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【2025/09/20 23:28 】 |
新婚期-「親密」と「幻滅」
結婚と同時にスタートする「新婚期」
ハニームーン=蜜月期
 
結婚するということは
それぞれが生まれ育った家族から自立し、夫婦関係の基礎を作るということ
つまり、親からの自立がスタート地点
そして自立した二人が協力して新しい家族を作るということ
 
自立するとは
「経済的」「空間的」「精神的」に、自ら計画を立て維持すること
親の庇護の元で生活するのは自立とは言えない
それはただ男女が同居しているだけ
 
このようにしてスタートした新婚期
この時期のテーマは「親密」と「幻滅」を味わうこと
相反することのように聞こえるが、大切なこととなる
「親密」→これは言うまでもなく味わうことだろう
問題は「幻滅」である
 
新婚期の最初は親密性を味わっているが
しばらくすると互いの育ってきた価値観や考え方、生活様式などの違いに気付く
料理の味付け、掃除や整理整頓の仕方、生活リズムなど
お互いに許容できることに関してはそれなりにやり過ごすが
これだけは!と感じているものに関しては譲れない
些細なことの違いが積もり積もってくると
「こんな人とは思わなかった」
「こんなつもりじゃなかった」
「母ならこうしてくれた」
「今までこうしてきたのだから」
それぞれが結婚して初めて気付く事柄に直面して戸惑う
 
この時大切なことは
「しっかり両目を開いて相手を見ること」
「幻滅を味わうこと」
決して
好きで結婚したのだから
愛しているから
誰でも同じだ
などと目を背けないことである
 
なぜなら
うまくいかなくなったり、疑問を感じたとき必ず問いかける
「どうしてこの人と結婚したのだろう?」と、
これを結婚動機という
ここに必ずと言っていいほど立ち返る
それゆえ
新婚期にしっかり両目を開いて、
相手の好きなところ、嫌いなところ、許せること部分、許せない部分
それらをしっかり見極め、幻滅感を味わうこと
その上で
「色々嫌な部分もあるけど、やっぱりこの人と共に生きていこう」
と決心したなら、結婚動機はしっかり持ったと言えるだろう
 
この相手を見極めるのに大体3年はかかると言われている
つまり新婚期の三年間は
二人だけの時間をしっかり持つことが大切だと言える
 
この観点から
大切な新婚期を過ごすことが難しくなる環境
「親との同居」「できちゃった婚」や「三年以内の妊娠出産」などは疑問があるといえる
 
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/

新婚期の方はこちらhttp://signifiant-lab.com/raise/#19
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【2011/11/13 09:37 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
恋に落ちる― fall in love
「恋をする」「恋に落ちる」「ビビビッときた」などの表現がある
人を好きになるには人それぞれ固有の要因がある
その一つは「母の代理」
また「一の線」というのもある
 
すべての人は母から生まれる
それゆえに、最初の愛の対象は「母」といって差し支えないだろう
自分の存在の根底だから
その大好きな母のある一つの特徴で「母全体」を表現する
その最初が「移行対象」と呼ばれるもの
例えば
布切れ、タオル、ぬいぐるみなどその幼児にとって母を連想させるもの
それを絶対に離さない
 
それらと同じ意味合いを持ったものが恋人選択にも大いに影響する
それらはたった一つの特徴で良い
「声」
「目つき」
「しぐさ」
「好みの色」
「匂い」
「歩き方」
「表情」
「雰囲気」などなど
 
ただ本人にはそれとは気付いていないことが多い
たいていは
「何だかあの○○がたまらなく好きなんだよなあ~」
「一緒にいるとホッとするんだよねえ~」
あるいは「癒される」と思うかもしれない
 
その一つの特徴を発見したら一気に引き寄せられる
恋人やアーティスト、友達なども同じ傾向があるだろう
 
きっと誰かから言われたことがあるだろう
「あなたが好きになる人はいつも同じね」と
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
【2011/11/12 23:46 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
恋愛の相手は母の代理
養育において、人は誰しも満足を与えられた体験は皆無に等しいだろう
ここでいう「満足」とは
要求を出したときに、敏速に的確に行動で答えてもらった体験のことである
そんなはずはないと思い込んでいる人はいるかもしれないが
 
つまり、殆どすべての人は不満がいっぱいだと言える
その不満を何とか満足に変えたい
不足しているとするなら、何とか埋めたいと切望するだろう
 
思春期になると身体的にも成熟してくる
友達関係を経て、異性に関心を持ち付き合いたいとの欲求が出てくる
ここで展開されるのは男女ともお互いの中にある「穴」を埋めあうこと
単なる欲求のはけ口だとか
ただ彼氏、彼女という関係に憧れるというのもあるだろうが
ここではそれらは別にする
 
