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何かすることがあるor何かをしている=一所懸命にしている=時間を有効に使っている 何もすることがないor何もしていない=暇=時間を無駄にしている 何かすることがあって、一所懸命していて、忙しくしていると 一所懸命生きているような気がする 仕事をして、誰かのために何かをして、喜んだり喜ばれたりする 一日、一年、一生という時間を 何かをすることで埋めていると 自分なりに一所懸命生きてきた実感を持てる そんな気がする もし それは「ただ忙しくしているでは?」 「時間を埋めているだけでは?」 と問いかけたらどうだろう? それまでの時間が、人生が空洞化するかもしれない 「今までの私の人生は一体なんだったのだろう?」 何かをしていること=時間を有効に使っている=充実している=一緒懸命に生きている これだけ忙しくしているのだから こんなにも誰かのためにしているのだから 自分も楽しく、うれしく感じているのだから だから有意義な、人生を生きている そんな風に思い込んでいませんか? 「ただ忙しくしていただけ」 そう思ったら すべてがリセットできた すべてを捨てられた すべてを手放せた すべてから距離を持てた すべてから空間が観えた そう語った人がいた 『「忙しい」と言う字は「心を亡くす」と書く』 昔、誰かが言った声が聴こえた 毎日が忙しいですか? 毎日が暇ですか? それはあなたがしたいことですか? シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/ PR |
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明日7日から9日まで関西へ出張します。 大阪、神戸、和歌山近辺の方、連絡ください。
様々な相談や教室、養成講座などもしています。 特に9日には「フリートーク」の時間を設けていますので 自由にご参加ください。
詳しいことは 直接携帯へお電話ください。 面談中は出られないですが、履歴と留守電を残していただければ 後ほど、必ず連絡させていただきます。
090-1951-1978 むかい あい までどうぞ |
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人は皆、自分が求めているものを知っている
ただ、 それが何なのかを知らない だからそれを求めている 具体的な何かではない お金や家、土地、名誉などのことではない それらを通して求めているもの それらの向こう側にあるもの ひょっとしたら、 永遠に気付かないままなのかもしれない だけど「知っている」 そうとしか表現できないもの それを知っているからこそ 自分の身体を使って表現している 例えば 行動や病気、怪我などで あるいは作品と呼ばれるものを創ることで すべての人は知っている ただ二種類の人がいるようだ 知りたいと探求し続ける人 そんなものは無いと否認、あるいは諦めている人 そんな観点から自分を見つめてみるのはどうだろう? きっと、違った世界が観えてくるだろう 先人はこのことを 『難あって有難し』と言ったのではないだろうか? 自分に気付くチャンスだと それを掴め! そのように聴こえる ご意見・ご質問・お問い合わせはシニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/ |
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子どもが言葉を覚えるのはどんな時?
学校等の国語の時間で学習する事も大切な一つ 童話や文学作品に親しんで覚えることもあるだろう しかし、言語を覚えることと、適切な言葉遣いをすることとは別 どんなにたくさんの言葉を覚えていても その時々に使えなくては、ただ知っているだけとなりやすい 適切に遣うこと、表現することが社会生活の中ではより重要となる 言葉を覚えるには、環境が大切 つまり 日常生活の中での遣い方を通して学習することが大きい 特に話し言葉はそうだと言える 先日このような会話を耳にした たぶん4~5歳の子どもが出勤する父親に叫んでいた 「パパ バイバイ~、パパ バイバイ~」 この言葉をどのように感じるだろうか? 私は違和感があった 「パパ バイバイ」=「パパ さようなら」 出勤するパパに向かって言う言葉は 「パパ 行ってらっしゃい」 ではないだろうか? この「行ってらっしゃい」には たぶん「行ってきます」が返ってくるだろう この会話には 「パパ 会社へ行って、またボクのところへ帰ってきてね」 が、暗に含まれているのではないだろうか? だから、その返答として 「パパは会社へ行って、またおうちへ帰ってくるからね」 がメッセージとして含まれる つまり 「行って(帰って)来ます」=「行ってきます」 子どもが「バイバイ」と言ったなら 「バイバイ」=「さようなら」ではないかもしれないが、 周りの大人が 「パパ 行ってらっしゃい」と教えてはどうだろうか? 幼稚園や保育所の先生や友達には「バイバイ=さようなら」だけど 家族には「行ってらっしゃい」=「また帰ってきてね」 日々繰り返される日常の中での言葉の遣り取りを通して 遣い方の違いを身に付けてゆくものだと思うから 相手の何気ない言葉遣いの中に込められる「想い」 逆に、言葉遣いの中に自らが込める「想い」 人は言葉と共に「想い」を受け取るものでもある ゆえに、子ども達には 適切な言葉遣いをする環境を与えたいものだ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/ 子育てについてはこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/ |
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一体化=融合
この体験があるから「分離」がある いつも一緒に居て、一体感を感じられるから 離れると寂しいと感じる 悲しいと思える あるいは「喪失した(失った)」と感じる=喪失感 元々分離した状態であったなら 喪失感はない 分離しているものには、再度の分離は無い だから「喪失感」はない あるいは、ワカラナイ 別々で離れ離れでいることが、その人にとって普通だから 別れがあっても、悲しみはこみ上げては来ない ただ「離れた」というだけ 涙はない 別れの時、喪失感を味わい 寂しさを感じたなら それは その相手(対象)に対して愛着を感じていた証 喪失感がワカラナイ人は、愛着も知らないと言える 一体感を味わった事がありますか? 愛着の対象がありますか? 別れや分離に涙したことはありますか? 寂しさに膝小僧を抱えて、打ち震えたことがありますか? シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育てについてはこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/
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