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美味しいお漬物は、ぬか床が違う
手間隙かけて、愛情こめて 毎日、手塩にかけてかき回し世話をする 漬ける材料も大切だが 同じ材料でも、ぬか床によって、まったく味が違う 漬物のことを書いていると まるで、人間を育てるのと同じだと思えてくる 人を育てるときも 手間隙かけて、愛情こめて 毎日、手塩にかけて世話をする 人間にとって「ぬか床」とは何だろう? それは「環境」だと言える 環境によって、人は変わってゆく 環境を整えることが大切になる 最初期の環境は、何と言っても両親 中でも「母」その人だろう 母の想いが子どもの環境となる 母が適切な愛情と世話をするなら 子どもは「愛された、価値ある存在」となるだろう 母が悪意と放任、無視の環境で育てたなら 子どもは「嫌われ、邪魔者で生きる価値のない存在」と思い込むだろう 人を愛し、愛を与える人間となるには 愛され、必要とされた環境(体験)が必須だと言える 『人は体験したことしかできない』 優しい人は、優しくされた環境 愛ある人は、愛された環境 尊重できる人は、尊重された環境 それらの環境の中で体験したから、自然に醸し出されるものである まさしく「身に付いたもの」「滲み出てくるもの」 愛ある環境を整えましょう 愛を与えましょう 愛を体験しましょう 愛は語るものではなく、にじみ出てくるもの もし、愛を知らないと言うならば 愛を求めましょう そうすれば、必ずつかむことでしょう! シニフィアン研究所のHPへどうぞ http://signifiant-lab.com/ PR |
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「喜ぶ顔が見たい」
「誰かの役に立ちたい」 「元気をもらった」 「勇気をもらった」 という言葉をよく聞く これらの言葉は何を語っているのだろう? 相手から「もらうこと」を期待していないだろうか? 誰かのためではなく、自分のためではないだろうか? 喜ぶ顔を見て、自分が喜ぶ 誰かの役にたったから、自分が嬉しい 共に喜ぶことの素晴らしさ、充実感を味わえる と言うかもしれない では、逆に 自分が喜びたいから、しているのではないか? 自分が充実感や達成感を味わいたいから、しているのではないか? この質問に対して、どのように答えるだろうか? 答えはたぶん出ないだろう それなら、いっそ 「自分がしたいからする」 「自分にはできるからする」 ではどうだろうか? 一方 勇気や元気は、誰かからもらうものだろうか? 自らの内から湧いてくるものではないだろうか? 誰かや何かの刺激を受けて、 自分の中から湧き上がってくるものではないだろうか? 「したいからする」よりも「欲しい、欲しい」 そんな声が聞こえてくる気がする 「欲しい」から「する」に書き換えたら きっと、世界が違って見えてくるに違いない 「欲しい」から「する」へ 書き換えてみませんか? シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/ |
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子どもができて「父」と呼ばれる
これはどういうことを意味しているのだろうか? 父になったからと言って、その人が別人になったわけではない 父と言う象徴的役目が増えたのだ 父の役目とは? 「父」という象徴的なポストに就いたということ つまり 世帯主、家長であるということ=家族を代表するポスト 会社で言えば、社長というポストと同じ 家族を取りまとめ、代表する役目を負うということになる そこで求められることは 主導権=中心になって物事を推進する力 自律性=自分をコントロールする力 統率力=家族を一つにまとめる力 指導力=家族を目標に向かって導く力 これらは、その「父」というポストに求められる能力であり そのポストに就いたなら、その責務を引き受ける覚悟と努力が必要となる これらは、何を意味しているのだろうか? それは、これらの能力があるから父として尊重し、 これらの能力がないから、父として尊敬しないのではない 「父」というポストに対して尊重するということを意味する 例えば 「飲んだくれで、働きもせず、暴れてどうしようもないから尊重しない」 のではなく 「飲んだくれで、働きもせず、暴れてどうしようもないけれど、父として尊重する」 ことが大切なのである 「父である」ことと「父の性格、態度、言動」とは別である この弁別(区別)ができた時 その人は「象徴性」を持ち、 そこには「父の威厳」が存在しいると言えるだろう そして、その態度が 父を、父としての役目と責務を引き受ける「覚悟」と「自覚」を持たせることだろう 「父と言うポスト」が 男性を父に育て上げてゆくのである 父になること、父であることに迷居、悩みがある方は シニフィアン研究所までご相談ください http://signifiant-lab.com/ |
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2012年辰年がスタートした。
年頭に当たって、個々人のテーマを規定すること。 それぞれの立場や状況に於いて規定すること。 自己規定する=目標設定すること つまり 言語化すること 【まず、言語ありき】 それに従って、その意味するところをイメージし ビジョンを持ち、それを行動化する 【成長】 人は成長してゆくもの それは 千変万化する 固定化しない 留まらない 古きを壊して、新たに創造してゆく 【未完】 永遠に到達できない 終わりの無い だけど ソレを目指してゆく ソレとは? 始原にあったもの そして 今は永遠に手に入らないもの しかし 手の届きそうな彼方にあるもの ソレが動因となり、牽引する ソレが何なのかは既に知っている しかし、語れない そして どんなものでもあり得る どこにでもあり得るもの だからこそ すべては未完 だけど それを目指して生きる 言語に置き換えて それが「自己規定」 自分固有のもの 自己規定しないと それは 糸の切れた凧 風に任せて彷徨うしかない 流れに翻弄される浮き草 根無し草 夢遊病者 人間になりたい 人間でありたい 人間として生き続けたい 人間として死にたい 【私は人間だ!!】 ご意見・ご質問は シニフィアン研究所<むかいあい>まで http://signifiant-lab.com/ |
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男の子には「ある」けれど、女の子には「ない」もの
その代表は「ペニス」 お父さんにあって、お母さんにはないもの これが一般的に分かり易い性差です この身体的な「ある」「ない」を もっと広い意味での「ある」「ない」に置き換えてみましょう 男に付いているペニス=男には「ある」 女には付いていないペニス=女には「ない」 この男女の差異が基本となって、 その上に様々な差異を積み上げてゆくのです 男には「ある」から、それを振り回し、伸縮を繰り返し、象徴となります その反面、切り取られる不安(なくなる不安)を持ちます=去勢不安 女には「ない」から、それを欲しいと欲望するでしょう=ペニス羨望 しかし、切り取られる不安(なくなる不安)はありません なぜなら、元々無いのですから 女はこの男の不安を脅かさないようにしましょう 「ある」ことを承認賞賛し、称えましょう 「さすが男ね」と! 「ある」から振りまわせるのです 「ない」ものは振り回せません 「ない」ものは「ある」ものを去勢しないようにしましょう つまり 「ない」母は「ある」父や息子を切れないのですから 言葉や態度で押さえつけたり、潰さないようにしましょう 父や息子には「ある」のだから 普段は逞しいと見えなくても、 『イザ今、イザこの時だ!』と思った時には逞しくなり、 敵を断ち切る刃ともなるのです 女には聳え立たせるものが、最初から「ない」のです このことを、女が母が認めたなら、 『イザ今、イザこの時だ!』が訪れた時 しっかり聳え立ち、敵に立ち向かい、女を守ってくれることでしょう 女のみなさん、この「賢明さ」を持ちましょう!! 詳しくはこちらまで シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/ |
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