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日々の生活の中で、大抵の日本人は日本語を話している
そして、その日本語という共通言語を使って
意志の伝達や感情の表出をしている
時には
言いたいことが相手になかなか伝わらずイライラすることもある
しかし、原則的には日本語を使って話をすれば通じると思っている
言語が通じるとは一体どういうことだろうか?
相手が自分の言語を理解する
つまり、自分の話している意味を相手が理解する
ここまでを「言語が通じる」と言うのなら
たぶん同じ言語を話していれば通じると言えるだろう
だが、これでは十分とは言えないのではないか?
相手が自分の話す言語の意味を理解し、その意味に対しての何らかの言動(反応)をする
もっと言えば、「相手が自分の言語を理解しその内容の通りに行動する」
ここまでを含めて初めて「言語が通じた」と言えるのではないだろうか?
例えば
子どもがお母さんに
「お母さん、ジュースちょうだい」と言う
するとお母さんが
「またジュース?そんなに飲んでばかりダメよ」
「同じ飲むなら牛乳にしなさい」
「そんなに飲んでばかりいるから汗かくのよ」
などと言った場合、そしてこのようなパターンが常であった場合
子どもは何を学習するだろう?
「お母さんには何を言ってもダメだ、自分の言うとおりにはならない」
そう思わないだろうか?
つまり
「自分の言語がお母さんには通じない」
ということを学習していることにならないだろうか?
このように見てくると
様々な場面で「自分の言語は通じない」という体験をしている
だとすると
やがて人は語ってもムダだと思うようになるだろう
そしてついには何も語らなくなるだろう
人は語れないのではなく語らないのだ
語ってもムダだと知っているから語ることを断念した
それでも人は伝えずにはいられない
語らずにはいられなくなる
言語で語らなければ
体で語るしかない
行動で語るしかなくなるのだ
それが病気や怪我、問題行動と言われるものではないだろうか?
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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「○○できたらいいなあ~」
「○○したいなあ~」
「○○欲しいなあ~」
だれでも、考えたことがあるだろう
しかし、このように考えているうちは何も実現しない
なぜなら
これらの言葉の後には必ずと言っていいほど
「でも、、、、、」
「しかし、、、、」
「だけど、、、」
が続く可能性が高い
そして
「やっぱりだめだ」
「やっぱり無理だ」
「やっぱり難しい」
となる
このように堂々巡りをし
そして落ち着く先は
「やっぱり止めておこう、いつかできる時がきたらまた考えよう」
時は待ってくれない
今したいことがあるなら、今する
今欲しいものがあるなら、手に入れる
今なりたいものがあるならば、なる
そのように「決断する」ことだ
すべてはそこから始まる
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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自分なりに一所懸命生きてきたのに
誰も理解してくれない、解ろうとしてくれない
私の苦しみを解って欲しい
こんなに辛い想いをしてきたのだから
こんなに悲しみを背負って生きてきたのだから
こんなに頑張ってきたのだから
そして、今もこんなにも耐えているのだから
たった一人でもいい
こんな私の前に立ち止まって、聴いて!!
そう必死に訴え、叫び、もがいている
どこまでもいつまでも永遠に語り続ける
長い個人史を、まるでドラマを見るように語り続ける
決して終わりのない語らいの渦の中に生きている
すべては語り尽くせない
すべてを理解してもらえない
だれも立ち止まってはくれない
過去をどれだけ語っても書き換えられない
今までの人生すべてが、空しく、空虚で、虚無で、馬鹿らしく、アホらしく
泣いて、泣いて、慟哭し、
やがて涙も涸れ果て、声も嗄れ果てた
もう終わりにしよう
過去は過去
私は今を生きているのだから
いつも、いつの時も、今にしか居ないのだから
今は過去となり
未来はいつか今となる
私が居るのは、いつも「今」その時だけ
過去の中で出会うのは変えられない悲しみ、苦しみ、辛さ、恐怖とおびえ、寂しさだけしかない
たとえ、わずかばかりの「喜び」があったとしても
それはもう過去、そこには二度と戻れない
一条の「喜び」にしがみついていても
時に一掃され、過ぎ行くのみ
もう過去は振り返らない
もう二度と過去は語らない
過去は今を裏打ちしながら、未来へとバックアップしている
前だけを見据えて、今を生きる
そう「決意した」
安心・安全→想起・服喪追悼→再結合→共世界
PTSDからの脱出と人間性の回復
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社会適応することで人は人として互いの間にお互いを認め合う
社会はより期待した理想像に同一化することを求めて止まない
その為に規則や罰則を作り、それを守ることを要求する
その枠に適応するように幼少期から躾けられる
ややもすると強迫的な(脅迫的な)枠組みの中で育てられる
その典型が
「~しなければならない」
「~すべきだ」
これを遵守することを過剰に押しつけられた場合
強迫性格となりやすい
この強迫性格が真綿で自らの首を締め付けることになる
常に周りが何を期待しているか?
自分は何をすべきか?
どうしなければならないか?
この期待される像を自分の生き方だと錯覚する
いつの間にか
自分は一体何をしたいのか?
これで良かったのか?
自分のしたいことは何か?
解らなくなってしまう
それでも
自らにこれでいいはずだと言い聞かせつつ
精神はどんどん疲弊し、枯渇してゆ
そしていつしか不毛地帯と成り果ててしまう
これこそ「精神の空洞化」である
強固な価値観がある場合は(その価値観の是非は別にして)
それでも何とか破綻せずにいけるが
価値観が多様化している現在では容易に崩壊する可能性が高い
押し寄せる多様化の波に流されず
自らの基盤を構築し続けることは非常に難しい
呑み込まれるか、流されるしかないのか?
波に乗りつつも、決して流されず呑み込まれずに生きるにはどうすれば良いのか?
それは自らの欲望を知り、その欲望に素直に生きる覚悟を持つこと
自己分析をすることでその道を拓くことができる
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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不毛―土地がやせていて作物や草木が育たないこと。また、そのさま。
なんの進歩も成果も得られないこと。また、そのさま
不毛地帯に生きているとは?
何の生産性もなく、何の進歩もなく、何の成果もない
そんな精神世界に生きている
そんな自分を防衛するための強迫性格
「~ねばならない」
「~すべき」
それを守ることが素晴らしい生き方だと、仕合せになる秘訣だと刻印されていた
社会が描く虚像に同一化し
盆踊りのように同心円を描きながら行きつ戻りつ汗を流す
時にはゆっくり
時には早足で歩き
時には全速力で走る
誰よりも早く、誰よりも高く、そして誰よりも遠くへ
そして誰よりも一所懸命生きていると実感していた
しかし、それは錯覚、幻想の世界
始まりも終わりももはや識別できない円周を回っていただけ
同じ軌道をただただ回っているだけ
決してその軌道から外れることはない強迫性格
速度の差があるのみ
そして、その軌道の内側は
「不毛地帯」
そう、何の生産性も、進歩も、成果もない荒涼たる殺伐とした地帯
どれほどの時間を費やしてきただろう
どれだけのエネルギーを浪費してきただろう
どれだけの血と汗と涙を流してきただろう
一所懸命生きてきたつもりだったのに
ただ同じ軌道を必死に回っていただけ
空しい、、、虚しい、、、貧しい、、、空虚で貧弱な貧相な場
打ちのめされ、崩れ落ち、茫然自失
思考停止、時空の停止と崩壊、消失
殺風景な場に立ち尽くすのみ
立ち直れるだろうか?
歩み始められるだろうか?
共に歩み始めましょう!
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