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【2025/09/18 20:48 】 |
177)無気力からの脱出
無気力
これは気力がないこと。
積極的に物事をしようとする意欲に欠けること。
辞書にはこのように書いてある

怠けているわけじゃない
やる気が出ないのだ
『可もなく、不可もなく、とり立てて大きな不満もないが、
 すごく楽しくてたまらないという満足もない』
なぜ、やる気が出ないのだろう?

以前にも書いた気がするが
これは
【誰かから強く求められた体験がない】
「あなたが居ないとダメだ」
「あなたでないと他に誰も居ない」
「あなただけ!」
このように、誰かから切望されたことがない

切望され、欲望されたとき
人はやる気が湧いてくる

人から聞いたことがある
引きこもりになってゲーム三昧の日々だった人が
大震災の被害状況をテレビで見て、
ボランティアとして参加したという
最初は、
何らかの強い意志を持っていたわけじゃない
ただ、「何かできるかもしれない」
それくらいの気持ちだったらしい
引きこもっていたこともあり
体力的にも大きな何かをしたわけでもないのに
ある時
こんな自分でも必要とされている
そのように感じたという

それから自分の中で、何かが変わった
自分は必要とされている=存在する意味がある=生きる意味がある

それ以後、その人がどのようになったかは、想像に難くない
誰かに必要とされる事によって
そこに自分の生きる意味を見出したのだ
無気力で引きこもり
無意味しか見出せなかった日々が
一転して気力溢れ
気力は行動を生み出し
その人を根底から変えた

必要とされる=欲望されることによって
まさしくその人は
自分の人生を書き換えたのだ

無気力なのは、怠けているのではない
必要とされた、欲望された体験がないのだ
だから気力が湧いてこないのだ
強く欲望すること
強く必要とすること
それが
無気力から脱する方法である

生きる意味を見出したい方
やる気を出したい方
シニフィアン研究所のHPも参照ください
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのHPもあります
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【2012/05/04 12:47 】 | 不登校・引きこもり | 有り難いご意見(0)
テレポーテーションともう一人の私
努力して過去の自分から脱皮したつもりだった
しかし
ある「スイッチ」が入った瞬間
過去の自分にテレポーテーションしてしまった
そんなことはありませんか?

例えば
「子どもに対して、怒らずに、冷静に話をしよう」
と決めたとする
順調に冷静に話をしていたある時
子どもがポツリと
「うるさいなあ^^」
と言った
その瞬間、パチン!とどこかで音がした
それから後のことは覚えていない
気がついたら、子どもが倒れて泣いていた
無意識に、叩いていたのだった
冷静になって考えてみると
そこまでする必要などなかった
どうして、そんなことをしたのだろう?!と自責の念に駆られたと言う

そんな話を聞いた
頭では分かっているつもりだ
そして、努力して積み上げてきたのに
ある一言「うるさいなあ」が、
その人を激情に駆り立て、暴力へと導いたのだった
一瞬にして
過去のある時に「テレポーテーション」したのだ

たった一言
それが、その人をテレポーテーションさせる
言語はそのような力を持っている
それほどまでに
人は言語に隷属している
逆に言えば
言語一つで、人は変身するし、
テレポーテーションすると言えるだろう

あなたはどのような「言語」に反応しますか?
どのような言葉で変身してしまいますか?
その「言語」はあなたにとって
過去のある一点へと導いてくれるでしょう
そこであなたは
もう一人の自分に邂逅するのです

興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/
【2012/05/03 12:38 】 | 家族 | 有り難いご意見(0)
寄り添うとは?
寄り添う」=ぴったりと側にいること

この言葉は決して難しい言葉ではないと思う
大好きな人の側に「寄り添っていたい」
あるいは「寄り添って欲しい」
人に「寄り添った考えをする」

では、具体的にどのようにすることだろうか?
『ぴったりと片時も離れずに側にいる』
確かに
いつも側にいてくれるだけで安心する
困ったときはすぐに助けてもらえる
これでOK?
側に居ても「寄り添っている」とは思えない場合もある
ただ側にいるだけでは満足しない
体だけではなく、心も「寄り添っていて欲しい」
人はこの両面(心身)が満たされて初めて
寄り添ってくれている
と感じるものらしい

体が「寄り添っている」ことは、目に見えるが
心が「寄り添っている」かどうかは目には見えない
非常に主観的なものだといえるだろう
外からは「寄り添っている」ように感じられても
その本人が「寄り添ってくれている」と感じなかったなら
その人にとっては
「寄り添ってくれていない」
となるだろう



1)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったら
  ≪ほんとねえ^^可愛いねえ≫と共有できたら
  「寄り添っている」と言えるのだろうか?

