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【2025/11/10 20:38 】 |
忙しくしているだけ

何かすることがあるor何かをしている=一所懸命にしている=時間を有効に使っている
何もすることがないor何もしていない=暇=時間を無駄にしている

何かすることがあって、一所懸命していて、忙しくしていると
一所懸命生きているような気がする
仕事をして、誰かのために何かをして、喜んだり喜ばれたりする
一日、一年、一生という時間を
何かをすることで埋めていると
自分なりに一所懸命生きてきた実感を持てる
そんな気がする

もし
それは「ただ忙しくしているでは?」
「時間を埋めているだけでは?」
と問いかけたらどうだろう?
それまでの時間が、人生が空洞化するかもしれない
「今までの私の人生は一体なんだったのだろう?」

何かをしていること=時間を有効に使っている=充実している=一緒懸命に生きている
これだけ忙しくしているのだから
こんなにも誰かのためにしているのだから
自分も楽しく、うれしく感じているのだから
だから有意義な、人生を生きている

そんな風に思い込んでいませんか?

「ただ忙しくしていただけ」
そう思ったら
すべてがリセットできた
すべてを捨てられた
すべてを手放せた
すべてから距離を持てた
すべてから空間が観えた

そう語った人がいた

『「忙しい」と言う字は「心を亡くす」と書く』
昔、誰かが言った声が聴こえた

毎日が忙しいですか?
毎日が暇ですか?
それはあなたがしたいことですか?

シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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【2012/02/11 15:43 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
関西へ出張します

明日7日から9日まで関西へ出張します。

大阪、神戸、和歌山近辺の方、連絡ください。

 

様々な相談や教室、養成講座などもしています。

特に9日には「フリートーク」の時間を設けていますので

自由にご参加ください。

 

詳しいことは

直接携帯へお電話ください。

面談中は出られないですが、履歴と留守電を残していただければ

後ほど、必ず連絡させていただきます。

 

090-1951-1978 むかい あい までどうぞ

【2012/02/06 12:50 】 | お知らせ | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
自分が求めているもの
人は皆、自分が求めているものを知っている
ただ、
それが何なのかを知らない
だからそれを求めている

具体的な何かではない
お金や家、土地、名誉などのことではない
それらを通して求めているもの
それらの向こう側にあるもの

ひょっとしたら、
永遠に気付かないままなのかもしれない
だけど「知っている」
そうとしか表現できないもの
それを知っているからこそ
自分の身体を使って表現している

例えば
行動や病気、怪我などで
あるいは作品と呼ばれるものを創ることで

すべての人は知っている

ただ二種類の人がいるようだ
知りたいと探求し続ける人
そんなものは無いと否認、あるいは諦めている人

そんな観点から自分を見つめてみるのはどうだろう?
きっと、違った世界が観えてくるだろう
先人はこのことを
『難あって有難し』と言ったのではないだろうか?
自分に気付くチャンスだと
それを掴め!
そのように聴こえる

ご意見・ご質問・お問い合わせはシニフィアン研究所まで
http://signifiant-lab.com/
【2012/02/05 16:50 】 | 家族 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
適切な言葉遣いを教えよう
子どもが言葉を覚えるのはどんな時?

学校等の国語の時間で学習する事も大切な一つ
童話や文学作品に親しんで覚えることもあるだろう

しかし、言語を覚えることと、適切な言葉遣いをすることとは別
どんなにたくさんの言葉を覚えていても
その時々に使えなくては、ただ知っているだけとなりやすい

適切に遣うこと、表現することが社会生活の中ではより重要となる
言葉を覚えるには、環境が大切
つまり
日常生活の中での遣い方を通して学習することが大きい
特に話し言葉はそうだと言える

先日このような会話を耳にした
たぶん4~5歳の子どもが出勤する父親に叫んでいた
「パパ バイバイ~、パパ バイバイ~」

この言葉をどのように感じるだろうか?
私は違和感があった
「パパ バイバイ」=「パパ さようなら」

出勤するパパに向かって言う言葉は
「パパ 行ってらっしゃい」
ではないだろうか?

この「行ってらっしゃい」には
たぶん「行ってきます」が返ってくるだろう
この会話には
「パパ 会社へ行って、またボクのところへ帰ってきてね」
が、暗に含まれているのではないだろうか?
だから、その返答として
「パパは会社へ行って、またおうちへ帰ってくるからね」
がメッセージとして含まれる
つまり
「行って(帰って)来ます」=「行ってきます」

子どもが「バイバイ」と言ったなら
「バイバイ」=「さようなら」ではないかもしれないが、
周りの大人が
「パパ 行ってらっしゃい」と教えてはどうだろうか?

幼稚園や保育所の先生や友達には「バイバイ=さようなら」だけど
家族には「行ってらっしゃい」=「また帰ってきてね」

日々繰り返される日常の中での言葉の遣り取りを通して
遣い方の違いを身に付けてゆくものだと思うから

相手の何気ない言葉遣いの中に込められる「想い」
逆に、言葉遣いの中に自らが込める「想い」
人は言葉と共に「想い」を受け取るものでもある
ゆえに、子ども達には
適切な言葉遣いをする環境を与えたいものだ


シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育てについてはこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/02/03 23:08 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
一体感があるから喪失感がある
一体化=融合
この体験があるから「分離」がある
いつも一緒に居て、一体感を感じられるから
離れると寂しいと感じる
悲しいと思える
あるいは「喪失した(失った)」と感じる=喪失感

元々分離した状態であったなら
喪失感はない
分離しているものには、再度の分離は無い
だから「喪失感」はない
あるいは、ワカラナイ

別々で離れ離れでいることが、その人にとって普通だから
別れがあっても、悲しみはこみ上げては来ない
ただ「離れた」というだけ
涙はない

別れの時、喪失感を味わい
寂しさを感じたなら
それは
その相手(対象)に対して愛着を感じていた証
喪失感がワカラナイ人は、愛着も知らないと言える

一体感を味わった事がありますか?
愛着の対象がありますか?
別れや分離に涙したことはありますか?
寂しさに膝小僧を抱えて、打ち震えたことがありますか?

シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
子育てについてはこちらを参照ください http://signifiant-lab.com/raise/
【2012/02/02 21:49 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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