付き合うという名の元に
求めて得られなかったものを埋め合う場合が多い
身体的な快も伴いながら楽しむものともなる
互いの間に展開されるのは、求めて得られなかった母の代理満足である
例えば母に
言う事を聞いてもらえなかった人は、恋人に何でも言う事を聞いてくれることを求めるだろう
罵声と虐待を浴びせられた人は、優しさを求めるだろう
振り回せなかった人は、あちこち連れて行ってくれる人を求めるだろう
抱っこしてもらえなかった人は、肌の温もりを求めるだろう
これらを満たしてくれる人が「大好きな恋人」「いつも一緒にいたい恋人」となる
そこだけを見ている
その他は見ないようにしている
求めることを与えてくれなくなった時、恋は醒める
時には、「愛と感じていたもの」は「憎しみ」へと変貌する
 
 
 
シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/11/11 10:37 】 | 恋愛・結婚 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
家族とは?
「家族とは?」
こう問いかけると人それぞれに規定の仕方は違うだろう
家族形態も時代と共に変化し、その捉え方も多様化しているといえるだろう
 
昔は大家族に象徴されるように、3世代が同居するのが当然だった
一つには共同作業を必須とする農耕民族ということもある
血縁関係だけでなく、農作業を手伝う他人も共に生活することも稀ではなかった
経済成長と共に、農業漁業などの一次産業から、いわゆるサラリーマンへとその人口が移動し
それに伴って核家族化がその中心となってきた
 
今ではスープの冷めない距離だとか、二世帯住宅が宣伝され
同居はしても食卓、トイレ、風呂は別
その原因はとまれ
昭和20年後半以降の親たちは
子どもたちと同居は考えないとの傾向になっているらしい
では自分達の老後はどうするか?
親の介護問題はどうするのか?
老々介護、介護難民などの言語も見られる
働く女性をサポートするための保育所、託児所の完備など
家族を取り巻く環境は激変してきている
 
そんな中であらためて
「夫婦とは?」
「親子とは?」
「家族とは?」
「家族の機能とは?」
と問いかけてみたい
 
「家族はシステムである」との観点がある
社会にはそれぞれの役割分担があり、一種の組織体系を形成する
その最小集団が「家族」である
家族はある共通の価値観(家族神話)を基に夫婦を核としての場を持ち
生産と扶養、養育、家事などを分担し、家族成員相互が密接に関連しあって構成されている
 
家族はまた、年齢、価値観など異なった世代が同居しているがゆえに
それぞれの世代間による「連合」と「境界」がある
夫婦連合、兄弟姉妹連合など世代間で連合を組んだ時
そこには世代間境界が発生する
例えて言えば
家の構造と同じである
大黒柱がしっかり家自体を支え、階ごと、部屋ごとに仕切りがされ
ドアや引き戸などで必要に応じて開閉できる
玄関ドアや窓、垣根や塀が家族と社会の境界線ともなる
つまり
個人、世代、家族、社会、それぞれに境界がありつつ
それぞれが他の構成員に互いに影響を及ぼしながらも
より大きな集団へとかかわりを持っている時、
家族は健全に機能しているとみなす
 
家族成員の誰かが問題を起こした場合
他の家族全員に何らかの影響を及ぼし、家族のシステム自体にも変化が起こる
ゆえに、その成員個人の問題だけではなく、家族のシステムの問題であるとの捉え方をする
つまりその成員は病める家族を代表して家族の機能不全を警告していると見なす
この観点から
男女が結婚と言う社会的契約を結んだ時(新婚期)から
家族がどのように発達してゆくのかを考えてみる
 
 
夫婦問題、介護問題などに興味のある方は
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
【2011/11/07 15:45 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
強迫性格は精神を不毛にする
「強迫症状」と呼ばれる症状がある
バカらしいと思っていてもソレをしないと居られない
ソレをしないと落ち着かない、気がついたらしてしまっている「強迫行為」
例えば
手や体を何度も洗ってしまう、玄関や窓の鍵やガスの元栓を何度も確認する、
決まった順番や場所に必要以上にこだわるなど
 
自分の意志に反してある観念が湧いてきてしまう「強迫観念」
例えば
事故や不治の病になって死んでしまうのではないか
人を傷つけたり、殺してしまうのではないか
自分や家族に何か悪いことが起こるのではないか
誰かに襲われるのではないか
 
これらの根底には共通したものがある
それは強い「不安感」
ソレをしないと不安で仕方ない
それらの不安が常につきまとっている
本人はつまらないことにこだわっていると解っている
やめようと思っているがどうしてもしてしまう、浮かんでしまうのだ
 
なぜ?
その不安とは一体何だろうか?
強迫行為や観念によってそれほどまでに防衛しなければならない不安とは?
 
不安の中は空洞であること
空無であること
不毛であること
それらを無意識的に知っているからではないだろうか?
この不安は人間であるゆえにすべての人が抱え込むものかもしれない
不毛であることの防衛が強迫症状
そしてこれらの強迫症状がより一層
その内奥の不毛を強化していることになっていると言えないだろうか?
 
シニフィアン研究所のHPはこちら 
【2011/11/06 12:02 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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