2)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったとき
  ≪じゃ、買う?≫と言う場合はどうだろう?
  「寄り添っていない?」

3)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったとき
  ≪そう?こっちの方がいいんじゃない?≫と言ったら
  「寄り添っていない」と言える?

4)≪この服、可愛いねえ~≫と言ったとき
  ≪・・・(無言or無視)≫
  「寄り添ってない?」

言葉だけでは必ずしも「寄り添っている」とは感じられないかもしれない
声のトーンや身振り、手振り、表情など様々な情報を基に判断する
あるいは
長い付き合い(経験)の中では、
「あいつは、あんなやつだが、心は違う」
と、「寄り添ってくれている」と感じているかもしれない


人の心は、とかく難しくやっかいなものだ
言葉(言語)を使って伝えるのが会話の基本であるのに
言葉だけでは真意は伝わらないのも時として事実
だとしたら
言葉は自由に使えるようでも、不自由なものだ
寄り添う
この言葉一つでも、なかなか相手に伝えにくい

言葉(言語)に興味をもたれたなら
精神分析の世界も覗いてみませんか?
シニフィアン研究所のHPはこちらです
http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/05/02 18:12 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
想いはいつか形となる
『大好きな人を独り占めしたい』
『自分だけのものにしたい』
この想いを言葉にできないでいたある日
自分よりも、その人の心を独占する人が現れることになった
こんな時、人はどのような行動に出るだろうか?

ある一つの例
その人は、自分の想いを言葉にできなかった
だから、「仕方ない、少し我慢すればいい」と思っていた


その人が来る前夜、次のようなことがあったらしい
1.歯ブラシを落とした
2.下着を落とした
3.バスタオルを落とした
これらの失敗は、まず考えられないことし
ましてや三度も続けて失敗するなんて不思議だと言う

この状況は何を語っているのだろうか?
精神分析的観点から考えてみよう
・1~3に共通する言語=「落とす
・「歯ブラシ」「下着」「バスタオル」=その人自身
・自分から大切な人の心を奪う人がやってくる前夜に起こした事
これらのことから
大好きな人の心から落ちてしまった私
寂しい、悲しい、悔しい気持ちを
『落とす』という行動で表現したと考えられる

その人に伝えると
【確かに、その人が来たら、私のことなど忘れてしまうに違いない、と、ふと思いました】
【自分では、そんなに嫌だと感じてはいないつもりだったのですが、、、】
と語った

このように、人は何らかの形で
自分の想いを表現するものだと言える
一見、偶然のように見えることでも
その人の【無意識】から観れば、必然となる
それを
「単なる偶然」と見過ごすか、「必然だ」と受け取るか?
それによって、それ以後がまったく違ってくることだろう

何気ない出来事が
あなたの無意識(もう一人の私)を表現しているかもしれません
興味を持たれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/
【2012/05/01 18:05 】 | 子育て | 有り難いご意見(0)
白血病からの離脱ー運命を書き換える
まず始めに、
この記事は「白血病」と診断されたのではなく
精神分析によって
【自分の精神が「白血病」の方向に向いていたことに気付いた】
その紹介です。

以下はその人の語らいです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

幼少期より「母」との関係が【支配と服従】であった
それは、衣食住はもとより、将来に関してまで決められていた
それゆえ
その人のテーマは
『いかに母の支配を逃れるか』
と同時に
『どうすれば母が自分を諦めるか』でもあった
拒食、過食、不登校、引きこもり、留年、非行etc
それとPTSD
名前を聞くと体がフリーズして動けなくなる

しかし、
その母は決して諦めるどころか
以前にも増して、その支配は強烈なものとなってゆく
ついに抵抗を諦め、ある種の平凡な人生を送る

転機がやってきたのは
精神分析との出会い』であった
自己と向き合うことで
ついに気付いたことがある
母性剥奪
与えられるべき人から、逆に、全てを剥がされ、奪われた人生であった
そこから描き続けたイメージは
≪骨の髄まで母の毒に侵されている。骨髄から入れ替えなければ自分の人生は始まらない≫
であった

この時
【私は白血病になって骨髄を移植して生まれ変わりたい】
それを目指していたことに気付いたのだった

私は因幡の白兎でした。
毛を奪われ、皮膚を剥がされ、海水に漬けられ血の涙をながしていました。
でも、今気付きました。
自分の骨髄で新しい血を創り出し、全身の血液をすべて入れ替えれば良いのだと!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は、自らの命を賭けてまでも、自らの言語に従って着実に実現しようとするものである
その人は、精神分析と出会って言語化することで
身体を使って実現するのではなく、
自分が書き込んだ言語(運命)を書き換えたのだった
これからは
自らの人生を自分の意志で書き、実現してゆくことでしょう!!


精神分析に興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/
【2012/04/30 23:26 】 | 家族 | 有り難いご意見(0)
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