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明日から関西方面(大阪・和歌山)へ出張します。
なお、仕事中は出られませんが、留守電や履歴を残していただければ
電話番号 090-1951-1978
20日(金)は新宿、大宮近隣におりますので
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1)ある都市での駐輪禁止が守られないので一計を講じたという
「駐輪禁止場所に子どもの禁止の絵をプリントした」 そうすると、誰一人駐輪しなくなった レポーターが止めようとして止めた人にインタビューしていた 『どうしてここに(絵の上)に駐輪しなかったのですか?』 『子どもの描いた絵の上には停められないでしょ!』 『子どもの絵は踏めませんよ』etc 2)道端のミカンの一つ一つに顔を描いたら盗られなくなった 「人の顔を描くと、見られていると感じる傾向がある」 と、心理学者が解説していた いずれもメディアで紹介されていた 3)歴史的には 「踏み絵」が思い出される これは、キリシタンを取り締まるために行われた 1)2)3)の事象は何を示しているのだろうか? これらに共通することは一体何か? いずれもそのもの自体ではない なのに、人はその前で立ち止まるのはなぜか? それは その向こう側に【意味(想像)】を見出しているからだ 例えば 「子どもの描いた絵のコピー」の向こう側に -無邪気な子どもたちが、一所懸命で描いたのだろうなあ -そんな子どもの想いや行為を踏みつけてはいけない -我が子や孫の姿を思い出した -かつての自分を重ねてみたetc 人それぞれ固有の意味付け(想像界)が想像できる だからこそ 本物ではなくコピーであり そして、それが偽物であると分かっていても 人は、自分の意味づけ(想像界)の前で立ち止まるのである 人はこのように『自分固有の意味づけ(想像界)で生きている』 だからこそ 「駐輪禁止」という文字よりも有効性がある 「絵」を通して想像をたくましくする それによって行動が決まる 逆に言えば 「その人の行動を見れば、その日宇との想像界が見えてくる」 興味をもたれた方はこちらを参照ください シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/ |
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自分と同じ想いを相手にも味わわせてやりたい
ただこの一念
これを【復讐】と呼ぶ
自分がどんな辛い想いをしたか
どんな悲しい想いをしたか
どんな痛い目にあったか
思い知るがいい!
同じ体験をしない限り解らない
だから
同じ体験をさせるしかない
このような【復讐】は特別な事情のある人だけではない
日常的に行われている
このことに、一体どれくらいの人が気付いているだろう?!
家庭内で、職場で、いたるところで行われている
よくあるパターンは
「しつけ教育」という名の復讐
家庭内や職場、学校など閉鎖空間で起きやすい
しつけは必要
だから、している側は復讐とは思っていない
愛情だとさえ思っているかもしれない
「あなたの為を思って言っている(している)んだよ、憎くて言っている(している)のではない」
「お前が困らないように思ってるからなんだ」
などなど
言う側(する側)からの視点では「愛情」や「思いやり」のつもりかもしれないが
言われる側の視点では「暴力」や「強制」や「過干渉」となっている場合が多い
それを確かめるのは簡単だ
言われる側の人に聞けばよい
「暴力」におは「暴力」で
「強制」には「強制」で
「過干渉」は「過干渉」で返す
それが極まれば【復讐】となる
自分は【復讐】される覚えは無くても
相手は【復讐】に値すると受け取ったのだ
誤解や逆恨みではない
このように
「しつけ」や「教育」は【復讐】の温床となりやすい
適切な「しつけ」「教育」に興味をもたれた方は
精神分析的子育て法を参照ください
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「分化は禁止によってなされる」
そもそも「分化」するには その前提として「一体化=融合」が必須 「一体化=融合」があるから分化がある 「一体化=融合」の経験がない人はこれを求める 友達と「仲良し=情動的一体」になっているから「別れ」が辛い 涙が流れる そもそも「仲良し」でないなら「別れ」は単なる「別れ」に過ぎない 辛くないし、涙は流れないし、仕方ないと思うだけ 「分化」は「一体化=融合」があることの証となる 逆に言えば 「一体化=融合」がない人は まず何よりも「一体化=融合」を求める それしかないとも言える 融合の方法は多々ある 例えば 誰でも使う手っ取り早い方法は「寝ること=睡眠」 アルコール、セックス、果ては麻薬などの薬物での酩酊 それらを使って「一体化=融合」をしようとする あるいは、意識を失ってしまう それらはやがて「依存症」「寝たきり」へと繋がる道 一体化=融合とは 自他の区別がない状態 それが作り出せれば、とりあえず安心する しかし、持続はしない だから次から次へと求め続ける ただ「常に側に居て欲しい」 「常に抱き締めていて欲しい」 「常に一体化していたい」⇒セックスができればいい 「意識がなければ、離れていることを知らなくて済む」⇒意識喪失、酩酊 このようにどんどん加速する それが無くては片時も生きていられない状態 それを「依存症」と言う この状態は 「胎内」で母と一体だった時期と等価 だから行き着く先は「胎内化」 それが、例えば 「飛び込み」「正面衝突」「のめり込み」「呑み込まれ」「飲み込み」 などなど この依存を断ち切るためには まずはタップリの満足を味わう体験 それから「依存している」ことの自覚 この「満足体験」はただ一度でよい そのためには何が必要か? それについてはこちらを参照ください 【精神分析的子育て法】の中にヒントがあります http://signifiant-lab.com/raise/ |
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無口な性格だと言われる人がいる
それは性格なのではなく 「欲望がない」のである 欲望がないから、語りたいことがない だから結果的に「無口」になるだけ 語りたいと思う事柄が何も無いのだ だから語りたいとも思わないし 無理に語ることを求められると苦痛と感じる ただ聞いているだけ ただそこに居るだけで満足なのだ だから退屈しない 欲望がないから 目だった行動もしない やる気もない 何をするにも億劫だ 目的もなくダラダラ 引きこもりがちとなりやすい ただ決められた事を淡々とするだけ ある時期までは 真面目である場合が多い 枠にはまったことが得意となる 決められたマニュアルに沿って こつこつと真面目に 時間をかけてやる しかし だからと言って ただ大人しいのではない 心の内奥には「激しい何か」を秘めている だけど それを必死で押し殺しているのだ 衝動的なものを一度出し始めたら コントロール不可能となることを怖れている だから 時折爆発する可能性がある 溜まったら一気に放出するのだ 言語化することを学習していないがゆえに 衝動的、発作的に行動する可能性が高い 普段はそれを、理性で何とか抑え込んでいるだけ 突き上げてくる衝動を必死で抑え込もうとしているから 常に筋肉が緊張している 特に肩や首の筋肉が堅い人が多い 何を恐れ、 何をコントロールできないと思っているのか それを意識化することで 言葉に置き換えることを学ぶ そうすると次第にそれらは緩和する 逆にカラダも柔らかく しゃべりすぎる場合も同じ しゃべることで抑圧する場合もある 興味をもたれた方は シニフィアン研究所のHPを参照ください http://signifiant-lab.com/ |
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