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【2024/04/24 09:18 】 |
憎しみは愛を棲み家としている
相手に腹を立てる
相手を憎む、恨む
相手を完膚なきまでにやっつけてやりたい
そんな気持ちになることは誰でもあることだろう
これらは「攻撃心」と呼ばれ、その感情を「憎しみ」と呼ぶ
しかし、それは良くないことだとされる
できるだけ腹を立てず、良い人になることを求められる
対人関係をスムーズにするために
それが大人である
それが弁えた人だと言われる
 
どうしてこのような攻撃心や憎しみが湧き上がってくるのだろう?
本当に我慢しなければいけないことなのだろうか?
 
それは「愛」の裏返し
「愛」と「憎しみ」は表裏一体
愛すればこそ憎しみも倍増する
愛と憎しみはナルシシズムの構造の中から生まれる
 
自分の理想像を相手の中に見た時、それは「愛」の対象となる
自分のなりたい姿を見出した時、それは自分そのものとなる
これを同一視、同一化と言う
対象が子どもであれば、自分の夢を子どもに託すだろう
同性であれば、憧れの人となり真似をするだろう
異性であれば恋愛の対象となり、一気に惚れ込むだろう
アイドルであればファンとなり追っかけをするだろう
これらは、鏡に映った自分の分身である
 
ところが
何らかの理由で、自分の理想を担う対象でなくなった時
自分の思うようにならなかった場合
一転して「憎しみ」の対象となる
「こんなにもアナタの為にしているのに!」
「こんなにも自分を犠牲にして、アナタに尽しているのに!」
「こんなにもアナタを愛しているのに!!」
「どうして分かってくれないの!」
「分かってくれないのなら、いっそこの手で殺してしまいたい」
 
愛が深ければ深いほど、憎しみはより一層深くなる
つまり、憎しみの対象は愛の対象でもある
このように憎しみは愛を棲み家としている
愛の無いところに憎しみは無い
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://www3.ocn.ne.jp/~desire4/
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【2011/08/05 07:48 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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