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【2025/09/21 21:35 】 |
明るいは暗いを内包している

自己紹介をするとき
「明るい性格です」
「楽天家で悩んだことはありません」
などと語る人がいた場合
どんな人だと想像するだろうか?
言葉通りに「明るい人なんだ」「楽天家なんだ」と受け取ることもできる。
 
ここで、「明るい性格」という言語を選択する場合のことを考えてみよう。
・人から「明るいね」と言われることが多く、「私って明るい性格なんだ」という経験値を重ねてきた。
・明るい性格だと思って人との対人関係を築いてきて支障がなかった。
・明るい性格に相応しいとされる自分の言動に対して疑問を抱かなかった。
これらのことから「明るい性格である」と自己規定してきたと考えられる。
 
「明るい」という言語を考えた場合、その反対の「暗い」という言語を思い出さないだろうか?
「明るい」という言語は「暗い」に対して使われることが多い。
明るさが常に一定だった場合、人は「明るい」とも「暗い」とも語らないだろう。
「明るい」と語る場合、それよりも明るくない(=暗い)ものがあることを意味する。
つまり、AよりもBの方が明るい、あるいはAの方がBよりも暗いと表現する。
すなわち、「明るい」は「暗い」を内包しているとも言える。
「明るい」という言語は「暗い」に対して存在することになる。
 
以上から、「明るい性格」だと語る人の心の中では
それに対する「暗い性格」という言語が内包されていると言えないだろうか?
「明るい」を強調すればするほど、「暗い」を抑圧、否認している。
抑圧、否認するものは無意識界へと押しやられ、錯誤行為などによって表面化する。
その観点からいえば、その人の出会う人、ものは「暗い」が多くなるであろうと予測できる。
 
この観点から、
出会う人を見て、自分が気になる部分は自分にも内包されているのでは?
と自分に問いかけてみよう。
そうすれば、何かが見えてくるだろう。
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/
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【2011/09/17 09:00 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
侵入されるイメージ
家には玄関のドアや扉があるように
例えて言えば、人の心にも扉が必要であろう
自分の意志でその扉を開閉する、主導権は自分が持っていることが大切である。
当たり前のようだが、
扉がない
あるいは扉はあっても閉じることを知らない
開けっ放しであることに気づかない
また、扉を閉めていても鍵のないと言わざるを得ない人たちがいる。
 
これらの人たちは侵入される、のぞかれる、見られるイメージを持っている場合が多い。
逆に侵入されるイメージを持っている人は上記のようだとも言える。
 
こういったイメージは
実際に住んでいる家や部屋の状態にも反映されているかもしれない。
例えば
鍵がかけられる自分だけの部屋がなかったり
誰かと共同の部屋だったり
通り抜ける部屋であって鍵をかけられない部屋だったり
まったく自分の部屋がなかったりする。
 
これでは安心して過ごす時間を持てない。
いつも誰かの視線を感じたり、出入りがあって落ち着く時がない。
特に思春期にこの状態が続けば「個の確立」は難しくなるだろう。
自分と他者の境界ができにくい環境と言える。
 
心の扉を自分で開けたり閉めたりするイメージを持つこと。
扉が開いたままだから、外からの声や音はより大きく勝手に入ってくる。
一人で居たい時は、扉を閉め、
外の空気を入れたい時、景色を見たい時、声を聞きたい時には開け放てばよい。
自分の心の扉は、自分の自由意志で開閉するものであることに気づくだろう。
 
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/ 
 
【2011/09/16 08:56 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
記憶のない時代を埋めるもの

人はどんなに記憶を遡っても、ほとんどの人は2歳以前の記憶は思い出せないだろう
まだ言語をしゃべれない時代の事は、周りの人から聞いたり
ビデオやDVDなどの記憶媒体を通してしかたどれない
どんなに聞いたり見たりしても、生(ナマ)の自分を味わえない
 
その時、目の前に2歳以前の乳幼児が現れたらどうだろう?
世話をしてもらわないと生きることさえ危ぶまれる赤ちゃん
あるいはよちよち歩きで、思うように自分の身体も操れない幼児
喃語をしゃべり、なにやら指さして無邪気に笑ったり泣いたりする
そんなリアルタイムな姿の中に
かつての自分もこんなであっただろうか?
きっとこんなであったに違いないと思いを馳せる
 
