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区切る、切断するのはなぜか?
連続な何かがあるから
区切るとは、句読点を打ち、新たなスタートを意味する
切断の無いところに、スタートはない
ただ連続があるのみ
平坦で変化も無く、途切れず永遠に続くなら
人は退屈するだろう
しかし
その連続が波乱万丈でデコボコで険しければ
決して退屈などしていられないし
一所懸命努力し、精一杯生きていると感じるだろう
だが、連続であることに変わりはない
しかし、切断は違う
途切れるからこそ、またスタートをする
切れているからスイッチを入れる
切れているから一つの始まりがある
部屋の仕切りがあるから名称を付けて区別する
私の部屋、リビング、ダイニング、トイレ、バスルームetc
区切りがなければただの空間に過ぎない
電燈のスイッチが切ってあるから、スイッチを入れる
ドアが閉まっているから開ける
区切りがあるがら、新たなスタートができる
つまり
いつまでもスタート、再開できないのは
区切り、切断がないからだと言える
終わりにできないから始められない
新たなスタートが切れないのは、まだ終わっていないからだ
区切れたなら、また必ずスタートする
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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誕生と共に「性別」が確定される
いわゆる「男の子」「女の子」
生物学的に確定された「性」である
それとは別に「ジェンダー」と呼ばれる社会的、文化的性差がある
ここでは
「ジェンダー」と呼ばずに「性の自認」と呼ぶことにする
大抵は生物学的性と自認の性は一致している
ところが
性同一性障害と呼ばれる人たちがいる
生物学的性と自認としての性の不一致
このことから
「性」は獲得するものだとの観点が生まれる
では「性」はどのようにして獲得するのだろうか?
性の自認は性差の認識でもある
性に差がなければ、そもそも性を意識することもない
男と女の性差をどこで認識するか?
発達論的には3歳を過ぎる頃から
男性性器が付いている付いていないという視覚的なものから差を知ると言われる
自分はどちら側であるか?
パパと同じか?ママと同じか?
幼少期には視覚的なものが大きいからだ
そして、何よりも周りからどう語られ、どのように扱われるか?が重要となる
つまり
「男の子でしょう」「女の子でしょう」とどれだけ言われ、扱われてきたか?
これが性の自認に繋がる
よく例として言われるのが
「男(女)の子だから・・・」
「男(女)の子なのに・・・」
「男らしくない」「女らしくない」
そして服装や髪型、言葉遣い、おもちゃや習い事、立ち居振る舞いなどが加味される
男女差があるから性別を意識する
性差のないところに性の自認は生まれにくいと言える
生物学的性差と性の自認は別のことである
その是非を言うつもりは無いが
この二つの性が一致しない場合、性への葛藤がより多く生じることは確かであろう
性についてお悩みの方は、一度ご相談ください
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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自然災害や事故、暴力や虐待などの外力による体験を外傷体験と呼ぶ
それらの外傷体験をしたからといって、すべてが心的外傷となるわけではない
同じ体験をしても、人それぞれ感じ方、受け止め方が違う
被害者となり、圧倒的な外力によって「無力」や「孤立無援」を痛感し
それらに対して抵抗や闘争を試みたとしても
いずれも無益に終わった場合、
防衛システムが崩壊、解体する方へと向かう
これらの外傷体験や危機が現実に無くなった後も
引き続き長時間にわたってシステムの異常事態が続く
この余りにも激しすぎる状態は心身ともに様々な変化をきたす
その体験の記憶が無くなり、思い出せない
逆に細部に渡り記憶しているのに、何の感情も湧かない
感情は記憶しているのに、体験の記憶がない
いつも緊張し、憔悴しているがその原因がわからない
突然、意志とは関係なくその体験が入り込んでくるetc
何らかの外傷体験がある場合、心身に刻印され症状となって現れてくる
これらの症状がある人は、PTSDの可能性が高い
もしかしたら・・・と感じた方はご相談ください
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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理想のイメージに少しでも近づけるために必死に教える
その為には時間とエネルギーとお金は惜しまない
他のことを犠牲にしてまでもつぎ込む
そのことが生きがいであるかのように
ますます狂信的にのめり込む
「これだけ全てを犠牲にしているのだから期待に応えて当然だ。そのためなら何でもする」
少しでも期待に応える兆しが見えれば
「これは見込みがある」
「もっと強化すればもっと伸びる」
反面、期待を裏切るようなことがあれば
形相を変えてムチを振り下ろす
「どれだけあなたのためにすべてを犠牲にしてきたと思ってるの!」
「もっと頑張りなさい」
「できるまで食事はお預け」
叱咤激励は加速する
どんどん強迫的に、脅迫的になり、付きっきりですべてを管理する
かたや、その期待に応えようと必死に努力する
他のすべてを犠牲にし、ハアハア喘ぎながらも走り続けようとする
こうしてニコイチ、運命共同体ができあがる
重みで足が地面に食い込むような期待を全身で背負いながら
歯を食いしばって、ひたすら走り続ける
これらの必死の苦労は他者へのお披露目でクライマックスを迎える
この日の為に血の滲むような努力をしてきたのだ
すべてはこの日の為に!
周りからの歓声と鳴り止まない拍手喝采を浴びる
誰の喜びか?誰の満足か?
それは飼育員と調教師
飼育された側に主体性はない
あなたに覚えはありませんか?
シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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虐待されることで心的外傷を受け、それがトラウマとなる
それは頷けること
しかし、その虐待を見ていた人の方ががトラウマとなる場合がある
親から兄弟が虐待を受けていた
自分はなす術もなく、ただ逃げ出すことも加勢することもできず
見ていることしかできなかった
おまけに
「お前も言うこと聞かなかったらこうなるんだからな!」
と威嚇される
親の前で無力な姿
あるいは
母親を虐待する父親を見ている場合もある
父に対する怒りと母に対する同情
非力で父の暴力に屈する母への怒り
強大な力の前の圧倒的な無力を見せ付けられる体験
家庭内だけではなく
戸外でもある
目撃者となり、その場から立ち去ることもできない
無力な自分を経験した場合
直接的に受ける暴力だけでなく
時には見ている方が心的外傷を受ける場合も多い
次は自分の番かもしれない
いつ自分に危害が及んでくるかもしれない
自分の方がもっと酷いかもしれない
どうすれば逃れられるのか?
やっぱり無理だ
怖い、どうしよう
黙って耐えるしかないetc
何もされていないにも関わらず脅え、凍りつく
このように見ている方も同じく、あるいはそれ以上に
脅えや恐れを痛感している可能性が高い
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