてくれる」 これは「母性」 「父性」ではない 父性は何よりも【言語化できること】が必須 そして、統率力、指導力なども持っていること それらによって導き守ることが「父の優しさ」だろう マッチョなど、見かけはさほど重要ではない こうして考えてみると 多くの女性が男性に求めているのは 【母性の優しさ】だと考えられる どこにも【父性の優しさ】など見られない だから男性は父性を求められないことになる そこにあるのは、収入と子ども ゆえに 男性はどんどん女性化の方向に向かって進むのではないだろうか? 女性たちよ、もっと父性を持った男性を求めよう!! そして 女性たちよ、もっと賢明であれ!! そのように叫びたくなる シニフィアン研究所の『女たちよ賢明であれ(随時更新中)』も参照ください |
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