自らの記憶のない時代をそこに見出す
そして、自分がまぎれもなく生まれて以来途切れることなく
現在まで続いている存在であることを確信させてくれる気がする
そして安心する
 
笑っても、泣いても、何をしても可愛いと思える
かつての自分も同じような眼差しで見つめられたに違いないと思いたい
否、きっとそうであったに違いない
 
こんな想いが「孫は無条件に可愛い、我が子とはまた違う」
と、おじいちゃん、おばあちゃんに目を細め、声を揃えて語らしめるのであろう
 
それほどに、人は自分自身の記憶のない時代に対する郷愁とでもいえるものを持っている
逆に言えば、記憶のない時代を何としてでも補わないと不安な存在だとも言える
 
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/
【2011/09/15 07:36 】 | 子育て | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
介護老人とならないために
長寿大国と言われるようになって久しい。
長寿になったから介護を必要とする人口も増えたのも必然かもしれない。
 
それらの視点からではなく、精神分析の視点から考えてみる。
そうすると、「退行」という文字が浮かんでくる。
「時間的に人の精神は発達すると仮定して、その初期の段階へと戻ること」の意味で考えてみる。
 
例えば、「寝たきり」となった姿は
おむつをあて、寝返りもままならず、お風呂に入れてもらい、食事も介助、
もしくは「胃ろう」というチューブで直接胃に点滴のように流動食をいれてもらうことにもなる。
そして、いつもニコニコしていて、
介助や世話をしてくれる人たちから
さかんに「○○ちゃん」と呼ばれ、「可愛いね」と連発される。
 
実年齢と体格の差を考慮に入れずに見ると
まさしく乳幼児と同じ世話をしてもらっていると映る。
 
人生の大半を、社会の一員として頑張って生き、ある時を境に退行してゆく
そのきっかけは人さまざまだろう
その姿を見ていて
その人の人生の中で一番楽しかった、心満たされたと刻印された地点まで遡って行くように思える。
また、その人が一番求めていて得られなかった地点の穴を埋めようとしているかのようにも見える。
 
たいていは乳幼児期まで遡るようにも思う。
時には母の胎内まで回帰したようにも思える状況にも出くわした。
「胃ろう」なるものを見たときに感じたものだ。
へそのすぐ近くにチューブが付けられている姿は
まさしく「へその緒」だと、私には見えた。
 
これらのことから考えてみると
将来介護を必要とならないないためには、退行しないこと
退行しないためには、「満足体験」をしていること
このように言えるだろう。
 
 
ご意見、お問い合わせはシニフィアン研究所までどうぞ  http://signifiant-lab.com/
 
【2011/09/14 13:13 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
人は成長してゆく存在

人は精神的にどこまで成長するのか?
そもそも成長というコト自体あるのだろうか?
何をもって成長というのだろうか?
こんな問いかけを持った
発達論的観点から口唇期欠損だとか肛門期の関係障害、エディプス期の葛藤
あるいは、自己愛パーソナリティーなどなど様々な表現がある
それらすべて言語によって後に再構成されたものという考え方もある
 
ただ日々の臨床の中で感じることは
成長という一つの概念によって説明可能な事象が多々あるということ
 
人は通常、日常生活の中で言語を使って意思疎通し、特に問題もないかのように過ごしている
そんな中、時としてその日常言語を、まるで初めて理解したかのように気づく瞬間がある
その時、
今まで使っていた言語は一体自分にとってなんだったのだろうか?と感じる
知っている、理解しているはずの言語が
新鮮な言語として響く瞬間、違った世界が垣間開くかのようだ
そして、
「どうして今まで気がつかなかったのだろう」
「それを引き寄せたのは私です」
「それを選んだのはこの私自身です」と語る
そう語った時から
その人は、自らその事態を書き換え、行動化してゆく
 
その姿の中に「成長」という言語を観た気がした
人は身体的年齢に関係なく成長してゆく存在であると痛感した瞬間でもあった
 
 
Φ シニフィアン研究所のHPはこちら   http://signifiant-lab.com/
【2011/09/13 07:49 】 | 生き方 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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